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 記録文書係のデスクに戻れば、まだ昼前なのに珍しく蔵内クラウチさんが登庁していた。


 蔵内ギンヤ、先ほどの狩井カリイさんの話にも出たが、東都大学出身で本庁に関東支局、さらには警視庁捜査一課にも出向して多くの難事件を解決してきたという公安情報庁のエースだった人だ。

 相当なキレ者でクセ者だったらしく、一匹狼で内部にも敵が多かったと聞く。

 実は、僕の父ハチロウがこの荒くれ者の先輩で新人時代に直接指導をしていたらしく、その手綱たづなを握っていたというから驚きだ。

 能力に反して性格はだらしない。酒と煙草と賭け事に生活費をつぎ込むという、絶対に付き合ったらイケナイ男選手権で優勝しそうな生き様を今も更新し続けている。

 一番の失態は多額の経費でギャンブルを長年していたこと、発覚すると当時直属の上司であった佐理伴サリバン次長の鉄拳制裁と島流しによって今に至るらしい。

 外見の印象は乾いた植物、枯れかけた樹木のようだった。手入れしてないボサボサに伸びた髪と不精髭。年齢は四十過ぎというのに狩井さんと違って覇気がないため、より老けて見える。スーツもずっとクリーニングに出してないだろう、皺と汚れが目立つ。ジャケット姿は見たことがなく、上は常にワイシャツか、寒くなってもジャンパーを羽織ってくる。胸ポケットには老眼鏡。そして、今日も酒と煙草の匂いを漂わせているのが鼻につく。

 僕は、正直言ってこの人が苦手、というか嫌いだった。


 僕は自分の机に資料とアタッシュケースを置きながら、上司に挨拶する。

「……おはようございます」

「アナクロ。本庁の人間に呼び出されたって? 女帝サリバン陛下にでも絞られたか」

 蔵内さんは仕事もせず、ハログラムで競艇の中継映像を眺めて新聞に赤鉛筆をこすりつけていた。

「なんでそんな大物の名前が。違いますよ」

「そうか? てっきり、不穏分子をしょっぴいている冷血女王のことだと思ったんだがな。お前みたいな機械クラッシャー、歩く電磁バースト、どこを押しても削除キーと呼ばれる存在は破壊工作にピッタリだ。……おい、近づくなよ。映像が途切れるだろ」

 内密だと思われたスパイ探しの話、この人も掴んでいたとは、やはりあなどれない。

「狩井ユキツグ、という方でしたよ。がっしりとした体格で、眼帯した男性。知ってます?」

「かりい……、本庁にいたときに会ったことはないな。……ん? 待て。どこかで聞いた名前だな。そうだ、半年前に防衛情報本部からの出向でウチの軍事調査部門に配属になったらしい。軍の背広組だよ。キャリアなら幹部になってどっしり構えるものを、どうも現場が好きな変人みたいだ」

「……そういう情報、どこで仕入れるんですか。まさか人事のデータ勝手に見てるんじゃないでしょうね?」

「もうそんな野暮やぼなことはしねーよ。喫煙所にいれば自然と情報ってのは集まってくるもんなの。お前も煙草吸え」

 軍人、どうりで情報機関の人間とは少し違う風格が漂っていたわけだ。そこらへん紹介しなかったのは開示不要だと判断したということなのだろうか。

 ――軍事調査の人間が透明人間についても関わるとは? 兵器がどうこうとも言ってたな。ステルス迷彩の技術なども関係するのだろうか。

「そうだ、阿澄アスミさんも。特命によりこれから透明人間事件の協力者聞き込みのために席を空けることが多くなると思います。こちらの業務も並行処理しますが、フォローをお願いします」

「どうせ元々俺と定年間際のじーさんでやってた仕事だ。お前一人減っても屁でもない」

 蔵内さんは何もしてないでしょうが! というツッコミは胸の中に仕舞っておく。

鉄穴カンナ先輩、あの事件の調査するんですか! すごいですね。こっちのことは気にせず励んでください」

「ごめんね。書庫の段ボールとか運べるものだけでいいから。重いし、高いところにもあるし」

 阿澄さんには事務作業の処理速度では勝てないので、せめて肉体労働は買って出ていたのだ。男としてのささやかなプライドもある。

「大丈夫ですよ~。小さいときに紛争地帯の難民キャンプで地雷を避けながら三十キロ離れた井戸まで生活用水をポリタンク四つ分満タンにして歩いて運んだことに比べたら、楽勝ですから!」

 阿澄さんは本当に優しくて良い後輩だった。時々意味のよくわからないことを言うけど。

 ――と、ここで蔵内さんの眺めていた競艇の実況アナウンスが盛り上がっていた。音声くらいミュートして欲しいんだが。

「あー! ちょっと3号艇出遅れすぎだろ。やっぱ今回のエンジン音、あれ不調だったのか? うわ、これもう取り返せないわ。……2-4-1、か。この4号艇の若手意外とやるなあ。いやあ、有り金全部溶けたわ。あー最悪最悪。次のレースは……」

 蔵内さんはブツブツと独り言をつぶやくと、おもむろに席を立ちあがる。

「どこ行くんですか?」

「喫煙所会議だよ」

「蔵内さんは、透明人間事件のこと、気にならないんですか?」

「興味ないね。透明になっても金儲けにならん。どうせなら未来予知を授けてくれよ」

 かつて幾多の難事件を解き明かした情報機関の実力者であっても、ギャンブルには勝てない。これが現実か。呆れて溜息を吐く。

「……僕が今から誰と会うか、蔵内さんでもわからないでしょうね」

 少し、嫌味な言い方をしてしまった。

「あん? 灰瀬ハイセテクネだろ」

 ズバリ、的中である。

「どうして、わかるんですか……?」

「わざわざ本庁の人間がお前に頼むってことは、お前にしか実現できないような案件だ。能力的なことより人脈的なところだろう。透明人間事件、調査関係者なら誰しもが透明化なんてできるのかという問題でどん詰まり状態だ。そういう技術的知見にけている人物から話を聞きたい。昔ハチさんがこぼしたことがあってな、親戚にハログラムを開発したすごい人がいるって。普段自分の周りのことを喋らない人だったから印象深かった。他の事案の調査中にそれが灰瀬博士だとも知った。で、現状博士は亡くなっていることから、次に有力なのは娘のテクネだろう。お前なら関係的に会ったことがあっても不思議じゃない。テクネ嬢の人間嫌いは筋金入りと聞いている。どこの情報機関も接触できずに悔しがっているだろうな。そこでお前がここで有益な情報を引き出せれば、再評価と待遇改善を約束する、――とかなんとかうまそうな話で釣られたんじゃないか? 狩井のような軍属で上下関係に厳しそうな人間なら、そういう方向に持っていきそうだな」

「……千里眼お見通しですか?」

「知っていることを繋げてみただけだよ。まさか、図星か?」

 僕は悔しくて、肯定も否定もできずに沈黙してしまった。

「アナクロ、過去を解明していくってのは意外と簡単な作業を繰り返して、成功だ。逆に、未来の証明は不可能だ。だって誰もまだ何も決めていないんだからな。決まってないことは証明できない。それだけの違いだよ」

 蔵内さんはそれだけ言うと喫煙所へ向かった。ジッポライターの蓋を開閉する金属音が遠ざかっていく。黙ってその背中を見送るしかできない。


 この人が本気をだして調査に取り組めば、解決の糸口が掴めるかもしれないのに――。

 腐った組織、不当な評価。

 僕はやはり、蔵内さんが苦手で、嫌いだった。

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