第8話 向日葵(犇めく)


 デニムのスカートが風に煽られて僅かに揺れた。

 目の前には一面の向日葵畑がある。丸く開いた明るい黄色、綿のように膨らんだ茶色い中心部。一様にこちらを向いた花たちが、列をなしてひしめいている。

「すごーい!」

 大学のサークル友達が、はしゃぎながら写真を撮った。勢いに呑まれて私も携帯を掲げる。一枚だけをカメラに納めて、見つめる。削除する。

 ……人間の頭みたい。

 展望台の欄干から、向日葵の群れを見下ろした。中心の丸い管状花が、瞳みたいだ。無関心で無感動な、何かの式典に並ぶ、たくさんの人の頭。視線。空疎な圧迫感。

 ――え、バイト辞めたの? 何で?

 驚いたようにそう言った、友人の声が蘇る。

 名ばかりの庭園鑑賞サークルは、普段はただのお喋りサークルで、年に一回、夏休みにはこうしてどこかしらの園や花畑に来るけれど、それで何か成果を残すというようなこともない。皆一頻りはしゃぎ終わると、さっさと展望台横のお土産屋に行くことになって、私はそこで、息をついた。ようやく、向日葵畑に背を向けられる。

 皆の歩調よりも少し早めに、展望台の階段を下りていると、不意に後ろから声をかけられた。

「三上さん、向日葵あんまり好きじゃなかった?」

「え」

 声をかけてきたのは、こういったお喋りサークルには珍しい、真面目な男子の先輩だった。細い黒縁眼鏡がトレードマークの。

「平木先輩」

「あ、ごめんね急に。なんかちょっと、楽しそうじゃなかったなって」

 先輩は、黒縁眼鏡のブリッジを押し上げながらそう言った。

「あ、いえ……嫌いじゃないですよ、向日葵」

「そう?」

 展望台を下りきった私は、少しだけ向日葵畑を振り返る。

 無数の向日葵たちが、真っ青な空の下でじ、と並んで立っている。

 犇めいている。

「向日葵じゃなくて……向日葵畑が、あんまり」

 ――嘘、三上、バイト辞めたの? 確かにあそこの店長、ちょっと口悪かったけどさ。気にするほどじゃなくない?

 ――みかっち、この映画見ないの? えー、勿体ない。話題作だよ!

 色んな友達の、何で? と問う声。

 ネモフィラや芝桜みたいな、小さな花には思わない、向日葵の群れに感じるもの。これは。


 疎外感、だ。


「……好きなものは共有しやすいのに、何で、怖いものって、誰かと共有できないんですかね」

「……向日葵畑? え、怖い?」

 平木先輩が、目を見開いた。黒縁眼鏡が僅かにずれる。私は頷く。

「ええ、勿体ないな」

 そう言って、先輩は、残念そうに眉を下げた。すみません、と苦笑する。私も、残念だ。やっぱり、共有はできないから。

 あ、でも。

 と、先輩が指を前に向ける。

 目の前にはもう、売店の入り口があった。奥にソフトクリームの看板、地元の銘菓、それよりもっと、手前。

 ガラス張りの自動ドア近くに、向日葵の切り花が一本、大きな瓶に差してあった。飾っているのだろう。それを、先輩は指差している。

「向日葵自体は、嫌いじゃないんだよね?」

 頷いた。一本なら、特に怖いと思ったことはない。

 先輩がへらりと笑った。

「ほんとだ。好きなものは、共有できるんだ」

 私たちの後ろには、まだ、向日葵たちが犇めいている、けれど。

「……はい」

 そう答えた私は、その日初めて、肩の力を抜いて、笑った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る