分かれ道


 エリちゃんが、自身の夫となる人物とどの様にして出会ったのか、その馴れ初めについては詳しく聞かされていなかったが、結婚に至るまでのいきさつや、暮らしぶり等については、私たち二人のおしゃべりの話題によく上がっていた。

 彼女の夫になる人物は、先祖代々引き継がれる老舗の呉服店の、いわゆる跡継ぎ息子であった。

 第一子が女子であった為、親族関係者一同、家業の存続繁栄を願う全ての人々から、熱く望まれて祝福されて生を受けた、第二子である男子であった。

 出生後もそれはそれは大切に育まれ、必要な物をことごとく与えられ、不自由や不都合に阻まれる事無く、何の挫折も無くすくすくと育ち、ご先祖さまから脈々と受け継いで来た価値ある家業の何代目かの船頭役を仰せつかる定めの下にある男子として、申し分なく成長して来た。

 実直でどこかぼくとつとした印象があって、老舗の長としてはなかなか悪くない、家業の安定的存続を予感させる様な気配を自然と漂わせる事が出来る人だった。

 経営陣としては、憂いも無くトントン拍子に若社長へと代替わりがなされる事を信じて疑いもせず、てな訳だ。

 ところが、運命の女神というのは実際にいる様で、跡取り息子が大学に進学し学問を収め、視野を広げて行く中で、進む事を定められていた道とは別の、また違う道があるという事を、彼に気付かせてしまったらしい。

 彼は教育の世界に目覚め、特に、子供時代から大人へと成長して行く過程の、主に思春期の子供達の繊細な心に寄り添い、そっと包み込み、支えて伸ばして行くという役目に、その身を捧げる事を決心したのだ。

 一方、この跡継ぎ息子に対し、そろそろ家業の経営ノウハウの仕込みに取りかかるには丁度良い塩梅だという心づもりでいた経営陣。こんなはずでは無いと焦り、何とか説得しようと七転八倒したものの、見た目の柔らかさ大人しさとはうらはらの、一度決めた自分の信念はテコでも曲げさせはしないという、頑固なまでの意志の強さの前には、容易に歯が立たなかったものと見える。

 実直で素朴で、嘘のつけない不器用者で、バカが付くほど真面目なこの人物は、家業を継がずに公立中学校の教員となったのであった。

 

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