第2話 椿(俯く)



 今年は椿が、まるで陽射しを避けるように葉の内側に向いて咲いている。春はこんなにも暑かっただろうか。

 妻が残した花壇に水をやりながら、私は大きく息をついた。畳二畳ほどの小さな庭の隅、唐紅からべに色の椿の樹に囲まれた花壇には、背が伸びすぎた葉牡丹と、濃い紫色のパンジーが咲いている。心なしか、パンジーも太陽にうんざりするように、花びらがよれて見えていた。首の後ろが少し暑い。

「お父さん」

 背中に声がかかった。

 振り返る。花壇がある小さな庭から、玄関先に立つ娘の姿が見えた。脇にスーツのジャケットを抱え、こちらを見て、ただいま、と笑いかけてくる。

「お父さんそっちにいたの。どうりで、門でチャイム押しても返事がないはずだよ」

「すまん、帰ってきとったんか。旦那と子供らは、」

「今日は私だけ。仕事で近くに来たから、ちょっとお母さんにお線香あげようと思って」

 連絡したけど、庭にいたなら見てないね、と娘は苦笑した。

 昨年亡くなった妻は、ちょうど、この季節が誕生日だった。毎年、近所のケーキ屋で二人でケーキを買いに行った。娘も多分、それを思い出したのだろう。

「今年も綺麗に咲いたねぇ」

 娘が、玄関先から椿で囲まれた花壇を覗き込む。

 伸びすぎた葉牡丹、よれたパンジー、俯いて、葉に隠れるように咲いた椿――娘が言うほど、綺麗だろうか。

「少し、疲れて見えんか」

「この陽気だからね。でもほら、お父さんが水あげたから」

 言って、娘は白シャツを捲った腕を伸ばした。その爪先が、俯いた椿に触れる。結婚する前より水で荒れた手。妻や私と同じ。

「ね、」


 輝いて見えるよ。


 そう言った、手の先で。

 唐紅色の花弁が一瞬、太陽を弾いて、きらめいた。


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