4.―birth―【2】第2の犠牲者
【2】
「妻夫木先生」
図書館から研究棟へ戻る途中、拓也は自分の名前を呼ぶ男の声を聞いたような気がして振り返った。
辺りは既に薄暗くなり、裏庭の一角に黒い影が動くのが見えた。
その影は権藤刑事だった。濃緑色のコートを着た権藤刑事が、真っ直ぐに裏庭を横切って拓也の方へ歩いてくる。浅黒い顔に笑みを浮かべたまま拓也の
「あの事件があった翌日、病院へ行ってますね。先生」
わずかに顔を傾け、拓也を見上げる格好で権藤は訪ねた。
「他に被害者らしき人物はいないか、この辺りの病院を捜査していましたら、大学病院で先生の事を聞きましてね」
「・・・・・・」
拓也は言葉を探したが、出てこなかった。
権藤は渡り廊下のコンクリートに足を乗せ、拓也の脇に立った。
「何を隠しているんです? 先生」
「別に隠しているわけではないんです。ただ、話したところで信じてもらえるか・・・・・・」
拓也は視線を斜め下方に向けた。
「実は先生」
沈黙は、権藤刑事が破った。
「あの晩、あの時間に研究棟の中にはもう一人の人物が居たんですが、見ていないですか」
「なんですって?」
拓也は視線を権藤刑事の瞳に向けた。
「大学のIDカードでの入出記録を調べたところ、あの停電の少し前、一人の人物が研究棟に入って行っているんです」
「誰ですか?」
拓也は、その事実に興味を抱いた。自分が見た人影、そして自分を
「小林秀一と言うんですが、ご存じですか」
「小林・・・・・」
拓也は視線を落とし、小林とあの晩の記憶とを重ね合わせた。
確かに、研究棟に出入りできるのは研究棟の人物だけだ。あの窓に映った人影も、背の高さは小林と一致する。しかし小林が、人を一撃で昏倒させることが出来るような体術を身につけているとは思えない。
だが、権藤刑事が調べたところによれば、あの晩、研究棟の中にいたのは、自分以外には小林だけだと言うことになる。・・・・・・いや、裏口が壊れた後になら、IDカードが無くても棟内へ入ることも可能ではあるのだが。
拓也は権藤刑事の方を見た。権藤は、拓也の言葉を待っている。
この刑事になら、話してもいいかも知れない・・・・・・。
拓也は権藤の目を見ながら、そんな予感が走った。自然に口から言葉が漏れ始めた。
「実は・・・・・・」
拓也はあの晩に起こったことを話し始めた。
窓の人影。その人物を追っていったところ、
「獣・・・・・・ですか」
「暗くて姿形は分からなかったんですが・・・・・・3頭居たと思います。瞳が六つ、光ってましたから」
「3頭・・・・ですか・・・・・・」
今度は権藤が視線を落とし、考え込んでしまった。そのまま、言葉を発しない。
「何か・・・・・・?」
拓也は訪ねてみた。自分は正直に、あった出来事を話しただけだ。何か疑問が生じるような内容を、話したつもりはない。
少しの間をおいて、権藤が言葉を発した。
「いえね・・・・・・。森に残された足跡は、一頭だけだったんですよ。・・・・・・それも大型の・・・・・・。それが3頭もこの付近にいるとなれば、人目につかぬはずが・・・・・・」
権藤の言葉は、突如夕闇を切り裂いた悲鳴で打ち消された。
拓也と権藤は、同時にその声のする方向に視線を向けた。
一瞬早く、権藤は走り始めた。遅れて拓也も、裏庭に向かって走り出す。
その方向は、権藤が現れた方向の逆側の裏庭からだった。
裏庭の端まで来て、左右を見渡す。裏庭を回った校舎の角に、一人の女学生が立ちすくんでいた。視線が校舎の裏側の角に釘付けになっている。
「どうした!!」
権藤が女子学生の肩を掴み、声を上げる。
女学生は視線を固定したまま、ゆっくりと校舎の裏側へ続く角を指さした。拓也は、その指先が指し示す方向に目をやった。
校舎の角の地面から、人間の腕が覗いていた。
拓也はその方向に走った。権藤が後に続く。
角に近づくと、白衣を着た、白髪の男が横たわっている事に気付いた。
その男の周りの地面が濡れている。拓也は男の顔を覗き込んだ。
「教授!」
その男は小野寺教授だった。
拓也は、
「教授‼」
教授の顔は蒼白だった。唇が青く、白衣の腹部から下が、赤黒く濡れていた。
権藤が近づき、白衣をはだける。教授の腹部から、おびただしい血が流れ出し、教授の下半身を濡らしていた。
「おい! 君! 救急車だ!!」
権藤は、女学生に向かって叫んだ。
女学生は、
暫くして、震える声で救急車を要請する弱々しい声が聞こえてきた。
権藤は素早く教授の傷具合を調べ、止血を行っている。
拓也は、腕に教授の顔を抱いたまま、教授の名前を呼び続けていた。
蒼白の顔の瞳が薄く開き、青ざめた唇が、微かに震えた。
チ・・・カ・・・・・・
拓也には、教授の唇がそう動いたように見えた。
一度だけ開かれた教授の唇と瞳は、その言葉を言い終えると、再び閉じられた。
拓也の腕にかかる教授の重みが増す。
「教授!!」
叫ぶ拓也の声に、教授が答えることは、無かった。
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