2.覚醒 【4】山口という男

【4】

 着いた場所は、奥深い山中であった。

 木々の間に形成された舗装されていない道を行くと、間もなくして、少し開けた場所に一台の車とパトカーが見えてきた。

 その場所は、権藤の車を入れて三台分の車がやっと止められる程の空間で、その向こうには人が歩ける程度の獣道しかなかった。この山の管理者以外は、滅多に人は来ない場所だろう。もし間違えてこの道に入ったとしても、この場所でUターンして戻るしかない。

 権藤は車を止め、車外に出た。続いて拓也も出る。

 現場に来ていた警官が、権藤に向かい敬礼をする。それに軽く敬礼で答え、権藤は手袋をはめながら一直線に車に向かって歩いていった。

 車の運転席の窓から中を覗き込んでいた刑事が権藤に気づき、「権藤さん」と声をかけてきた。この前権藤と研究室に訪れた、井岡と言う刑事だ。

 権藤は井岡の横に立ち、車内を覗き込んだ。

 拓也も権藤にわずかに遅れて車の場所に到着し、権藤の後ろから車内を覗き込んだ。

 運転席に座る男の姿を見て、拓也は目を開き、僅かに後ずさる。

 その男は倒したシートに、車の天井を見上げた格好で横たわり、蝋のように白い男の顔は、老人のように皺だらけであった。

「被害者の所持品から身元は分かりました。名前は山口健二、24歳。猪神製薬所発生工学研究部二課に勤務しています。死因は頸動脈からの失血死と思われます」

 そこまで手帳を見ながら報告をしていた井岡は、権藤の横に顔を並べ、同じく車内を覗き込んだ。

 権藤は男の顔を傾かせ、喉元を見つめている。

「おかしいと思いませんか? 権藤さん。これだけ失血しているにもかかわらず、首筋に血液が流れたあとが無い・・・・・・」

 井岡の言うとおり、血液が車内に飛び散った跡は残っているのに、男の首筋には枯れ木に穴が開いたような跡が残るだけで、その周りに血液の付着がない。まるで、そこだけ綺麗に舐め取ったように。

 呆然と男を見つめる拓也に、権藤が振り向いた。

「この男の素性はこれらしいんですが・・・・・・先生、この男に見覚えがありますか?」

 そう言って権藤は、男の免許証を拓也の目の前にかざした。

 免許証に写ったこの男の顔は、車の中にいる男と本当に同一人物なのかと思えるほど若々しかった。

 その写真を凝視した拓也は驚いた。拓也の知っている人物だったからである。

 拓也は思わず、あっと声を出しそうになった。

(・・・・・・伊吹先生と一緒に居た男だ・・・・・・)

 以前、この男の車に二人で乗り込むところを、拓哉は見かけたことがあった。病院に行ってそのまま家に帰った、あの日のことだった。

 免許証の向こうの権藤の目が、拓也の表情を見つめている。

「知っているんですか? この男」

 権藤が尋ねてきた。

 拓也は迷った。伊吹のことまで話すのは彼女の了承が必要と思われた。

「・・・・以前、大学の近くで見た男です・・・・・・」

 拓也はそう答えた。

 権藤は、拓也を見つめたまま免許証を降ろした。一瞬、二人の視線が合う。

 視線を逸らしたのは権藤の方だった。

「井岡。現場検証が終わったら、この仏さん、解剖の方にまわせ」

 そう告げると、権藤は拓也を促し、自分の車の方へと向かった。

「病院の方まで送りましょう」

 車に乗り込むと権藤はそう拓也に言い、車をUターンさせて元来た道を引き返した。

 森を抜けるまで、妙な沈黙が二人の間を包んでいた。

 舗装された道に出ると、権藤が口を開いた。

「まだ、ニュースにはなってないんですがね、先生」

「はい」

「昨日、浮浪者の惨殺死体が見つかったんですよ。・・・・・・ほとんど体は残って無く、遺体の一部が見つかっただけなんですが・・・・」

 拓也の脳裏に、嫌な旋律が走った。

「その遺体の一部を調査した結果、牙の跡から馬鹿でかい獣に襲われたと言う結論に到りまして・・・・・・」

「それじゃあ・・・・・・」

「実を言うと、私、先生が言っていたことは半信半疑だったんですがね。いるようですね、怪物が」

 そう言って、権藤は口をつぐんだ。

 拓也は衝撃を受けていた。“あれ”はまだ生きている。

 言いしれぬ恐怖と怒りが、拓也から言葉を奪っていた。

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