3.出現 【8】小林秀一
【8】
時刻は昼を迎えていた。
拓也は遙花が作ってくれた弁当を食べ終え、自分で
拓也は椅子に深く座り、コーヒーを口に運びながら、ブラインド越しに窓の外に立つ緑の木立を見上げていた。
視界の端に、動く物を拓也は捕らえた。
白衣を着た人物が対面する校舎沿いに、左から右へと足早に移動している。大学研究棟の助手として働いている
小林が助手を勤める
せわしげな足取りで歩く小林を目で追いながら、拓也は相変わらずだな、と、そう思った。いつも何かに追われているような、おどおどした神経質そうな動きだ。
裏庭とは言え、その空間は多少の広さを有していた。向かいの校舎沿いに歩く小林は、拓也の視線には気付いていないようだ。
小林が建物の
拓也は違和感を覚えた。小林の今の態度は、ただ角を曲がる際の左右確認の動作ではなく、他人の視線を確認する態度に見えた。そして、小林の向かった方向。そこには何もないのだ。いや、正確には使用されている施設など何もない。
校舎の裏側は森となっている。昔、研究棟として使われていた
拓也は外に視線を向けたまま、椅子からゆっくり立ち上がった。
持ったままのコーヒーカップから冷めたコーヒーを飲み干し、そしてカップを机の上に置き、研究室を出る。廊下を歩き、研究棟から出ると、
向かいの校舎へと歩いてゆき、校舎の裏側へと向かう角を曲がる。
そこには異空間が広がっていた。
この校舎は敷地の端にあり、この裏地には木々が生い茂っていた。
木々が太陽光を遮り、例え太陽が位置を変えても日が射すことがないこの場所は、日が当たる位置に立つ拓也の場所とは違い、空気さえ湿って感じられた。
ねじくれた太い枝が校舎へと伸びたこの場所は、
角を曲がった瞬間に気付いたことだが、そこに、誰の姿も見つけることは出来なかった。
拓也は校舎の裏側に沿って歩き出す。影に入った途端、冷気が拓也の全身を包んだ。
人が踏み入れることのないこの場所は、地面も積層した枯葉で作られていた。
拓也は、その柔らかな地面を歩いていく。
暫くすると森の中に、木々に覆い尽くされようとしている、廃屋が見えてきた。
その廃屋は2階分の高さがあり、小さなアパートほどの容積があった。奥の方は、木々が邪魔をして、よく見えない。
拓也は、その廃屋を見ながら歩を止めた。
左右を見渡すが、何処にも、人の気配さえ感じられない。
時間的な経過から言って、小林が消えたとしか思えなかった。この校舎に裏口はない。
視線を森に戻す。木々と校舎の影となった薄暗い空間に、整備されていない地面と、薄汚れた廃屋が建っている。
拓也は、森と化した敷地に足を踏み入れた。生い茂る雑草に邪魔されながら、廃屋へと近づく。
玄関前で立ち止まり、拓也は廃屋を見上げた。
壁一面に汚れと植物がへばりついている。
廃屋には窓がなかった。昔、この棟は細菌研究を行う研究室が
この棟が使われなくなったのも、危険性のある細菌が漏れたためだという噂もあった。
そのために解体が行われないのだ、との話しも。
拓也は廃屋の扉に視線を向けた。
腐りかけた木の板に、赤い文字で「立入禁止」と書かれてある。
扉も使用した形跡など、僅かにも感じられない。ここも枯れた
試しに扉のノブを回してみる。
思った通り、鍵がしっかりとかかってある。
(ちっ・・・)
ノブから手を離し、手を見た拓也は舌打ちした。
少なくとも、ここ数週間は誰も触れていない証拠だ。
その時遠くで、午後の講義が始まる予鈴の音が鳴り響いた。
小林が
拓也は、廃屋を眺めながら後方へと歩を進め、それから元来た道を引き返していった。
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