第25話 マヒヌル、腰を抜かす
マヒヌルは今日もあちこちはがれかけた石の柱に
しわだらけの指先には石膏がこびりついている。今にも雨粒が落ちてきそうな曇り空の下、彼女は
彼女がいるのは神殿の入り口、参拝者が昇る階段の一番上だ。彼女が見つめる石の柱は、階段を上がりきったところの両脇に立っている。
「あんたは神殿の顔だっていうのに、なんてざまだい。あたしがこうして塗ってやってるんだ、ありがたく思いな」
恩着せがましく言うマヒヌルに石の柱は答えた。
「仕方ガナイジャナイ。ココラヘンノ最後ノ
「あたしが神官をやってた頃は、お布施がたんとあった。それで神殿の修理なんかも三月にいっぺんはできてたのに。あたしがやめたとたんこれだよ」
まだ石膏を塗られていない柱が言った。
「まひぬるガヤメタアトデモ修理ハシテイタヨ」
「それでもこのざまじゃないかって言うんだよ。まったく、この地区の連中と来たら、お参りにも来やしない。ケナンがやめてからもう三年、大神官すらいないじゃないか」
マヒヌルが石膏を塗りつけている方の柱が声を発する。
「けなん大神官ドノハ、最後マデ、かいえノ皇室ト連携スレバ『地ノ母』ノ神殿ヲ修復スル費用ガマカナエルノニト、他ノ神官タチニ訴エテイタヨ」
「よしとくれ。あんな、侵略者になんか頼めるもんか」
「デモサ、今、一番金ヲ出セルノハ、かいえ帝国ダヨ」
「忘れたのかい。カイエがこのアルドナに来た時、ここで取り決めをしたじゃないか。『地の母』には一切手出しをしませぬと、ね」
まだ石膏を塗られていない柱が控えめだが強い口調で彼女に語りかけた。
「まひぬる。意地ヲ張ルノハモウ、オヤメナサイ。『大波乱』ノアト、次ノ皇帝ガ見ツカルマデノヒト月ノ間、皇帝代理ヲ務メタノハココノ大神官ダッタジャナイカ」
「その時だけだよ。そしてそれ以来、神官は減った。みんな『大波乱』を収めるために祈り続け、技を使い、疲れて倒れたんだ。そうまでしてこのアルドナを守ったっていうのに、カイエ帝国は神官たちに何も報いなかった。アルドナの連中からだってありがとうの一言すらなかった。そんな連中のために働いたって何にもなりゃあしないよ。あたしが何度そう訴えたって、誰一人耳を傾けなかったじゃないか。カイエ帝国と手をたずさえてやっていこうしか言わなかったじゃないか。あんたたちだって聞いてただろ」
柱たちは声を合わせた。
「聞イテイタヨ、モチロン」
そのうちの一柱がマヒヌルに柔らかく声をかける。
「まひぬるダケガ、『地ノ母』ヲ毎日、オ祭リシテイタ」
「当たり前じゃないか。何のためにあたしたちがいるとて。『地の母』の言葉を承り、アルドナに広く伝えるためじゃないか。それなのにあいつらは議論ばっかりで、『地の母』へのお勤めだってやってなくて」
マヒヌルは石膏を入れたばけつの取っ手を持って、ゆっくりと立ち上がった。
「どれ、そろそろお祭りの時だ。聞けば皇帝は、弟の首をとれなんて命令を下したそうだね。まったく、誰かを殺せなんて、カイエの天はともかく、『地の母』だったらそんなことは言わないよ、絶対。殺さずともすむ方法を考える頭もないのかねえ、あの騎馬民族は」
神殿の奥へ向かおうとした彼女の背中に、若い声が投げられた。
「神官マヒヌルどのであられますか」
彼女はうさんくさげに振り向く。
立っていたのは、つり上がった眉とたれ目の、年の頃は十七、八と見える男だった。
「おまえさんは?」
「皇帝ジャムスの弟、セリムと申します」
「なにい?」
マヒヌルは、刷毛を入れたばけつを落とした。
セリムはにこにこしている。
「お、おまえさん、狙われてるんじゃ」
「それはもう解決しました」
「へっ?」
「『大波乱』を防ぐため、私たちは和解しました。私を皇帝につけようと主張する側近もおりましたが、考えを変えてくれました。三日後の満月の夜、兄は宮殿で天を、私はこの神殿で地を祭ります。マヒヌルどの、どうか私にこの神殿をお貸しくださいませんか」
セリムの後ろから若い男が現れる。
「ばあちゃん」
マヒヌルは階段を駆け降り、呼んだ男の前に走った。
「ジハンギル!おまえ、なぜここへ」
「殿下と一緒についてきたんだよ。ばあちゃん、ここを殿下に貸してやってくれないか。国を救うためなんだ」
マヒヌルは目を白黒させる。
さらにたくましく大柄な男と、優しげな容姿の男が彼女に歩み寄った。
大柄な方が丁重に彼女に話しかける。
「ガジの神官ザガノスと申します。こちらで大神官を務めていらしたケナンどのの最後の弟子でございました。マヒヌルどののご高名はかねてより伺っております。子細は先ほど我が主君が申しました通りでございます。それがしからもお頼み申し上げます。何とぞこちらで祭祀を執り行うことをお許しくださいませ」
優しげな容姿の方もにこやかだが有無を言わさぬ口調で告げる。
「東部軍将校ハルドゥンと申します。ザガノスは南部軍にいた時の同僚で、それがしの親友でございます。マヒヌルどの、帝国の危機がさし迫っております。何とぞ祭祀のご許可をくださいませ」
マヒヌルは、腰を抜かした。
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