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 夜道に紛れるようにコソコソと移動し、なんとか零号室に裏ルートから入り込んだ頃には日付が変わっていた。

 疲労感でクタクタになっている僕とは正反対に、テクネはデラ缶を一気に飲み干すと作業を始める。


 これまで採取した現場の三次元データを全てハログラム化すると、それを室内に投影した。

 そこに犯行当時の映像を立体復元したものを重ねていき、時間と場所というレイヤーがいくつもオーバーレイした状態だ。

 肉眼で理解するには脳の処理が追い付かないほど複雑な世界である。

 上空にはグラフや波形パターンなどを解析した図表がいくつもピックアップされる。

 さらにいくつかのツール操作画面が立ち上がると、あらゆる数字が変動を始めた。

 僕にはまるでわからないシステムだったが、とんでもない並列作業をしていることはテクネの指捌きと唸るマシンの様子で実感させられた。今は魔女というより、マリオネットを操る人形使いだ。無言で無表情、憑かれたように見えない糸を手繰り寄せる彼女の所作には神秘的な美しさもある。祈祷や舞のようでもあった。


 ――と、僕もぼんやり眺めているわけにはいかない。

 とりあえず関係各位に連絡して謝らないと。しかし携帯電話は電波圏外を示す。僕の体質のせいかとも疑うが、テクネが妨害防止のためにオフライン作業するとか言ってたな。IIS管制センターの結界のように電波シールドを施したのだろう。

 ならば少し屋外に出ようと思ったが、ドアにはロックが掛けられていた。内側からなら解除できるはずだが、それらしきボタンは見当たらない。力任せに開けられるものでもない。


「ボクの承認がない限り部屋のシステムは他人が動かせないよ。作業集中モード時は誰にも邪魔されないよう絶対不可侵領域に設定してるから、ここは天の岩戸になる」

 テクネは手も視線も止めないまま、こちらに声を掛けてきた。

「ちょっと出たいんだけど……」

「ヤダよ。このままノンストップでいく」

「どれくらい続ける気?」

「デバッグ含めて七十二時間、ブッ飛ばせば六十時間で片をつける」

 その間中、僕はここから出られないのか? まるでじゃないか!

「ボクから離れることは許さないからね。これからちょっとサイケデリックなのが続くけど、慣れたら空飛んでるみたいに気持ち良いから」

「ああ……? あわわわわわわわわ」

 気づけば室内のハログラム映像はグチャグチャに溶け合い、極彩色が混ざり合うヤバい絵図となっていた。高熱が出たときに見る悪夢のような、初期の人工知能が無造作に生成した合成イラストのような、そんなイメージである。ここは地獄か、宇宙の終焉か。一秒を永遠に引き延ばされたような錯覚、マクロからミクロへフラクタルの世界に吸い込まれていく。ずっと凝視していたら精神が狂うに違いない。

 僕は部屋の片隅で丸まり、ぎゅっと目を閉じて震えていた――。


※省略


「……終わったよ」

 寝ても覚めてもどこを見ても、抜け出せない曼荼羅まんだら模様が延々とズームされるような空間が、突如として元の白い研究室へと戻った。

 どのくらいの時間が経過したのだろう。携帯電話は充電切れを起こしていた。頭がズキズキと痛むし、深く眠ることもできなかった。瞼の裏でも光が点滅するせいで、意識が朦朧もうろうとする。

 腹も減った。室内には例の甘ったるいコーヒーのストックしかなく、食欲は増すばかりだった。何もしていないのに、いやしていないからこそ極限状態であった。

「とりあえずシステムと電力を生活モードに切り替えたよ。シャワーでも浴びてきたら?」

「うー……」

 頭をスッキリさせたかったし、まとわりつく汗も流したかった。お言葉に甘えてシャワールームを借りるとする。


 簡素な脱衣所で裸になり、浴室で熱い水流を頭から浴びる。頭蓋骨内側からやわらいでいく感覚があった。徐々に思考力が回復してきた。

 テクネは透明人間になれる擬態化ハログラムを完成させたのだろうか? 成功であれば、とりあえず狩井カリイさんに見てもらおう。

 そして対策案を速やかに関係機関で実施してもらい、一刻も早くあの犯人を捕まえる必要がある。利市リイチさんには悪いが、実行犯さえ押さえればひとまずの被害拡大は防げるはずだ。それにあの蛇のような男から内通者のことは聞きだせばいい。

 それよりも前に、事後になってしまったがあちこちに連絡を入れなければ。心配や迷惑をかけてるはずだ。テクネの子供じみた衝動は仕方ない、その責任を取るのが大人たる自分の役目である。


「――どうやら成功のようだね」


 湿気と湯気に囲まれる浴室で、何故かエコーのかかったテクネの声がした。キョロキョロと見渡すが、誰もいないはずだ。いや、蒸気の流れが何かおかしい……?

「バーン!」

「ちょっ……!」

 さっきまで背後には何も見えなかったはずなのに、ビリビリとした細かい光の粒が明転すると、そこにはファイフラだけ装着したのテクネがいた。すっぽんぽんである。

「ビックリした? これが擬態化ハログラムの実証だよ。特別サービスつき」

「――は、犯罪者にさせないで!」

 透明人間になれたらやってみたいことランキング男編第一位であろうお風呂に潜入をやられてしまったが、これでは立場が逆である。

 僕は自分の股間と目を塞ぐのに精一杯だった。

 未成年少女の裸体については詳細な描写はできない。だって何も見ていないからな!

 たとえ誰かに目撃されていないにしても、こういう事態はマズい。こちらの意思や状況関係なく、社会的制裁を喰らうのは男のほうなのだから。

「なにさ、昔は仲よくお風呂に入る間柄だったんでしょ? 今更焦ることある? お尻にでっかいホクロあるね」

「ジロジロ見ないでよ! えっち!」

 どうして成人男性の僕のほうがたじろいでいるのだろうか。とにかく早くここから退出しないと! 僕はテクネをかわして脱衣所へと駆ける。

「――待って、ボクから離れるなって言ってるだろ」

 彼女のどこかの柔肌やわはだが僕に触れて、ドキリとしてしまった。

 思いがけないことに足をもつれさせ、転倒する。それに後ろのテクネも巻き込まれる。仰向けに寝転んだ彼女の上に覆いかぶさる僕。父さん、ラッキースケベは本当にあったんだ……。

 おおおおおおおお落ち着け。


「……何してるんですか?」


 ――ハッと顔を上げる。そこには一番いて欲しくない人がいた。阿澄アスミヒナさん、どうしてここに?

「病院を抜け出して丸三日間連絡ナシ。あらゆる手を尽くして追跡経路を割り出せば監獄のように閉ざされたこの場所に辿り着き、ガス溶断とグラインダーでずっと格闘してたんですよ。突然、中から開錠されたかと思えば、何ですかコレは? 鉄穴カンナさん、未成年には手を出さないって約束しましたよね?」

 世紀末にやって来なかった恐怖の大王がそこにいた。怖すぎて顔を伺えない。

「違うんですよ! これはテクネの実験に付き合ってただけで……」

「へえ、全裸で?」

「結果としてこんな状況だけど、僕は何もしてない!」

灰瀬ハイセさん、本当ですか?」

「ボクはただ、男の人がこういうの好きだって聞いたから……」

 やめろー! 誤解をさらに深めるような発言をしないでくれ。どうしてこんなときだけ顔を赤らめてモジモジするんだ。

「見苦しい言い訳をする男、最低」

 責任を取るのが大人たる自分の役目である。覚悟完了!

 阿澄さんの鉄拳が僕の鼻にめり込む――。

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