第24話 神殿にいる女

 セリムが言った。

「問題は、ここイスティンにある『地の母』の神殿だ」

 ザガノスが同僚をかき分けてセリムの前に出る。

「確かあの神殿は、神官が不在ですが、一人、住み着いている者がいると聞いております。しかもその者が他人を入れないと」

 困惑を眉目に表し、ジャムスはザガノスに続いて口を開いた。

「あの神殿はアルドナ半島で最も規模が大きく、半島全体の『地の母』の信仰のよりどころとなっている。よって祭りを執り行うには最適の場所なのだが、その者に立ち退くよう命ずる者が今のところおらぬ。『地の母』の神官たちのつながりが以前はあったのだが、それとて上意下達のしくみではなかった。ゆえにかの者を動かせない」

 ジハンギルがおずおずと発言を求める。

「それについて、それがし、申し述べさせていただいてもよろしいでしょうか」

 ジャムスはジハンギルを見て、穏やかに応じた。

「許す。述べよ、ジハンギル」

「はっ。その者は、それがしの母方の祖母でございます」

 その場にいた全員の驚きの視線がジハンギルに矢のように突き刺さる。

 ジハンギルはすまなそうに下を向き、縮こまった。

「それがし、幼き頃にふた親と死別いたしました。それゆえそれがしはきょうだいと祖母の家に身を寄せたのでございます。祖母はもともとあの神殿で神官として働いておりましたが、皇室と連携してゆかないかとの議論が起こりました。それがしが六つか七つの年であったと記憶しております。その際同僚と意見が分かれ、自ら神官を辞職したのでございます。その後、祖母の同僚たちも年齢などを理由に次々と辞職し、今ではあそこは神官不在のまま放置されております。祖母は神殿で草むしりをしたり、補修をしたりするようになりました。とにかく皇室と手を結ぶなどもってのほかだと、末っ子のそれがしが武官になるというのにも猛反対しまして。それ以来没交渉となっております」

 バルタオウルがひげをしごきながらつぶやく。

「ではその婆さんをろう絡しなければ、殿下は神殿を使えぬというわけだな」

 ジハンギルが上目遣いで補足する。

「祖母は大の男ぎらいです。昔、初恋の男にだまされたそうで」

「それではわしのあふれんばかりの魅力をもってしても攻略はできぬということか」

 バルタオウルを見下ろしてジハンギルが遠慮がちに問う。

「お言葉ですが、将軍の魅力とは、どのあたりにあるのでしょうか」

 言い返そうとしたバルタオウルの後ろから、ミカエラが言った。

「ジハンギル。殿方が難しいのでしたら、おなごであればおばあ様もお心を開いてくださるのではないでしょうか」

 あわててジハンギルはミカエラの前にひざまずいた。

「お言葉を返すようで大変申し訳ございませぬが、祖母は女性に対してもつっけんどんと申しますか、神官たちとの議論をきっかけに、人ぎらいになってしまったのでございます」

 それまで黙って聞いていたセリムが声を上げた。

「ジハンギル。では私が、そなたのおばあ様を説得いたす」

「へっ」

 突然のことに変な声を発してしまったジハンギルは、気を取り直してセリムに訴えた。

「ならばそれがしも同行させてくださいませ。これは国家の一大事、祖母には何としても神殿を明け渡してもらわねばなりませぬゆえ」

「明け渡すのではなく、借りるのだ。それならばおばあ様も納得してくれるだろう」

「ほんとうに祖母は一筋縄ではゆかぬのです」

「なに、案ずるな。おばあ様の名は何と申す」

「マヒヌルと申します、殿下」

 セリムは笑った。

「マヒヌルどのは、私が味方につけよう」

 バルタオウルがすかさず口を挟んだ。

「よくぞおっしゃいました、殿下。それではこのわしが手練手管をご教授いたしましょう」

 ハルドゥンがげんなりする。

「五、六十年前の技術なんぞ今さら使えないと思うぞ……」

 セリムは苦笑いして答える。

「ありがとう、バルタオウル。しかし私はマヒヌルどのを恋人にしたいわけではないのだ。今後もカイエ帝国の経営に役立っていただくためにお心を開いていただこうとしている」

「ありゃ、それは失礼いたしましたわい」

 ザガノスが進み出る。

「彼女と同じ神官として、説得にお力添えできると存じます。それがしもおつれくださいませ」

 ハルドゥンがやっと笑顔になった。

「それがしも参ります。ザガノスの片腕として」

「エメルも行ってはどうですか」

 ミカエラに促されたが、エメルは首を横に振った。

「一緒にいたいのはやまやまですけれど、兄がいればたいていのことは心配ありません。それに今は、妃殿下のお体が心配です。今は、妃殿下のおそばにいとうございます」

 ミカエラは言った。

「ありがとう、エメル。セリムどの、エメルはわたくしがお預かりいたしますが、よろしいですか」

「かたじけのうございます。よろしくお願いいたします」

 セリムが一礼すると、ミカエラも深くうなずいた。

 セリムはジャムスに向き直る。

「では、満月の夜に」

 ジャムスもセリムに真剣な目を向ける。

「時が迫っているが、成功を」

 セリムは笑顔で兄に応じた。

 満月の夜まで、あと四日。

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