1.夏の夜の夢 ー夜光虫―

 坂道は、長年人が往来おうらいすることによって出来た階段状となっており、湾曲わんきょくした入り江に沿った螺旋らせん階段のように下へと延びていた。

 視界には、静かな海が変わることなく広がっている。

 小道はいつの間にか土から岩石の階段に変わり、波の音は次第に大きくなっていった。

 拓也の足は、階段状になった石から平らな岩場へと移り、そこは波に洗われた滑らかな岩が広がっている。拓也は、その岩の上を数歩進んだ場所で止まった。

 後2、3歩進めば砂浜に降りることになる。

 砂浜に打ち寄せる波の音が、鼓膜にはっきりと届いていた。

 海は水平線まであおく暗く広がり、月明かりを反射させている。

 はっきりとした波音なみおとと潮風に吹かれているうちに、理性が意識を刺激した。 

(何故俺はこんな所へ来てしまったのだろう・・・・・・)

 拓也は後悔していた。この坂道を上がるには、結構な体力を要することを思い出したのだ。自分がこの坂道を上っていく姿を想像し、気恥ずかしささえ覚えた。

 潮風に、粘りつく湿り気を感じ始めた拓也は、今来た道を引き返す決心をし、きびすを返した。


 バシャッ・・・・・・


 背後で、聞き覚えのある音がした。

 それが、先ほど丘の上で聞いた音だという事を思い出すのに、数秒を要した。

 先ほどより距離が近いためか、今度ははっきりとした音として聞こえた。

 そしてそれが、小魚が跳ねた音とは異なることも───。


 拓也は身体を半身はんみにして振り返った。

 しかし海は、いましがた見た姿と何ら変わることなく、静かに広がっている。

 身体をゆっくりと海に対峙たいじさせ、海を真っ直ぐに見つめる。

 そこは先程と同じ暗い海が、月明かりを照らし返しているだけのように見えた。水面みなもに月の明かりがきらきらと、長く延びた逆ピラミッドを形作っている。それは頂点へと、浜へと延びてゆくほど波による陰影が大きくなり、おぼろな形となっていた。

 その朧な青白い光の中に、より青く光る一角を先程拓也は、振り返った瞬間に見ていた。それはこのモノトーンの世界であったからこそ気づくことの出来た、ごくわずかで、しかも一瞬しかその姿を見せることのなかった出来事であったが、その美しい蛍光色は拓也の網膜を十分に刺激していた。

  ───夜光虫───

 拓也の脳裏にその名が浮かんだ。

 発光を行う海洋生物は数多くいるが、海上から発光現象を見れる数少ない生物の一つである。その発光原理は、物理的な刺激を受けることにより発光するという珍しい現象だ。

 夜間船を走らせると、その船によってしぶく波が、まるでブラックライトを浴びているように青い蛍光色を放つのを見ることが出来る事がある。

 拓也は、その光が消えゆく瞬間を見たようであった。

 しかし───。

 拓也が見たものが夜光虫の発した光だとすればそれは、そこで何らかの生き物が動いた証拠であった。しかも、入り江の入り口付近─拓也の立つ岩場から約30m程離れた光が見えたのだとすれば、小魚程度のものではない。

 この入り江にそれほどの大きさの生物が迷い込むことは、あまり考えられなかった。


 海はまた、何事もなかったように暗く静まり返っていた。

 浜に打ち寄せる波は、変わらず一定の波音を繰り返している。潮風も優しく、静かに立っていなければこの微風を感じることは出来ないほど緩やかに吹いていた。

 ときはゆっくりと流れていく。

 拓也はさきほど見たものは、目の錯覚か、月明かりの反射加減でそう見えたのではないかと思い始めていた。

 その時。

 入り江の中央付近で青白い燐光りんこうがぼうっと浮かんだ。

 その中央が青白く輝き、海面が盛り上がる───。


    バシャアッ。


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