第20話 宮殿で会おう
カイエ帝国史上最も貧乏くじを引いた皇帝は自分だと、ジャムスは思っている。
『大波乱』が自分の代で起こるからだ。
そして帝国を滅ぼすという皇子セリムの殺害が、まだなされていないからだ。
セリム殺害のために近衛軍司令官メティンが放ったムサ、ハリル、ヤクブ、ヌール、アルタン、バイラム、トゥグルクが帰ってこないからだ。さらに皇后ミカエラと彼女の側近イネスも戻ってこないからだ。その上彼ら彼女らの生死さえ判然としないからだ。
「陛下」
数日前から胃痛を訴えるようになった宰相イスハクが今にも倒れそうな勢いで、ジャムスの執務室に現れた。
帝国史上最も損な皇帝は自分だという思いが確信に変わりつつあるジャムスは、うわべだけは平静を装って胸を張る。
「何か」
「セリム皇子からことづてを承りました」
「ことづてだと?」
「はい。先ほど宮殿の前に一羽の鳥がやって参りまして、しかもなんとその鳥が、言葉を話したのでございます」
イスハクが手招きすると、宮殿の衛兵が鳥を両手に持って進み出た。
鳥はまるで意志をもっているかのように両目を光らせて衛兵の手から飛び立ち、ジャムスの前の机に下り立った。
くちばしがせわしなく動き、男の声を発する。
「皇帝陛下にはご健勝のこと、お喜び申し上げます」
ジャムスが上下のまぶたをいっぱいに開いた。
声の主は、なんとセリムではないか。
鳥の口を借りてセリムは続ける。
「兄上。会見の場を設けていただけますか」
「セリム」
「はい」
会話ができるようだ。ジャムスは気を取り直して言った。
「何を話すのだ」
「私を殺害しなくとも『大波乱』を未然に防ぐ方策があります。そのためには兄上の力も必要なのです。お話ししたいことはそれです」
「未然に防ぐ?そのようなことが可能なのか」
「はい。可能であるとのことです」
「おまえがつかんだことなのか、それともおまえに献策した者がいるのか」
「私に献策してくれた者がおります。むろんその者も同行させます」
「この、鳥を使っておまえと話せるというのは、技の一種なのか」
「私が使えるようになった技です」
「使えるようになった、だと?」
「兄上。もうすでにご承知のことと思いますが、私は先帝の子ではありません」
その場にいた衛兵をイスハクがにらみつける。
「おまえ、名は」
衛兵が震え上がる。
「ジハンギルですっ」
「ジハンギル、今聞いたことは他言無用ぞ。口外を防ぐため、今後おまえは私の衛兵となれ。近衛軍司令官には私から報告しておく」
「はっ、はいっ、心得ましたっ」
ジハンギルは二十五歳になったばかり、こんなに怖い思いをしたのは、武官採用試験で試験官と実技試験で向き合った時以来だ。
ジャムスは今一度気を取り直し、意識して胸を前に突き出した。
「知ったのか、セリム」
「ケマルから聞きました。本来であれば兄上などとお呼びできる立場にはありませんが、兄上とお呼びいたしましたこと、伏してお詫び申し上げます」
「よい。血のつながりはないとはいえ、私たちは確かに兄弟として育てられたのだから」
「ありがとうございます。では、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「今、返答した方がよいのか」
「はい」
ジャムスはイスハクと目を合わせる。
イスハクが腰から下げた袋から紙と鉛筆を取り出し、書きつけてジャムスの前に広げた。
それを見ながらジャムスは鳥に言う。
「宮殿で会おう。ただし、おまえが私に危害を加えないという確証が欲しい」
「では、兄上からも、私に危害を加えないという確証をお示しいただきたい」
ジャムスはもう一度イスハクを見た。ついでにジハンギルにも視線を移す。二十五歳の衛兵は今にも消えそうな感じで突っ立っている。
イスハクは、結んだ口を真一文字に引っ張ったあと、大きくうなずいた。
ジャムスはきっぱりと告げた。
「宮殿で会おう。正面から客として入れ。互いに丸腰で面会しよう。側近にも武器は携帯させない」
「ありがとうございます。私もそのようにいたします。明日の朝には到着できますが、兄上のご都合はいかがでしょうか」
「よい」
「では、明日の朝に」
鳥の目から急に意志のように見えたものがなくなった。ジャムスは立ち上がり、背面にある窓を開け放つ。
鳥はそこから青空へ飛び立った。
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