3.出現 【6】幻影

 人間をコンピューターもしくはロボットとして考えるなら、遺伝子はハードディスクに書き込まれた身体しんたい構成ソフトだと伊吹は言う。脳はプロセッサーかつメモリー。

 ソフトは自己改良型で、毎日アップデートされる。ソフトの中身は、人の一生で獲得した形質は保存できるが、その入れ物である本体部分は老いという老朽化が訪れる。

 そのためソフトは新しい筐体きょうたいを得、新しい記録媒体を得なければならない。

 そこで生殖という書き込み直しが行われる。

 但し、そこで問題なのは、ディスクに容量の制限が行われる事だ。ソフト自体の制限も受ける。右腕は1つなのに、それを形作るソフトが2つあっては困る。

 よって、新しいディスクは2つから半分づつ受け取る。

 制限を受けてはいるが、基本的な形質は受け継がれると言うわけである。

「つまり、遺伝子もさっき話した川の流れと同じ。伝承されていく物なのよ」

「・・・・・・なるほど、さっきの知識の伝承は、ここで言うメモリー部分の伝承になるわけだな」

「そう!」

 嬉しそうに伊吹が答える。

「ここでもしディスク容量がアップグレードしたらどうなるかしら? これまでよりも多くの内容を書き込めるようになった。廃棄するはずのプログラムを残せたら・・・・・・どうなると思う?」

「どうなる・・・・・・? 難しい質問だな・・・・・・。プログラムが増えるんだから本体の機能も上がる・・・・・・」

 拓也は考え込む。加えるとすれば、どんな機能が欲しい? 腕が3本になったところで、それはそんなに必要なことか・・・・・・?

 ・・・・いや、そうではない。

 人類が多種多様なのは、如何いかなる環境の変化やウイルスにも対抗するためだ。対抗できた者だけが生き残ってきた。

 様々な驚異に対し、個人で対応出来るようになるのではないのか?

 つまり、人類という種が、生命体として強靱きょうじんになる事が可能なのではないだろうか。

 遺伝子の中には休眠状態のモノがあり、必要に応じ目覚めるという。過去遭遇したウイルスや環境に適応する為、進化の過程で得た過去の形態の記録も残る。

 これまでは制限のため不必要な遺伝子は捨ててきた。しかし多様性を選択した人類は、個人が捨てたとしても、誰かの中には遺伝子情報が残っている。人類が持つ全ての遺伝子情報を集約した人間は、どのような環境や驚異にも対抗し得る・・・・・・?

「人を超えた、新たなしゅ・・・・・・」


 拓也がつぶやいた途端とたん、突然議論は遮られた。

「あ、もうこんな時間!」

 伊吹が腕を顔の方に近づけ、驚きの声を発した。

 拓也も腕時計に目をやり、わずかに目を見開いた。時間は23時を回っていた。

「ごめんなさい、遅くまでつき合わせてしまって。奥さんに怒られちゃいますね?」

「いや、今日は遅くなると言ってあるから・・・・・・。伊吹先生こそ大丈夫ですか? 送りましょうか?」

「大丈夫です。それより、私も車があるので大学まで戻っていただければ・・・・・・」

 二人は席を立った。

 拓也が食事代を払おうとしたが、彼女がどうしても、と言うことで結局各々おのおの個人払いする事にした。二人は駐車場に停めてあった拓也の車に乗り込み、大学の方へと車を走らせた。

 車中では、伊吹がしきりに話し込んでしまったことを謝罪していた。

「ごめんなさい。暫く話す相手もいなかったものだから、夢中になっちゃって・・・」

「いいんですよ。また続きを聞かせて下さい」

 車は5分ほどで大学に辿り着いた。拓也は正門の前で静かに車を停車させた。

 ゆっくりと伊吹の方へ顔を向ける。

(―──え!?)

 伊吹はこちらを見ていた。

 街灯が彼女を逆行で浮かび上がらせ、拓也の鼻腔びくうから頭頂部にかけて痺れがはしり、軽い酩酊めいてい感を覚えた。伊吹の顔がかすみがかり、異なる顔が揺らめく。

 アルビノのように白く、輝く顔。

 深紅の瞳。

 その容姿、それは―──。

(君は・・・・・・)

 拓也の口から、その言葉は出てこなかった。

 自分の記憶にある「入り江の女」の特長とイメージが、伊吹とズレていると言うこともさることながら、もし違っていた場合、5年前の出来事を説明するすべがないのだ。


 その沈黙の時間は、ほんの一瞬だったのかもしれない。

 しかし拓也には時間が止まったかのような長い刻に感じられた。

 その停滞した時間は、伊吹の微笑みで破られた。

 その瞬間に、霞も霧散する。

 目の前には、何時もの伊吹の顔があった。

 彼女が何か言葉を発したが、耳に入らなかった。

 笑みを浮かべながら彼女は、首をゆっくりと反対側へと回していく。

 車のドアを開き、左足のヒールをアスファルトへと触れさせる。

 拓也はまだ口がけずにいる。車外へと出ていく伊吹を見つめるしか出来なかった。

 伊吹は車外へと移動させた身体を反転させ、開いたドアから顔を拓也に向けた。

「―──じゃあ、先生。また明日」

 そう言うと静かに車のドアを閉め、身をひるがえし、駐車場へと歩いていった。

 拓也は暫く伊吹が溶け込んでいった闇を見つめていた。

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