第30話 嵐の中の星

 光る殻が寄り合い、殻と殻が溶け合った。

 ジャムスとセリムが互いに駆け寄る。

 地上からは、ジャムスとセリムが入った光る卵は、星のように見えた。

「見ろよ、あれ!」

 人々が指をさす。

 真っ暗な空と海の間に、大きな星が一つ、輝いている。

 ごうごうと降る雨の中、高い波が重低音を上げて迫る。港の近くに住む人たちは高台へ逃げる。

 高台には、誰もお参りしなくなった『地の母』の神殿が建っていた。人々はその中へ駆け込んだ。

 宮殿にも人々が逃げてくる。

「広間を開放する」

 宰相イスハクが大声で言った。衛兵や、ルステム以下官僚たちが人々を誘導する。

 イスハクは近衛軍司令官メティンとバルタオウルに言った。

「兵舎も開放してくれ」

「心得た」

 メティンはバルタオウルと近衛軍に誘導させ、すぐさま兵舎に人々を収容する。

 ケマルは宮殿を出て走った。

 追いついたヌールが大声で尋ねる。

「どこへ行くんだよ」

「海岸だ」

 ムサ、ハリル、ヤクブ、そしてネディムがケマルに並んで走る。

 ハリルがケマルの肩をつかんだ。

「波が来る。死ぬぞ」

「セリムを助けるのだ」

 聞いてトゥグルクがケマルを追う。アルタンとバイラムは無言で見送った。

「殿下のことが気になるんだな」

 アルタンが笑うと、バイラムも笑顔になった。

「一発殴る余裕があればいいけどな」

 逃げる人々を押しのけて海岸にたどり着くと、星が波の中へ入るところだった。

 ムサが棒立ちになる。

「ケマル、さっき殿下を呼び捨てにしてたけど」

「ああ、そうだったか?」

 ハリルが見回す。

「殿下はどこにもいらっしゃらないじゃないか」

「あの星の中にいるんだ」

 断言するケマルにトゥグルクがかみつく。

「どうしてわかるんだよ」

「セリムの声がするからだ」

 ヤクブがはっとして耳を澄ます。

「――聞こえる」

 ヌールも耳を澄まし、気づく。

「殿下の声だ!」

 ネディムにも甥の声が聞こえた。だから口の両脇に手を当てて呼びかけた。

「セリム!セリム!」

 すると星が答えた。

 ――おじ上!

 その声は海岸に届いた。ネディムが嬉し泣きする。

「セリム!無事なのか」

 ――ええ。陛下もご無事です。

 ムサがジャムスに言う。

「陛下!我々に何かできることはございますか?」

 ジャムスが答えた。

 ――ありがとう。これから私とセリムはこの波を止める。しかし方法が思いつかず難儀いたしておる。そなたたち、何かよい手はないか。

 トゥグルクが声を張り上げた。

「海の底の底で起きていることです!我々では止めようがございませぬ!」

 セリムが尋ねる。

 ――どういうことか、トゥグルク。

「殿下、俺は海沿いで生まれ育ちました。だからこういう高波はよく見てるんです。ガキの頃にも今みたいな高波が来ました。その時じいちゃんが俺に話してくれたんです。波がこんなに持ち上がるのは、海の底の底が動いてるからだって。それは人には止められないんだって」

 一瞬の沈黙。

 破ったのは、セリムの力強い声だった。

 ――ありがとう。これで止める方法がわかった。俺たちは、海の底の底へもぐる。

 トゥグルクがつばを飛ばして怒鳴った。

「あんた阿呆か?だから俺たちにはどうにもできないって言っただろ!死ぬぞ?」

 ジャムスも平然と答える。

 ――この波を止めねばならぬのだ。阿呆にならなければ飛び込めぬ。

「馬鹿言うんじゃねえ!死ぬっつってんだろうが!」

 トゥグルクの頭から、セリムとジャムスが皇室であることは完全に消し飛んでいる。

 ――海の底の底には何があるのだ、トゥグルク。

 セリムが問う。トゥグルクは軍人の円筒帽をかなぐり捨てた。

「俺も行く!つれてけ!」

 ――ならぬ。これは俺たちの仕事だ。

 トゥグルクの目に涙が浮かぶ。それを拳でこすり、落ち着きを取り戻す。

「じいちゃんが言うには、めちゃくちゃ熱いドロッドロの火の川がゆっくり流れてるんだと。そいつが海の底を持ち上げて、動かしているのだって。だから火の川を止めれば波は収まるはずだ」

 ――火か。それならイネスとエメルに頼んでくれ。火の動きを抑えてくれるように。ケマルとハリルは川の流れを抑えてくれ。海の底を俺とジャムスがこの光で押さえ込む。

 ヤクブが言った。

「イネスとエメルは今、ミカエラ様のお産に立ち会っております。まだお子がお生まれになっておりませぬ」

 ――では、我々だけでやるしかない。

 ジャムスが言い、星が波に沈む。

 完全に沈みかけた時、静かな声がした。

 ――お待ちください。

 星が止まる。

 突然、火のかたまりが闇に浮かんだ。

「おっ、おい、何だ、これは」

 ムサがあとずさる。

 火から、若い、優しい声がする。

 ――それがしはニコマコスと申します。ミカエラ様にかつてお仕えしていたヘラス王国近衛軍の将校でございます。

 ――ミカエラに。

 つぶやいたジャムスに、火は――ニコマコスは決然と告げた。

 ――火の制御は、それがしがいたします。

 ジャムスは迷わずに言った。

 ――頼んだ、ニコマコス。

 ――御意。

 セリムが強く命ずる。

 ――始めるぞ。

 ケマルとハリルが地面に両手をつく。

 ニコマコスがさらに燃え上がる。

 セリムとジャムスは波の中に沈み、海底に光を広げる。

 火の川を抑える。

 海底を押さえる。

 高波はイスティンめがけて殺到する。

 トゥグルクが涙を流して座り込んだ。

「馬鹿野郎。まだ一発殴ってねえよ」

 ヌールがその背を優しくなでる。

「大丈夫だよ。必ず殿下は帰ってくるから」

 ネディムが両手の指を組み合わせた。

「頼む。止まってくれ」

 ムサも握り合わせた両手の上に顔を伏せる。

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