第3話 桃(落ちる)
昨日の雨で、桃の花が落ちていた。坂の途中、見上げれば民家の塀向こうに、大きな桃の木がある。そこから、花頭まるごと、ほとりと落ちたようだった。あまりに綺麗に落ちていたので、私はそれを拾い上げて、掌に載せた。いつもならそんなことはしない。こういうのは、姉の方が好きだった。その時はただ、あまりに綺麗に、汚れたり破れたりしたところもなく落ちているものだから、手に取ってみただけだった。
「
ふいに大きく響いた声に、驚いて振り返る。クラスでもすぐに覚えてもらえる苗字はしかし、実際に友人から呼ばれることは少なかった。案の定、呼んだのはクラスでもあまり親しみのない男子で、去年の文理分けから一年間同じクラスだったというのに、ろくに話したことのない人だった。
「片桐くん」
「良かった、追いついて」
坂を下ってきながら、片桐くんは軽快に自転車を降りて言う。私は首を傾げる。呼ばれた理由が分からなかった。片桐くんは、クラスの中では物静かな方で、長身だから姿は目立つけれど、こんな風に大声で人を呼ぶ姿は見たことがない。
「小桜、これ、忘れ物」
片桐君がスポーツバッグの外ポケットから、ホワイトカラーの携帯電話を取り出した。
私は、え、と目を
「部室に忘れてったの、美術部の先輩が見つけた。校門出て行くの見かけてたから、自転車の俺が急いで追いかけたんだけど」
バス乗る前に追いついて良かった、と、片桐君は肩で息をついた。
「ありがとう」
油絵の具がついている携帯を受け取って、私は頭を下げる。急がせてしまって申し訳ないなと思った。乗ろうと思っていたバスは、ほんの少し前、私の横を通り過ぎてしまっている。
「小桜、あのさ、」
片桐くんが少し、声を固くする。うん、と私は何の気なく相槌を打つ。
次のバスまでは結構時間があった。つい足を止めて、綺麗に落ちた桃の花をまじまじと見つめながら拾っている間に、バスは、行ってしまったので。
「連絡先、聞いてもいいかな」
「え?」
私を見つめる、彼の赤い頬が、桃の花みたいだと思って。
家に帰り着いて、姉に拾ったそれを押し花にしてもらう頃には、私の息も、桃色に染まったような気がしていた。
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