4.―birth―【4】廃屋へ

【4】

 拓也は自室で書斎の机に座り、椅子に深く腰掛け、暗い窓の外に視線を向けていた。

 拓也は、今日の出来事を回想していた。

 教授が地面に横たわる姿。黒い森。

 そして、その黒い森に門番のようにたたずむ廃屋となった旧第一研究棟。

 夜になるとそこから唸り声が響いてくるという噂。

 廃屋はいおくに近づくなと言いつつ、その側で血を流し倒れていた教授。

 廃屋の付近で、真っ昼間に忽然こつぜんと姿を消した小林。

 しかし権堂が言うには、血痕は廃屋の方向に続いていなかったという。

 長い時間、前方に視線を向けていた拓也は、机の上に視線を落とした。机の上には車のキーが無造作に置いてある。拓也はそのキーに視線を落としたまま、動かない。

 そのまま、静かな時が過ぎていった。部屋の時計の針が動く音が、妙に大きな音で部屋の中に響きわたる。

 おもむろに、拓也は椅子から立ち上がった。

 振り返り、部屋のドアに向かう。

 拓也の手に握られた車のキーが、宙を回って透き通る金属音を立て、手の平の中に収まった。


◇◇◇◇

 拓也は、暗い闇が覆う空間にいた。月明かりも、周囲にそびえ立つ木々に遮られ、ほとんど拓也の立つ場所には届いていない。

 あの廃屋の前に、拓也は立っていた。

 日中は、薄いきりのように微かに感じられた異空間いくうかんが、今ははっきりと現世うつしよと異なる空間として、眼前に広がっていた。

 昼間は陽光に照らされるようになったこの季節でも、夜はまだかなり寒い。

 拓也にはその冷気が、この廃屋から伝わってきているように感じられた。

 深夜、薄い月明かりのもとで見るこの建物は、目には影としか映らず、圧倒的な質量として拓也におおかぶさって来ている。

 それは、5階建ての校舎よりも、大きな質量に感じられた。廃屋の屋根の上から木の枝が張り出し、拓也の頭上に覆い被さっているからかもしれない。

 いや、やはりこの廃屋の存在感が、目に見えない圧のようなものを拓也に送っているのだ。

 つたに覆われた、廃屋。

 その縦横じゅうおうに走る蔦は、まるでこの廃屋を縛り付け、拘束しているように見える。

 この森の意志が、本能的にこの廃屋に危険を感じ、この森に封印してしまおうとしているかのごとく、蔦をこの廃屋に這わせたように感じられる。


 静かだった。

 昼間、研究生達が話していたような呻き声など、微塵みじんにも鼓膜に届いてこない。

 聞こえてくるのは、ゆるやかな風になびく、葉が触れ合う音だけだ。

 拓也は廃屋の前を歩いてみた。静けさの中に、拓也の足音が混ざる。

 やがて、建物の端まで辿り着く。その向こうは、暗闇に包まれた、森だ。吸い込まれそうなほどの深淵しんえんやみが、そこに広がっている。

 拓也は意を決し、この廃屋の裏側に回ってみることにした。

 足を、木々の間へと踏み込ませる。草と落ち葉で覆われた地面が、拓也の体重を受けて沈む。拓也は暗闇の中で、一歩一歩足元を確認しながら、奥へと進んだ。足元を確認しながら、廃屋を見上げてみる。建物の側面も蔦に覆われ、やはり窓らしき物は見あたらない。

 足元を確認しながらの前進は、思ったようには進まなかった。それでも、拓也は廃屋の角にまで辿り着いた。

 角を過ぎ、視線を廃屋の裏側へと向ける。

 拓也は、そこで躊躇ちゅうちょした。

 廃屋の裏側は全く光が届いておらず、闇に慣れた拓也の網膜もうまくにも、何も映らないのである。完全な闇が、そこを支配していた。

 前進しようにも、前に何があるのか全く確認する事が出来ない。

 手探りでこの闇の中に踏み込み前進したとしても、何も見えないため、何も情報を得られそうにない。ましてや、地面に大きな穴が穿いていたとしたらそれを避けるすべはなく、足を踏み入れてしまう事となる。

 拓也は、何か明かりとなる物を探した。確か、ポケットにライターがあったはずだ。

 拓也は、自分の衣服のポケットを探ってみた。


 パキッ・・・・・

 突然の音に、意識が鼓膜へと集中する。その音は、小枝が折れた音のようだ。

 ザッ・・・・・

 続いて、草がぎ倒され、踏みしめられる音。

 誰かが、この森の中に足を踏み入れたようだった。

 音からして、今拓也がいる廃屋を挟んだ反対側から。

 拓也は、廃屋の裏側を覗き込んだ。

 森の奥に向かって、円錐状の光が無秩序に揺れている。懐中電灯の明かりのようだ。

 懐中電灯を持った人物が、森の奥に向かって進んでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る