支える


 エリちゃんと籍を入れて、新生活をスタートさせてからも、実家を飛び出して来た夫は両親から圧力をかけられていた。

 両親としては、我らが跡取り息子が、家と自分の立場をかなぐり捨てて、畑違いの職業に就いてやって行かれるとは、想像の域を脱していたという事なのだろう。

 事ある毎に、目を覚ませ、帰って来いと、息子に呼びかけ続けた。

 聞く耳を持たない息子に業を煮やすと、今度は連れ合いのエリちゃんにまで矛先が向けられ、やれ嫁さんに牛耳られているだの、目を曇らされているだの、あらゆる負け惜しみの言葉を遠慮なくぶつけて来るのだった。

「真人がまたやってるのよ。」

 口数が少なく、物静かな夫が、度重なる実家からの重圧に耐え兼ねて、時に両親とやり合ってしまう事を、エリちゃんはとても気に病んでいた。

 本人は家業を継ぐ意思はないけれど、心底優しい人なので、親の立場に思いを馳せる事も出来てしまうのだ。

 自分をこれ以上追い詰めないで欲しい、と主張する一方で、両親の抱える失望感や焦り、祈りの様な気持ちもわかってしまう。

 言葉や態度を荒げて両親に意見をしても、すればする程、夫は深く傷付いて行く。

 エリちゃんはその事をとても心配していた。

 二人はどちらかと言うと姉と弟の様にも見え、世話焼きの姉が、口下手の弟の面倒をかいがいしく見ている様だ、という表現も当てはまったのではないだろうか。

 夫がテレビで野球中継を見ていると、家事をしながら野球の応援を大音量で聞かされる羽目になるのが常の彼女だった。内心『楽しそうで良いんだけど、もう少しだけボリュームを下げて貰えないかなあ。』とは思いながら、それを言わずにおいてあげるのだ。

 夫の葬儀の際にも、それは顕著に現れていた。

 涙ひとつ見せず、凛として喪服に包まれ佇む彼女は、お別れの長いクラクションを鳴らして去って行く霊柩車に向かって、深々と最敬礼をしていた。

 どこまでも夫の魂に寄り添い、尊重しているのだった。

 優しく清らかな心を持った夫が、教育の現場で、心の羽根に傷を負いうずくまっている生徒の苦しみに目を向け、懸命に寄り添い、導こうとしている事を、彼女は知っていた。

 根気よく、諦めることなく生徒に向き合い、自らの精神力の限界に達するまで尽くしていた事にも、気付いていた。

 一番大切に扱い、伸ばすべきなのは生徒の心であり、その為に日々精根尽き果てるまで尽力しても、事象という物は一夜にして一変してしまう事がある。

 生徒を取り囲む様々な要因が絡んで、純粋に成長をサポートする目的で取り組んでいた内容の事態は、全く異なる物にすり替えられてしまったのだった。

 無論、普段から夫の様子に気を配り、心療内科への通院を勧めていたエリちゃんが手をこまねいている訳ではなかった。

「その仕事が終わったら、家族で旅行にでも行こうか、って言って良いとこ探したりしてた所だったのよ。」

 葬儀の直後に聞いた彼女の言葉だ。

 思い詰めた夫の顔を見て心配になり、息抜きをさせなければ、と考えたのだ。

 あの時、ああしていれば。こう言ってあげていたら。

 悔いばかりが残って、彼女の頭の中を永遠にぐるぐる回り続けるのではないかとも思われた。

 

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