4.―birth―【6】異形の怪物

【6】

 拓也は廊下の角までようやく辿り着こうとしていた。

 少女の身体が、拓也の脇をずり落ちてく。まるで、骨のない生物のようだ。

「しっかりしろ!」

 拓也は、床に横たわる少女を抱き起こそうとしながら、後方を振り返った。

 銃口をそちらに向けながらの行動だったが、そこに標的はなかった。追ってくるものと想像していた小林の姿が、廊下から消えている。疑問に思いながらも、膝を付き、少女の腕を肩へかけた。


 キィイィィィ・・・・・・・・ン


 静寂に包まれていた空間に、鼓膜に痺れを伴う甲高い金属音が鳴り渡り、拓也は天井を見上げた。

『・・・・ハアァ・・・・ハアァァ・・・・ハァァ・・・・・』

 地下に人の、荒い息づかいの音が木霊こだまする。

『・・・・・・妻夫木・・・・・・』

 どこかに埋め込まれたスピーカーからだろう。四方から、小林の声が響いてきた。

『お前が開けさせたんだ。・・・・・この地獄の門を・・・・・』

 荒い、興奮した息に小林の声が混じる。

『あの世で後悔しろ! ヒャアハハハハハ・・・・・・』

 甲高い笑い声が長く響きわたった後、小さくプツッと言う音がし、突然静寂せいじゃくが戻ってきた。自分の荒い呼吸だけが、廊下に響く。

 その音が、止んだ。

 呼吸を止め、感覚を集中させる。


 ・・・・・・グルルルルルルルルルルルルルル・・・・・・・・・・・


 地の底から響いてくるような、低く重い不気味な唸り声を、拓也の鼓膜は捕らえた。

 それは、次第に大きくなる。

 拓也は呼吸を潜め、暗い廊下を見つめた。研究室より奥の廊下から、熱気のような気配が伝わってくる。廊下の奥は、暗くてよく見えない。

 しかし、拓也の目には、何か動く物を捕らえた気がした。

 そしてそこに、赤い点が現れた。徐々に、数が増す。

 「それ」は、拓也の方へ、方向を転じているようであった。

 暗闇に、深紅の点が六つ並んだ瞬間、それは赤い光を輝かせた。


 拓也は立ち上がり、荒い息を再開した。

 それに見覚えがあった。研究棟の廊下で見たあの光。紛れもないそれであった。

 そしてそれは、肉食獣の瞳が発するものであることも、拓也には予想がついた。

 拓也は、その瞳を凝視しながら、静かに後ずさった。

 が、その肉食獣が、すでに拓也達の気配を捕らえていることは、疑いようがなかった。

 六つの瞳は、拓也達の方に深紅しんくの光を向けたまま、徐々に大きくなっている。

 複数の低く唸る声が、廊下に木霊する。

 血のような色をした眼光は、拓也の顔の高さ程の位置で輝いている。そのことから、かなり大きい生物だと言うことは想像が付くのだが、拓也の記憶の中に、それと一致する生物は思い浮かばなかった。

 その巨躯が、研究室から漏れる明かりの中へ、入ってくる。

 現れたのは、3頭の肉食獣であった。

 黒い体毛に覆われ、獅子の如きたてがみが風を切るように後方へ流れている。

 内臓をほふる為に突きだした顎からは、塗れ光るはがね色の牙が見えていた。

 横に並んだその生物の顔は、一見、犬科の生物に見て取れるのだが、大きさが犬では有り得ない。宙に並ぶ3つの首は、廊下の幅一杯に、暗闇から突き出ていた。

 拓也は、何時しか後退の歩を止めていた。

 好奇心が、その角から横へ移動することよりも、勝っていたのだ。

 何かが、おかしい。眼前の生物に、違和感を覚える。

 その生き物がまた一歩、前進した。前足が、明かりに入ってくる。現れた前足は2本だけ―──。

 その生物の上半身が、灯に浮かび上がる。3つの首は、一つの胴体から生えていた。

(―──ケルベロス⁉―──)

 冥界めいかいの番犬として知られる神話上の生物の姿が、そこに在った。

 背筋に冷たい旋律せんりつを覚えた瞬間、拓也は銃を腰に構えて引き金を引いた。銃声と共に放たれた散弾銃の鉛のつぶては、ケルベロスの身体の中心に向かって走ったが、四方のコンクリートの壁に全てめり込んだ。

 ケルベロスの硬い獣毛が、全ての礫を弾き返したのだ。

 拓也は、2連発式の猟銃を投げ捨て、横に向かって走り出した。

「ガアアアアアアアアア!!!!」

 3つの口腔から天空に向かい、重なり合うようにして咆哮ほうこうが上がった。

 その咆吼が止み終わらぬ内に、3つの口から涎を飛び散らしつつ、ケルベロスの足が地を蹴った。同時に拓也も少女を右腕で抱きかかえ、廊下の奥に差し込んでいる青い月光の方向へ向けて全力で走った。

 背後からケルベロスが迫り距離を詰めている事は、地面から伝わる振動と音から分かった。

 左の壁が、振動で揺れる。ケルベロスの巨体が、角を曲がる際に走る勢いを方向転換出来ず、壁に激突したのだ。

 衝撃を受けたコンクリートの壁から土煙が立ち昇り、破片がバラバラと地面に落ちる。衝撃を与えたケルベロスの方は、それをものともせず、拓也の方へと駆け出していった。

 拓也は開いたままのコンクリートの扉の下を、全力で駆け抜けた。

 だが拓也はこの扉を閉じる手段を知らず、またそれを探している暇もなかった。

 少女を階段の上に横たえ、歯車を押さえていた金属の棒を両手で掴み、全体重をその金属棒に乗せる。歯車から外れた棒がどこかの鎖に絡み、止まった。壁を支点として鎖が棒に引き出され、軋む。

 ケルベロスの唸り声と地響きは、刻一刻と近づいてきていた。

 その太い鎖を引きちぎるのは、人間の力では不可能に思えた。

「ちっ・・・・くしょう!!」

 鎖のの一つが、軋みながら姿を変えていく。

 地鳴りがすぐ側に来た。

 突然、拓也の握る金属の棒から抵抗が消え失せ、分断された環が宙に舞った。壁から伸びていた鎖が、壁の中に猛烈な勢いで吸い込まれていく。

 その時、拓也の足元に、黒い影が伸びてきた。

 上下の顎が、拓也の脚を挟み込もうとしたその瞬間―──。

 地鳴りと、牙同士がぶつかり合う音が響きわたった。

 支えを失った壁が落下し、猛獣の頭部に落下していた。

 左の頭は首を挟まれて骨を折っていると思われるのにも係わらず、その首を懸命に伸ばし、拓也の脚に食らい付こうと上下の牙をガチガチと噛み合わせている。中央の頭部は完全に頭蓋骨を砕かれ、その周辺の壁や床を黒く塗れ光らせていた。右の頭部はこの壁の向こう側に在るようだ。鼻先を壁の隙間につっこみ、唸り声を発している。

 左の頭部が、喉を潰したため出せぬ声の代わりに血しぶきを撒き散らしながら、拓也を憎しみのこもった瞳で睨み付ける。

 拓也は、不気味に光る深紅の左の眼に向け、鉄の棒を突き刺した。頭部が反り返り、多量の血しぶきがその口から吹き上がる。同時に壁の向こうから、地を揺らすような咆吼が響きわたった。

 拓也はその鉄槌に全体重を掛け、頭部を地面に押しつけた。ゴリッと言う音がし、下顎の根本から、金属の棒が突き出てきた。壁の向こうから、怒りの咆吼が絶え間なく響いてくる。突き刺した棒を、こねくり回す。

 壁の向こうの怒号どごうが、次第に小さくなり、やがて、静寂が訪れた。

 目を閉じたまま、全体重を棒に預けていた拓也が、薄く目を開いた。体中が、水を浴びたように汗に濡れている。青く染まる世界の中で、足元の生物は、黒い塊と化していた。

「うわああああああぁぁぁぁ・・・・・」

 壁の向こうから、悲痛な叫び声が漏れて来た。

 拓也は棒から手を離し、少女を抱きかかえた。

「何てことをするんだ、何てことを・・・・・」

 小林の泣き叫ぶ声が、近づいてくる。

 その声を聞きながら、拓也は後ろ向きに階段を上がって行った。

「覚えていろ! 妻夫木! ・・・・・・お前だけは・・・・お前だけは決して許しはしないからな! 覚えていろぉぉぉ・・・・!!」

 地の底から木霊する小林の声を背に受けながら、拓也は森の中を歩いて行った。

 森の木々の間をすり抜けてくる風が、拓也の頬をなぶっていった。



─────────────────────

【あとがき】

 第1章完結です! 読んで下さった方、誠に有り難うございます。

 如何でしたでしょうか? ご意見やご感想を頂けると幸いです。

 応援よろしくお願い致します。

 ↓

https://kakuyomu.jp/works/16818093076854781559 


 ようやくバトルに入ったのですが、本格的な異能バトルは2章終盤になります。

 全76話ですが「入り江の女」が再登場するのが50話、正体が明らかになるのが71話になります。37話で新キャラが出てくるのですが、ここで運営の方から指摘が入ったらどうしようかと思っています。

 最後まで読んで頂けると嬉しいです。

 お付き合いの程、よろしくお願い致します。

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