第15話 神官ザガノス

 バルタオウルがセリムの前に歩み寄った。

「殿下。どのみち都を目指されるのであれば、まずは準備が必要と存じまする。怪我をした者には手当てを。命を落とした者には弔いを。そして海賊どもが罪を犯さずともよいようになさいませ。まあ海軍の慣例にならいますならば軍艦の漕ぎてとして使うのですが」

「わかった。任せてよいか、バルタオウル」

「承りました」

「他に私がなすべきことがあるか」

「そうですな。まあこれから命をかけた大仕事にとりかかるわけですから。さような時、それがしは験担ぎをしておりまする」

「験担ぎとは?」

「『地の母』に加護を祈るのです。適任の者がおりまする」

 バルタオウルはセリムを見上げ、しわに埋もれた目を細めて笑った。



 ガジに戻り、怪我人には治療を、死者には葬式と埋葬を、もと海賊たちにはカイエ帝国海軍への加入許可をおこなったあと、バルタオウルはセリムと彼の味方及び味方になった者たちをつれ、『地の母』の神殿に向かった。

「わしのもと部下が、神官を務めておりましてな」

 ハルドゥンがバルタオウルに尋ねる。

「まさか――あいつが?」

「ああそう、あいつだ」

「あいつとは誰なのだ」

 セリムが話に加わると、ハルドゥンが答えた。

「以前お話し申し上げました、それがしの親友でございまする。海賊掃討をなしとげたのですが、こちら側の将兵も多く損害を受けました。その責任をとり、辞職したのです。そして神官となりました」

「なにゆえ神官なのだろう」

 バルタオウルが乾いた風を受けて雲のない青空を見上げる。

「もう、命のやり取りはしたくない――そう申しておりましたな。『地の母』とカイエ帝国は互いに干渉しない取り決めになっております。縁を切りたかったのでしょうな、国の務めと」

 緑の木々がまばらに立ち並ぶ中、馬を進め、大きな石造りの神殿に到着した。

 波打つ長い黒髪をうなじの後ろで一つに束ねた美少女が走り出る。

「お待ちしておりました、長官」

 バルタオウルの目尻が下がり、鼻の下が伸びる。

「相変わらずぴちぴちしておるのう、エメル」

 はじけるようにエメルが笑う。

「やあだ、長官ったら。相変わらずお上手ね」

「いるかな」

「おりますよ。もう準備はできています」

「では殿下、こちらへ」

 その時セリムとエメルの目が合った。バルタオウルが紹介する。

「セリム殿下だ。わしの主君だよ」

 エメルは大きな目でセリムを見た。セリムもエメルの瞳を真正面からのぞき込む。

「セリムだ。よろしく」

 エメルは、今初めて呼ばれたというように背筋を伸ばすと、丁寧に腰を折って挨拶した。

「エメルと申します。こちらの神官ザガノスの妹でございます」

 バルタオウルが楽しそうに笑う。

「同い年くらいかの?」

 セリムがエメルに尋ねた。

「そなた、いくつになる。私は十七歳だ」

「あたし――申し訳ございません、わたくしも十七歳でございます」

「いいのう、殿下、エメルもお味方になさいませ。こう見えてなかなかの使い手でございますゆえ。野郎ばかりはむさ苦しくてたまらぬて」

「何を使うのだ、エメル?」

 少し緊張しながら、エメルはセリムに答えた。

「技が使えます。でも、ほんの少しだけです」

「今は一人でも多くの味方が欲しい。私の味方になってくれれば助かる」

「殿下はそんなに敵が多いのですか」

「これからはもっと増える」

「悪い方には見えませんけど……」

「そなたのように、兄との関係が円満であればよかったのだがな」

 沈んだ声音にエメルは事情を察したのか、笑顔を浮かべて明るく言った。

「兄のもとへご案内いたしますね。一緒においでください」

「ありがとう」

 エメルは振り返り、また笑った。

「あたし、殿下と一緒にいます」



 神殿の、祈りを捧げる間は、石の太い柱が等間隔に並んで、薄暗い。

『地の母』をかたどった像が作られていない代わりに、祭壇には花や果物が供えられている。

 ザガノスは祭壇の前に立っていた。大柄でたくましく、眉は太く目鼻立ちも大ぶりだ。

 頭には白い円筒帽をかぶっている。身にまとうのは、たっぷりと布を使った真っ白な神官の装束だ。

「ご無沙汰いたしております、長官」

「元気そうだな、ザガノス」

 ハルドゥンがザガノスの右の袖を見て、眉をひそめた。

「おまえ――右腕」

 ザガノスは特に表情を変えぬまま言う。

「結局、ひじから下は切った」

 ハルドゥンが手のひらで口元を覆って下を向く。

 ザガノスがセリムに、穏やかに声をかけた。

「あなた様が、セリム殿下でございますね」

「いかにも。ザガノス、そなた、右腕に傷を負ったのか」

「ええ。海賊掃討の際、深傷を負いまして、切断いたしました。ですが祈祷には支障ありませぬゆえ、滞りなく進めさせていただきます」

 セリムたちを座らせ、ザガノスは裾を払って大きな背中を向け、祭壇に向き直った。

 そしてアルドナ半島の昔ながらの言葉で、よく響く低い声で、祝詞をあげ始めた。

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