第14話 命令されれば従うのか

 トゥグルクがいったん刃をセリムのうなじから持ち上げた。白日に剣先がきらめく。そしてためらいなく振り下ろす。

 刃が当たる瞬間、セリムが上体をひねった。セリムを押さえつけていた海兵の肩にトゥグルクの剣が食い込む。

 悲鳴を上げるいとまもなく、剣を受けた海兵がうずくまる。

「何だと?」

 思わず口走るトゥグルク。隙が生まれた。セリムはすかさずトゥグルクの膝裏を足で押す。トゥグルクが膝をついた。その拍子に握っていた剣がトゥグルクの右手から落ちる。

 セリムはトゥグルクを仰向けに押し倒した。そしてトゥグルクの右腕にしがみつく。

 トゥグルクの頭から、しがみついた少年がカイエ帝国の皇子であるという事実が消し飛ぶ。

「何をする、このガキっ」

 セリムが仰向けに倒れたトゥグルクの右腕のつけねに両足を巻きつける。そしてセリムも背中を甲板につけ、トゥグルクの右手首を力いっぱい両手で引っ張った。トゥグルクが叫ぶ。

「いてえっ」

 セリムがトゥグルクに言った。

「おまえは剣に自信があるようだな。だからこうして利き手を固めれば、おまえは敵でなくなるというわけだ」

「ちくしょう、こんなガキに俺が!」

 悪態をつくがトゥグルクは身動きがとれない。

「やった!」

 ケマルが甲板に押さえつけられたまま喜びの声を上げた。ムサもハリルもヤクブもヌールもネディムもハルドゥンも笑顔になる。

「なかなかやりおるのう」

 バルタオウルも口の片端を引き上げて笑みを作った。あっけにとられたバイラムの腕がゆるむ。バルタオウルはその腕をつかむと、バイラムの足を自分の足で払って甲板に投げた。

「油断大敵という言葉を知らんのか、若造?」

 バイラムは受け身をとる暇もなく甲板に背中を強打した。その胸をバルタオウルが踏んづける。

 アルタンは口を開けたまま制止してしまった。

 セリムはトゥグルクの右腕を全身で固めたまま、大声を張り上げた。

「皆の者、聞けっ。私は、セリム皇子である!」

 海兵たちがムサたちを押さえつけていた手を一斉に離し、直立する。あとからムサたちセリム皇子の味方がゆっくりと立ち上がり、姿勢を正す。

 仰向けのままセリムは海兵たちに顔を向ける。

「おまえたち、俺の味方になれ」

 海兵たち、バイラム、アルタン、そしてトゥグルクが目玉をこぼしそうなほど見開いた。

 セリムは続ける。

「どうせ都に戻っても、俺を殺せなければおまえたちが罰として処刑されるだけだ。確かに今の俺は皇帝の敵だ。しかし俺はおまえたちに聞きたい。おまえたちは、命令されれば従うのか。殺す相手を何も知らぬまま、そやつを殺すのか。そのことに何の疑いも持たぬのか。おまえたちは皇帝から、死ねと言われればおとなしく死ぬのか?」

 空は青い。太陽は白く燃えている。波は穏やかだ。

 静寂をトゥグルクの不機嫌な声が破った。

「セリム――殿下」

 セリムは力をゆるめずに返す。

「何か」

「御身に従います」

 アルタンとバイラムが疑問と驚きを声に乗せる。

「トゥグルク!」

「おまえたちもそうしろ」

 トゥグルクの声は普段のそれに戻っていた。

「この方のおっしゃることは間違っていないと俺は判断した」

 セリムが両手両足をほどいた。トゥグルクに声をかける。

「立てるか」

「はい」

 二人は立ち、向かい合った。

 その瞬間、トゥグルクの右拳がセリムの顔面を襲う。

 ところがセリムは頭をわずかに傾けただけでよけた。トゥグルクが落胆を眉目に表す。

 セリムは笑った。

「遅い」

 トゥグルクが恥ずかしそうに両目を手のひらで覆ってうつむく。

「せめて一発殴らせてもらってから、臣下になりとうございましたのに」

 セリムがほほえんだ。

「それは悪いことをしたな」

 アルタンとバイラムがセリムの前にひざまずいた。アルタンが面を伏せたまま言う。

「参りました」

 セリムはアルタンの前に膝をついた。

「まさか海賊にひそんでいたとはな」

「裏をかいたつもりでしたが」

 バイラムが沈んだ声を出す。

「南部軍に忍んでおりました。万全を期したつもりが、面目次第もございませぬ」

 バルタオウルが声を立てて笑う。

「わしも気づかなんだ」

 海兵たちがセリムにひれ伏す。

 セリムはアルタンに尋ねた。

「味方になってくれたと理解してよいのか」

「はい。あのトゥグルクを倒したお方は初めてでございますし、また、トゥグルクも申した通り、殿下のおっしゃることは間違っていないと私も思いますゆえ」

「ありがとう」

 アルタンは思わず顔を上げた。君主から礼を言われたのは初めてだったからだ。

 セリムはアルタンに正対した。

「このまま、都に行けるか」

「はい。可能でございます」

「では、そうしてくれるか」

 アルタンは唇を湿し、声を落とす。

「お言葉を返すようでございますが――都においでになれば、お命の危険がございます」

「承知の上で申している」

 セリムは目を、甲板にいる男たちに向け、静かに告げた。

「私は、皇帝ジャムスに会う。会って、私の首をとれと命じたのはなぜか、問う」

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