3.出現 【7】3大欲

【7】

 家に帰ると、遙花が起きて待っていてくれた。

 食事は済ませたと言うと、脱いだ上着を受け取り、クローゼットへ掛けてくれる。

 拓也は熱い風呂に浸かり、寝室のベッドに身を横たえた。

 暫くすると片づけを終えた遙花がかたわらに横たわり、今日一日の出来事を話し始めた。

 いつもは出来事の詳細を事細かく話す遙花も、さすがに今日は時間が遅いためか、すぐに寝息を立て始めた。

 拓也も今日一日色々な事があったため、身体は疲れているはずなのだが、なかなか寝付けなかった。いや、その色々な出来事が拓也を眠れなくさせていた。

 荒らされていた自分の研究室。

 ―──そして、伊吹の顔・・・・・・。

 また幻覚を見たのだろうか?

 伊吹の顔の造型も、冷静に思い出してみれば整っている方だろう。しかし伊吹の顔は、日本人の実在の人物として有り得る顔なのである。

 拓也は入り江の女の顔を思い浮かべる。

 その顔は月明かりの逆光で輪郭りんかくが明るく輝き、その分、顔の中心は暗くなっている。影になっているため彼女の一番の特徴である白い髪よりも、瞳や唇が際立きわだつ。 

 その顔は、拓也がこれまで会った人、映像や雑誌で見るモデルにでさえ見たことが無い程、完璧な造型であった。彼女の容姿は、今まで見てきた自分の記憶の中のどれとも当てはまらない。国籍を当てはめようとしても当てはまらないのである。人類全ての人間が理想だと思う形を想像すれば、彼女になるのかもしれない。

 一言で言ってしまえば、有り得ないのだ。

 全人類が理想と思う造形など、およそ不可能なのだ。各民族、各個人それに時代によって思い描く理想像が違うのであるから。

 だから拓也はあの日の出来事を夢としか思えないのであった。

 伊吹の顔を実在の人物として受け入れている自分や自分以外の人物がいると言うことは、伊吹は入り江で出会った女と同一人物では無いことになる。つまり伊吹の顔の造形とは無関係に、またあの映像がフラッシュバックしたのだ。

 「入り江の女」の顔が脳裏をよぎるきっかけは一体何なのだ?

 そして何故、その頻度が高くなっている?


 思案している内に拓也は、益々ますます頭が冴えてきて寝付けなくなってしまっていた。

 明日も講義がある。こんな無駄な時間を費やしている場合ではなくて、寝なくてはならないのだ。

(無駄な時間、か・・・・・・)

 人はどれほど無駄な時間をついやしながら生きているのだろう。無駄な時間を省けば、大海へと早く到達できるのではないか。・・・・・・いや、人間は本当に真理に近づいているのだろうか。

 最終的にはその状態、真理を得た状態にいずれは到達するのであろうが、何故人類は真っ直ぐにそこへ到達することはせずに、まるで曲がりくねった川のように無駄な道を選んでいるのか。蛇行して距離が長くなるという事は、もちろんそれだけ時間がかかっているという事だ。

 何がこの川を曲げる原因となっているのか。

 自然災害などで、そんな事を求めている場合ではない、ということもあるだろう。

 それ以外で川を曲げる要因となっているものは何か。

 それは人間の欲望ではないだろうか。

 人間の3大欲と呼ばれるもの。

 食欲。 性欲。 睡眠欲。

 これら全てのものは人間の生理的なものから来ているとされる。生物としての本能が欲しがるものだ。人間が生きたいと思っている限り、無くならないのだ。

 他にも自己顕示欲じこけんじよく物欲ぶつよく等々あるが、元になるのはこの3大欲から発したものだ。

 欲が無くなることはあるのだろうか?


 先ず、睡眠欲。

 人生の1/3はこの時間に費やされているとされる。つまり寝なければ人類の進歩は確実に約30%早まることになる。

 しかし、これは人体の構造上、睡眠欲を捨て去ることは出来ない。睡眠は脳や身体が疲労したため起こる現象だ。睡眠を取らなければ脳はオーバーヒートを起こし、脳細胞の破壊が起こる。もしくは、疲労が蓄積ちくせきされてゆき、体調不良や病気を引き起こす事となる。

 脳や身体の働きを極力押えるか体力を上げるという手段をとり、睡眠時間を減らす事は出来ても「ゼロ」にすることは無理だろう。睡眠欲を皆無にすることは、人間の身体の構造上不可能である。

 次に食欲。

 これも人体が常に細胞が生まれ変わる構造となっている限り、無くす事は出来ない。人間が生きていく上で、必要不可欠とされる要素の一つである。

 より美味おいしいものを食べたい、という物欲を押えるという事は出来るだろう。

 ただ、安定して食事を得られるという事に対して人間は、採取・農耕から始まり、流通、販売と多大な労力を要している。

 つまり、睡眠と食に関しては、生きる限りその欲望を減らす事は出来ても、無くす事は出来ないのだ。

 そして性欲。

 これも、生物として備わった本能の一つであるが、これまでの2つと違い、一生を送るに当たって本当に必要な欲望かと問われると疑問が生じてくる。「性欲」が満たされないからといって、死ぬという事はないからである。

 仏門に入った人間は、物欲という煩悩ぼんのうの他に、この性欲という煩悩の消滅を目指す。

 修行の妨げとなるこの欲望の象徴をと呼び、それを修行のために切り落とす者もいるくらいである。

 しかしこの生殖せいしょくという行為が、全ての生物にとって、ある意味永遠の命を与えているといっても過言ではない。病や老い、そして死という問題を解決する手段としてこの欲望は存在する。

 そして、この欲望から派生した人生の伴侶はんりょを得る事、自分の子を授かるという事に、人間がどれほどの喜びを得ているかわからない。

 人を愛する。

 自分以外のために生き、生きる目的とする。

 前述の二つの欲望と違い、「個人」が生きるためだけではなく、「種」が生存していく為に必要な欲望なのだ。

 が、この欲望を満たすためには多大な労力を要する。

 眠るためには場所がありさえすればいい。空腹を満たすためには、身体を使って食物を見つけてくればいい。また、食物を蓄えておくと言う方法も人類は知っている。

 しかし、この生殖という行為のために、人類は男女という二つの性を持ち、互いの気を引くため化粧をし、力を誇示こじし、他者と争う。

 相手が自分の物にならぬと苦悩し、悲嘆ひたんする。

 相手に受け入れてもらおうと、時間と労力を費やす。

 結果、その労力が報われ結婚し、子供が産まれると、子供の成育のためにまた多大な時間と労力を要する。それは、自分が生きる為よりも多くの時間を、他者の為に費やす結果となっている。

 さらに、異性の目を引くために自己顕示欲というモノが派生したのであれば、自己顕示欲はいずれ世界の覇権をも考える欲となる。

 この自己顕示欲は、それが増大すれば、戦争と言う事象を産み出してきたのだ。


 何故このような、多大な労力を使う有性生殖ゆうせいせいしょくを人類が選んだのか。

 それは種としての多様性を生むためだ。

 種の全員が全く同じ性質であると、必ず死に至るようなウィルスが一種類でも発生した場合、種の滅亡となるからだ。

 種の多様性が必要でなければ、男女の性の違いも生まれなかった。

 そして、性欲という欲も発生しなかっただろう。

 では、ウィルスに対して完璧な防御機構を人が持っていれば、性欲は生まれなかったのか? 否、人を死に至らしめるのはウィルスだけではない。

 人は必ず老いが生じ、死が訪れる。怪我をし、それが大怪我であれば死に至る。生殖を行わず、自己の不慮の死を避けるためには、自己のコピー、複製を造っておくしかない。

 しかしコピーはごく希にコピーエラーを起こす。ごくわずかなエラーでも、複製を重ねていくと、オリジナルと全くけ離れた物となってしまう。

 無性生殖むせいせいしょくの場合、このコピーミスを修正する方法が無く、エラーが蓄積されていくことになるのだ。また、自分の意志でコピー出来ることは、無秩序に人口増加を引き起こす可能性もある。自己の死の可能性を極限まで減らすには、無限にコピーするしかないからだ。

 つまり性欲を無くすためには、ウィルス等への完璧な防衛機能と、完璧な自己複製もしくは自己修復機能を持たなくてはならない。

 かつ、その生物は環境の変化にも完璧に順応出来なくてはならないのである。


 無駄な時間をゼロにする。

 それは、睡眠と食物の摂取を必要とせず、けして死なない。

 そんな完璧な人間に成り得なくてはならない。

(人がそんな超人間に成れるはずはない・・・・・・か・・・・・・)

 諦めにも似た考えに至りながら、拓也は眠りに落ちていった。

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