第7話 薔薇(埋める)
今年はずいぶん花つきがいい、と思いながら、開きかけのブルームーンを一枝切った。
母が生前庭に植えた種々の薔薇は、小さな植物園並みの数になっている。ブルームーン、メアリー・ローズ、ゴールデン・ボーダー、浜梨、羽衣……原種に近いものから近年作出されたハイブリッドティーまで、どれも天を競うように伸び、葉を広げ、種々の花を陽に翳している。アーチ状に作った棚は蔓性の種ですっかり覆われ、首を垂らした橙や白の花が、合間から漏れる光を透かしていた。まるで空を埋め尽くさんばかりの薔薇に、これでは摘花というより収穫だなと思いつつ、私はハサミを入れていく。
「累花さん、そろそろ塾の子達が来るよ」
縁側から顔を出した夫に、はあい、と返事をしてハサミを下ろす。摘んだ花は箱に詰めたり、一輪挿しに生けたりして飾る予定だった。
自宅の一階を塾にしようと決めたのは、母が残した、この庭があるからだ。
まだ壮年と言える若さで逝った母は、昔から薔薇が好きだった。私が物心つく頃にはもう庭の半分以上が薔薇で埋まっていたし、その後も、母が亡くなるまで増え続けた。シングルだった母が逝って、増えることがなくなって――主を失った薔薇園は、途端、水を失ったように見えた。
乾いて、枯れて。葉ばかりを怪物のように増やして、荒れていくのだろうか。
それがやるせなくて――怖くて、ここで塾を始めたのだった。夫は、私がこの家を継ぐことに、二つ返事で良いよと頷いた。薔薇の葉陰に立つ私の顔を見たら、手放せないのがわかったから、と。私は一体、どんな顔をしていたんだろう。
摘んだ花を新聞紙に包んで抱え、ハサミをジーンズのポケットに入れて立ち上がる。と、入れ方が甘かったのか、ハサミがズボンから転がり落ちた。そのまま刃を下にして、ざくりと土に突き立つ。どきりとした。母が最初に植えたと言っていた、マリア・テレジアの根本だった。
拾い上げようとして、刃先に、なにか硬いものが当たるのに気がつく。え、と、薔薇の根を傷つけないように注意しながらも、その周りの土をハサミで掘った。
土の中にあったのは、硝子の小瓶だった。中に、折りたたまれた紙が入っている。瓶には水が溜まっていたけれど、小袋に入っていたそれは、何とか開くことができた。
海外の、有名大学の合格通知書だった。
合格者名には母の名がある。日付は――私の生まれる、約一年前。
収穫した薔薇が、私の手の中でガサリと揺れた。
――もしかして私は、これを枯らしたくなかったのか。
思って、私はその紙を折りたたんだ。すでにかなり劣化していたが、硝子瓶に元の通りに戻して、掘り起こした土を瓶に被せる。いつか朽ちても、その上で、薔薇が咲く。
遅い私を夫が不思議そうな顔で見た。その向こう、玄関から、チャイムの音と同時に、大きな声で挨拶する子供たちの声が聞こえてきた。
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