3.出現 【2】ジャンクDNA

【2】

 拓也は深夜の研究室にいた。

 専攻せんこう分子ぶんし生物学せいぶつがくである。

 現在拓也は、蛋白質たんぱくしつを合成する構造こうぞう遺伝子いでんしの研究を行っていた。

 よくDNAと遺伝子のことを同義語として扱われているが、そうではない。ヒトのDNAは約30億ついあると言われているが、この中の特定部分が蛋白質を作る働きをする。

 例えば、一列に並んだ配列のa区間でAという蛋白質を作り、またb区間でBという蛋白質が作られる。このa、b区間のことを遺伝子いでんしと呼ぶのである。

 この遺伝子で作られた蛋白質が、我々の身体からだを構成する。

 重要な情報を記憶するDNAだが、そのうち90~95%は「ジャンク」と呼ばれる意味のない物とされている。

 DNAから蛋白質の合成を行うには、まずDNAの遺伝子情報をRNAと呼ばれる形に置きえる。DNAという原紙げんしからRNAという紙にコピーすると言ってもいい。

 このRNAを使って蛋白質の合成をするのだが、その前に暗号あんごうを整理するという作業がある。一列に並んだ暗号の必要な箇所だけ切り取ってつなげ合わすという作業を行うのだ。

 そして、この翻訳ほんやくされた物で蛋白質が作られる。

 例えばRNAにコピーされた文字が次のような物だとする。

“BHDSIFEHWUIHIWHPFIWUHFJIUHKJH”

 実際には、DNAに組み込まれている暗号はアデニン(A)、グアニン(G)、チミン(T)、シトシン(C)4つの文字だが、ここではこのような文字だと仮定する。

 次に、傍点のついた箇所を切り取り、つなぎ合わせる。すると

“TANPAKUSITU”

 このような文字配列が出来る。これを蛋白質を合成する部署にもっていくと

“たんぱくしつ” → “蛋白質”

 という文字に直してくれると言うわけだ。

 そして、切り取ったその他の部分は捨てられるというわけである。

 ゆえに「ジャンク」と呼ばれる。           

 さらに、“意味する物”とされる箇所でも、現在その意味が分かっているのは10%程度だ。ヒトのDNAは、全体のおよそ2%程しか解析かいせきされていないのである。

 拓也はその深淵しんえんの世界を覗こうとしていた。

 解明されているDNA配列を分析し、特定の配列パターンを見つけだし、最終的には、まだ解明されていない遺伝子配列解析まで可能なプログラムを開発したいと考えていた。

 30億対もの配列を解明しようと言う研究は、1990年から世界的な規模で行われた「ヒトゲノム・プロジェクト」で、予定より2年早く2003年に完了し、そのデータは公開されている。その後は「ジャンク」と呼ばれる部分の存在理由追求が世界的規模で研究されているのだ。

 世界的な規模で行われているこの研究は、拓也一人の力で、また大学の少ない研究費で新たな発見が容易に出来るような代物しろものではなく、作業は困難を極めていた。


 研究室に他の人間の姿はなく、拓也一人だ。静かな部屋に、タイピングの音だけが響いていた。拓也は手を休め、ふと顔を上げた。

「・・・・・・もうこんな時間か・・・・・・」

 拓也は時計に目をやり、つぶやいた。時間は夜の11時を回っていた。作業を初めて、いつの間にか4時間以上もっていた。

 まぶたを閉じ、指で目頭めがしらを押さえる。長時間画面を見つめていたために乾燥した眼球に痛みが走る。椅子いすにもたれかかって頭を後ろに倒し、ひとみうるおいが戻るのを待つ。

「・・・・終わりにするか・・・・・・」

 拓也は作業の続きを明日にまわす事にし、出来たところまでの動作チェックをすることにした。プログラムを保存し、アプリケーションをクリックすると画面が青く変わり、その画面上に原色の球体がポツポツと現れ、画面上を回るように移動していく。

 次第に回転速度を上げ、竜巻たつまきのように回転しながら収束しゅうそくし、螺旋らせん構造を形作っていった。2本のくさりが絡まりながら画面の上へと伸びるそれはゆっくりと回転し、周辺を白い球体が取り巻くように回転している。

「ん?」

 螺旋はそのまま回転を続けている。本来ならここから別の動きをするはずであったが、画面の動きは拓也の予想から外れたものだった。

「失敗か・・・・・・」

 そう思ったとき、突如とつじょ画面がらぎ、視界をやみが襲った。

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