第5話 杜若(伸ばす)


 茎の先端で濃い紫が、トンボの羽のように花開いている。杜若かきつばただ。

 溜め池の縁に群生してるんだよな、と思いつつ、俺は自転車を漕ぐ足に力を入れた。この溜め池をぐるっと曲がった先に、弟が入院している病院がある。小さいながらも小児科を備えた総合病院で、自宅からは一番近い。

 あいつの病室からも見えるかな。

 高校の教科書やジャージ、バッシュの入った重い鞄が、肩からずり落ちてくるのを肩を張って直す。弟の病室は、溜め池が見える位置のはずだけれど、階が高い。見えても豆粒みたいかもな。自転車のカゴに入れた、書店の紙袋がガサリと揺れる。先に家に鞄、置いてくれば良かったか。

 病院の駐輪場に自転車を置き、一階で受付を済ませてエレベーターで上がる。

 重めのアレルギーを持つ弟は、先月合併症を引き起こして、せっかく進級した五年生の教室に、まだ一度も通えないでいた。

 今年はクラス替えだからって、楽しみにしていたのだ。部活も今年からは運動部にすると張り切っていた。手に提げた紙袋にはバスケ漫画が入っている。俺の高校入学に合わせて買ってもらったバッシュを、いいなぁと、口を尖らせて見ていた。

「たける、漫画の続き、買ってきたぞ」

「あ、にーちゃん!」

 大部屋の、窓際にある弟のベッドカーテンを開けると、間髪入れずにたけるがベッドから降りてくる。さらさらの真っ直ぐな黒髪が揺れる。カーテンを開けた窓からは、夕方でも明るい日射しが降りそそいでいた。

「聞いてよ、今日、病院で身長はかったらさ、」


 ――七センチも伸びてたんだよ!


 軽い足取りで駆け寄ってくる弟の体を、少し腰を屈めて受け止めた。退院が近いと、昨日母さんから聞かされていた。伸ばされた手が俺のブレザーの裾をつかんで、嬉しそうに見上げてくる。一ヶ月も入院してたけど、少し日焼けしたかな。思わず手を載せた弟のまるっこい頭は、確かに、去年よりずっと、高い位置にあった。

 カーテンが開け放された窓の向こう。

 あの、剣のように伸びた葉よりも高く、首を伸ばした濃い紫が、溜め池の縁に確かに見えていた。




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