4.―birth―【5】贄

【5】

 ジャリッ・・・・・。

 廊下に、コンクリートの床を覆う乾いた土埃つちぼこりを踏みしめる音が、木霊こだまする。

 拓也は視界のかぬ暗闇の中、左手を冷たい壁にわせながら、慎重に歩を進めていた。

 小林が中にまだ居るであろう事は予想出来たため、明かりを点けてこちらの存在を知らせるようなことは出来ない。

 可能であれば足音も完全に消し去りたいがそれはかなわず、出来るだけ静かに、気配を探ることに神経を集中しながら歩を進めていた。暗闇と、体重移動にも神経を使っているため、前進は思ったようにはかどらない。

 拓也には、小林が教授に内緒で、何かの研究をこの廃屋で行っているという確信があった。

 最近の小林の行動。深夜にこの廃屋に出入りしている事実。

 問題は、それが何か、ということである。

 人に知られたくない研究であることは、確かであろう。

 小林に対する不審感。それが拓也が今この場所に居る、このような行動を起こさせている原動力となっていた。


 壁を這わせていた拓也の左手から、突然感触が消失した。

 左手を少し戻す。手の感触は、壁のかどを捕らえていた。

 拓也は壁に身体を預け、角から顔だけを乗り出す。そこには、まだ廊下が続いていた。

 ただしこれまでと違う点は、薄い明かりが存在していたことだ。廊下の左側に並ぶ一室の窓から、ぼうっとした明かりが廊下へと差し込んでいる。

 拓也は廊下を曲がり、明かりが灯る部屋へと急いだ。

 電灯が点いているとはつまり―──。

 居る。

 そこに誰かが、居る。

 恐らくは小林が。

 人に知られたくない研究を行っている、彼が。

 拓也の動悸は高まった。

 部屋の扉の前まで移動した拓也は、扉の窓から中を覗き込んだ。

 人の気配は感じられない。

 その部屋の明かりは点いていなかった。明かりは、更に奥の部屋から漏れてきているようだ。

 拓也は、窓からその部屋の中を見渡した。一見して、研究室のような場所だと言うことが分かった。中央に大きなテーブルがあり、その上にビーカーやフラスコが置いてある。壁際の机にはパソコンが置いてあり、書類が山積みになっていた。

 そして、入口から見て左手から、明かりが漏れてきている。

 拓也はノブを掴み、音がしないようにゆっくりと回した。

 鍵は掛かっていない。

 扉を押すと、静かにその扉は開いていった。

 拓也はその部屋の中に足を踏み入れ、周りを見渡しながら、左手の方へと向かった。

 部屋の中は、机から壁の至る所まで、書類やメモで埋まっていた。小林一人の研究成果が書かれた物であるならば、かなりの研究を熱心に行っていたことがうかがい知れる。

 拓也は、明かりが漏れている方へ目を向けた。

 異世界へといざなうように、扉が開かれている。

 明かりが点いているのは、さらに奥の部屋だ。

 拓也は入口の壁にへばり付き、そこから中の様子を伺った。

 そこは細長い形をした部屋であった。

 コントロール装置のような物が並んでいる。装置の前には椅子が3つほど無造作に置かれているが、そこには誰も座っていない。

 異様なのは、その装置の正面がガラスで仕切られていたことだ。

 仕切ると言うことは、その先の部屋にある「何か」が危険である事を意味する。そして透明なガラスを使用すると言うことは、その危険な「何か」を観察するためと思われた。

 「何か」とは一体―──。

 拓也は恐怖より好奇心が勝った。

 操作室の中を注意して見渡したが、人影はない。

 拓也はその部屋の中に入り、明かりの点いた、大きな硝子がらす窓で仕切られている部屋に注目した。

 その部屋は、かなりの大きさを有していた。広さは、一つの教室程あるだろうか。広さは教室程度だが、その部屋の殺風景さが、更に部屋を広く感じさせていた。

 ガラス張りになったこの壁の他の3面は窓もなく、中央に白い物体が一つ置かれている。天井からの電球に照らされたそれは、先ほど小林が肩に担いでいた物だ。

 拓也が居る部屋の端に、その部屋へと続く扉があった。速やかにそこに移動し、その扉の把手を掴む。その扉にはチェーンが掛かっており、扉も重厚な造りとなっていた。

 拓也は、改めてガラスを見た。横から見ると、そのガラスはかなり厚いことがわかった。もしかすると、防弾ガラスなのかも知れない。

 拓也はチェーンを外し、上下2つ付いたL字型のノブを、同時に回す。ドアは向こう側に、ゆっくりと開いた。

 拓也が居た部屋から死角となっていた場所に人影がないか確認し、ドアを開いたまま、中へと踏み入れる。

 異臭がまず鼻をついた。

 中へ入って驚いたが、死角となっていたガラスから続く壁は、檻となっていた。

 拓也はその鉄格子に近づき、気配を探る。

 気配は感じられなかった。

 が、近づくと異臭がさらに濃くなった。

 蛋白質が腐った匂い。

 獣が発するようなその臭いは、この檻の奥から漂ってくるようであった。

 拓也は視線を檻の方に向けたまま、部屋の中央へと近づく。

 物体の手前で顔を正面へ向け、そこに横たわる白い塊を見つめた。

 拓也がシーツと思っていた物は、そうではなかった。布には間違いないのだが、その中央、縦方向に、ジッパーが縫いつけてある。

 拓也の脳裏に、嫌な予感が走った。

 それは、拓也も実物を見たことはなかったのだが、死体袋と呼ばれる物ではないだろうか。改めてよく見ると、袋は人体の形に膨らんでいる。

 どうするか思案していた拓也だが、意を決し、ジッパーに手を伸ばした。

 ゆっくりと、ジッパーを開いていく。

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