トリエラ・トリエッティの誤算
うしさん@似非南国
トリエラ・トリエッティの誤算
トリエラ・トリエッティは転生者である。
今とは違う場所、違う時代、いや、多分だけれど、違う世界の記憶を持っている。
現在の自らとも、自分の周囲の人々とも違う、地味な黒や茶色の髪に、大抵の場合、自分よりも黄色味を帯びた、それでもごく明るい色の肌の人々の住む、四角い大きな建物ばかりが目立つ土地で、自分もそんな人々に埋もれて暮らしていた、そんな記憶。
まあそんな遠い場所の記憶があったところで、今の生活には特に役には立たないので、普段は忘れ切っている。
四角い大きな建物なんてこの辺には存在しないし、今住んでいるのは上から見たらほぼまん丸い、草葺き屋根を持つ高床式の風通しのいい家だ。
そのような、丸い、木と草でできた家がいくつも立ち並ぶ、巨大な木々の生い茂るジャングルの中にある村が、トリエラの今住む世界なのだから。
トリエラ・トリエッティはこの村でひとりきりの金髪の娘だ。長くながく伸びた金の髪は、自然にくるくると巻いていて、櫛を通すのに毎度苦労する。何故こんな長さに、とおもわなくもないが、この村でこんな髪の持ち主はトリエラだけだし、他の人たちはそもそも髪の毛がないので、散髪の概念自体がない。過去に前世とやらの記憶に基づいて、せめて半分くらいの長さに切ることを主張してみたのだが、育つものを収穫でもないのに切るだなんて、と、取り合って貰えなかった。
そういやこの人たち、周囲のジャングルも育ち放題伸ばし放題で愛でてる人たちだったわ。と、思い出したトリエラはその主張を諦めた。
ただ、流石に歩くのにも支障が出そうだったので、きつく三つ編みにして、くるくると頭に巻き付けるという手法で、歩くときに引き摺らない程度の長さにまとめることにはしている。これは周囲の住民には割合好評だった。
「おはようトリー、今日は何処に行こう?」
隣に住む幼馴染、友人であるモシェが今日もトリエラの愛称を呼び、声を掛けて来る。
ああ、今日も調子が良さそうだな、いい発色をしているわ。友人を視認したトリエラはにっこり笑う。
「おはようモシェ、そろそろクショの実が無くなるから、森に行こうかと思うのだけど」
クショの実は、洗濯に使う木の実で、村から一時間ばかり歩いた先に纏めて植えられているものを、必要に応じて随時取りに行くことになっている。
この辺りは一年中程々に暑い。どんな木の実も花も、年中ある程度は手に入る。
なのでこの辺りの住人は、植物に合った場所にそれらを纏めて植える以外は、特に手入れもせずにその恩恵を享受できている。
いや、木の実盗人と言われている何種かの鳥や獣を狩ることはある。ただ、狩った命は必ず食用にするから、手入れではなく、あくまでも食べるための狩りだ。それ以外は、余程の群れで襲来してこない限りは、追い払うことさえ稀だ。
「あ、いいわね。うちもそろそろかなって思っていたの。ついでにケッケも採ってきましょう?」
モシェのいうケッケは、クショの実と似た環境に生える蔓草で、実は食用に、蔓は道具に、葉も香りづけや食品を包み焼きにする際の包みものに、と、大変使い勝手の良い植物だ。特に部位を指定しない場合は、実の話である。
そうして話がまとまったので、トリエラとモシェは蔓編みの籠を背負い、早速森に入る道に向かって歩き出す。
この辺りに危険な動物は早々出ない。いてもモシェがどうにかしてくれる。
「おう、東ってことはクショか。うちのもついでに採ってきとくれよ。あとで魚を一匹お裾分けするよ!」
今日の門当番はモシェの家の反対側に住んでいるクッカで、そんな提案と共に、ぴかりと光って、綺麗な空色から半透明になった。
成程、海で獲ってきたと思しき大きな魚が何匹か見える。クッカが獲って来たのか、これまたお裾分けなのかは今の所謎だけど、貰えるのならそれに越したことはない。
「わかった。ふたりで運ぶわね」
モシェが代表して返事をして、ふたりは森へと踏み込んだ。
トリエラ・トリエッティは友人であるモシェの後ろをついて歩く。大柄なモシェの後をついていく方が体力の消耗が少ないからだ。
モシェ自身は住民の中では小柄なほうだが、そもそもトリエラより小柄な住民など、いない。
今日も何事もなく、クショの木の群生に辿り着く。
「じゃあ取るから受け止めてね!」
モシェが触手を伸ばして、クショの実をぷちんと取り、そのまま落とす。トリエラがそれを受け止める。慣れた作業だから、落っことしたりなんてことは、まずない。
今日のモシェも、藤の花の色。ご機嫌な時の彼女の色だ。機嫌や体調が悪いと、ケッケの実のようにどんよりした暗い色になるけど、トリエラはそんな色のモシェを、殆ど見た覚えがない。
三軒分のクショを採り終え、クショの木に纏わりつくケッケから、程よく熟した実をもいで、それぞれ口に放り込む。
爽やかな香りと甘酸っぱい味が、暑さを払うようで心地よい。
「ああ、やっぱり採りたては美味しいわねえ」
「そうね、干したのも悪くはないけど、やっぱり採りたてよね」
二人で笑いあいながら、ある程度食べ、そうして持ち帰るぶんとそれを包む葉も少々頂く。
森に囲まれたこの村の暮らしは、大体いつもそんな感じなのだ。
それ自体は、全く自分にも合っている、とトリエラは思う。平和で、ゆったりとした、争いも競争も、飢えもない暮らし。
ただ、過去の世界の記憶を思い出してしまうと、ちょっとだけ寂しくなるだけだ。
トリエラ・トリエッティは、この村唯一の人族であるが故に。
この村の住民は、ふよん、ぷるぷる、とでも表現すべき、柔らかい身体をした、目と口こそあるが、手も足もない――伸縮性の高い触手はある――そう、前の世界の知識でいえば、直立歩行するスライムか、水母のような知的生命体たちだ。種族としての自称はメジェッタというそうだ。
この世界に元々いた生き物ではなく、随分と昔に『漂着した』種族なのだそうだ。
村のある陸地には、トリエラのような手足を持つ種族はいない。近くの海の丸い湾の底に、古いふるい都市の跡、遺跡があって、そこの住民はトリエラのような種族だったかもしれない、とは、昔そこまで潜って調査をしたことのあるクッカの言だ。
トリエラ・トリエッティは赤子の頃に、この村の近くに流されてきた子供だ。
難破船の破片と思しき幾つもの木片や、死んだ人が流れ着いたりも結構あるそうなので、この陸地と違う、遠い場所には、どうやらトリエラと同じ種族がいるのだろう、という話だった。ただ、生きて流れ着いたのは、これまでにトリエラ・トリエッティただ一人だとも。
トリエラの名は、赤子の時に着ていたものに刺繍されていたものだそうだ。
今までに漂着した色んなものの中には、そこそこの数の書物もあったので、自分達では文字を使わないメジェッタの皆も、他所の文字を結構読める。文字は三種類ほど見つかっていたから、トリエラも教えて貰って、どれも一通り読める程度には覚えた。
なんでも、この陸地からある程度以上離れると、とても強い海流があって、そこから先には行けないのだそうだ。
難破した船も、その海流に壊されたのだろうと皆は言っている。そして、そこから生きて流れ着いたトリエラは大変運のよい子だとも。
見た目は違うけど、メジェッタの皆も、わたしも、漂着仲間だから、一緒だ。
トリエラ・トリエッティはいつもそう言って笑う。皆もそうだそうだ、と笑う。
漂着したものたち同士、ずっと仲良く住んでいければ、それでいい。
トリエラ・トリエッティと、そしてメジェッタの皆の、ささやかな、願い。
ところがだ。
ある日、海に出ていたクッカが物凄い勢いで村に戻ってきた。普段なら綺麗な空色の身体が、困惑するように青に緑に、瞬いている。
「どうしたのだクッカよ。随分慌てておるではないか」
村で一番年寄りのメジェッタで、物知りのファレが宥めるように薄曇りの空のような色を揺らめかせ尋ねる。
「他所の土地の、船が来たんだ!壊れていない、ちゃんと動くやつが!」
クッカの言葉に、騒然となるメジェッタ達。この地に住んで数百年、壊れていない船など、見たことがない彼らである。
「んでだな、トリエラみたいに手と足がある連中が乗ってた!頭は黒かったけど!」
そう言いながらケッケは自分が見たものを身体の色を変え、映し出して見せる。
なるほど、黒い頭やちょっとだけ茶色っぽい頭、手足を持ち服を着た、トリエラと同じ形状の民が船の上で右往左往する姿。
幾人かが指をさしているのは、クッカを視認したためだろうか。
「うーん、これは、トリエラにちょっと頑張ってもらわないとだめかねえ。我々の姿を見て、こんなに驚いてるんじゃ、ちょっと悪いことが起きかねないよねえ」
心配そうに、ファレが考え込む。
彼らが読み溜めてきた、漂着書物には、征服論やら、人至上主義やら、結構彼らからみては過激な事も書いてあったりしたので。
そんなわけで、トリエラ・トリエッティは育ててくれた皆の為に、海岸へと向かうことになった。
無論本人もそれを希望した。自分と同族かもしれないものたちを、一回くらいは見ておきたかったからだ。
半透明になると視認が困難になることを利用して、モシェとクッカも付いてきてくれることになったのが、大変心強いトリエラである。
海岸に出る。食べられる海藻や貝を採りに、何度も着た場所だけれど、明らかに今までに見たことのないものが目に映る。
大きな、どうやら木ではない何かで作られた構造物。いや、トリエラの、生まれる前の記憶が知っている。あれは鋼鉄船、金属で作られた大型船だ。
おお、初めて、生まれる前の記憶が役に立った。トリエラ自身もびっくりだ。
トリエラ・トリエッティを視認したらしき、船上の人々の動きが慌ただしくなる。降ろされたのは縄梯子と小型の舟。
するすると器用に安定の悪そうな縄梯子を伝い降りた三人ほどが乗り込んだ小舟は、案外ゆっくりした速度で、海岸に近づいた。
[あー、我々の言葉は判りますか?]
唐突に声を上げるひとり。生まれる前の記憶と大差がないのであれば、若い男。
メジェッタの言葉とは別だが、幸い、文字を覚えた言語と同じ言葉のようだから、言っていることは判別できる。
そういえば、あの文字、三種類もあるのに書いてある言語は全部同じだったな、とトリエラは思い出す。
取り合えず頷いて、[はい]とだけ答える。
ああでも、少し、ってつけるべきだったか。常用していないし、そもそも音として聞くのは、初めてだから、多分、早口で言われたりしたら、判らない。
[返事をありがとう。この土地に、他に人間は住んでいますか?]
男はなおもゆっくりした口調で問いかけて来る。難しい質問だ。メジェッタの人々は住んでいるが、彼らを、この人たちの基準で人間と呼んでいいものか?前の世界だと、多分、アウトだ。
ちょっと首を傾げて見せる。ここで慌てるのは多分悪手だ。
[ええと、人族、という意味でいいなら、わたしだけ。住民自体は、他にもいる]
無難なところではこんな返事だろうか。今までこんな面倒な事、考えたこともなかったけど。
ああ、あの箱型の建物の世界の記憶が、こんな風に役に立つ日が来るなんて、思っても見なかった。トリエラは結構忘れてしまったそれを、必死で思い出しながら、見知らぬ人々との会話を続けていく。
話を続けて判ったのは、この船は、この陸地からずっと北東のほうにある国を出て、探検行をしている探索船で、トリエラ達が住んでいる陸地、彼らの言うところの『幻の南大陸』を探す旅をしていたのだという。
[わずかな文献に記述があるだけで、あるかないかも判らない大陸と言われていた地に辿り着けたら運がいいね、くらいのものだったのだがね、まさか本当に実在しただなんて]
船の一行を代表して喋っていた男性は調査の為に乗り組んでいる学者で、大変感慨深げにそう言う。
湾の底に都市の遺跡がある、という話が同定の決定打だったようだ。
「なるほどねえ、本当にあの都市の住民はトリエラみたいな人たちだったんだね」
トリエラの耳元で囁くようなクッカの声がする。そのわずかな声を聞きつけたのか、学者とは別の人間がきょろきょろと辺りを見回し、そしてトリエラの背後に視線を向けた。
[学者の旦那、気を付けな。そいつの後ろになんかいやがるぞ]
わざわざこちらにも判るように忠告するなんて、気の利いた人だな、とトリエラは思う。
[ええ、わたしの連れがいますよ。人族ではないので、驚かせないよう隠れていますけど]
前の記憶の世界と似たような種族構成であったなら、メジェッタの姿はきっとびっくりされてしまうだろうけど、隠しておくわけにも多分いかないだろうな、と、トリエラはあっさりと同行者の存在を明かす。
[ほう?人族ではない、と申しますと?]
学者が興味津々の様子で身体を小舟から落ちない程度に乗り出す。
[こんな姿な訳だが、似たようなものは君らの国にいるかね?]
トリエラの言葉で、隠れる必要はないと判断したのか、クッカがその空色のゼリーのような姿をすい、と現す。
[……これはまた、随分と、個性的な方ですね]
たっぷり一分ばかりの沈黙のあと。学者が放った言葉は、大変理性的なものだったので、トリエラはほっとした。
同行者の方は、ただ、ぽかんとして大きく口を開けて固まっているだけだったが。
それから、メジェッタの民と、東方連邦という国から来た人々は、ごく普通に交流を始めた。
もうちょっと忙しくなるんじゃないかと思っていたトリエラ・トリエッティは、予想外にも、今までとあまり変わらない暮らしを続けている。
ただ、髪の毛はようやっと切ることができた。何せ、男性ばかりだったこともあって、人族は髪を伸ばしっぱなしにはしない、ということがようやっとメジェッタの民にも、理解してもらえたので。
今は腰より少し長い程度の、それでもそれなりの長さだ。モシェが長い方が綺麗だと主張したので。
トリエラ・トリエッティの出自は、今もまだはっきりとはしない。東方連邦の人たちが言うには、彼らの国の正反対の方向にある、大西方というところのどこかの国の人だろう、とは言うのだけど。残念ながら彼らと戦争をしたりしたようで、国交がないからそれ以上は判らないのだそうだ。
戦争なんて単語、此処に来てから初めて聞いたな、とだけ思うトリエラである。もう終わった戦争の話など、どうでもいい。
村にも、船で来た人たちが数人住み始めた。南大陸の調査と、できれば交易もしたいのだそうだ。
村ではお金が流通していないけれど、この大陸にない食料なんかが、メジェッタの民にも魅力的に映っているようだ。
彼らは最初こそメジェッタの民の姿に驚いていたけれど、彼らが大変知的で友好的なので、すぐに馴染んでくれた。
トリエラ・トリエッティは、この村でのんびり一生を過ごすつもりでいたのだ、ひとりだけの人族として。
ここにきて、その計画にはちょっとした修正が必要になったようだ。
これは誤算とでも、言えばいいのだろうか。
「トリー、ケッケを採りに行きませんか」
メジェッタの民の言葉をすらすらと操る人族の男。
船乗りたちにも学者と呼ばれていた彼は、メジェッタの民の言葉や生きざまに興味を持ち、また、トリエラに一目惚れしたのだといい、真っ先にこの村に居を移し、今ではすっかり元から村にいた民のように暮らしている。
「そうね、モシェも誘っていいかしら?」
にっこり笑ってトリエラは答える。モシェは今でも大事な友人だ。
「有難いね、モシェの実の採り方は、僕じゃ真似ができないからね」
これもにこやかに答える男は、年が明けたらトリエラの夫になるのが、もう決まっている。
だって、メジェッタの民を個性的、で済ませられるようないいひと、そう簡単には捕まらないものね。
ちょっぴり打算はないでもないが、トリエラ・トリエッティは、未来の旦那様を、結構、いや大変、気に入っている。
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