第9話 星は何を語ったか

 皇帝ジャムスの言葉を、宰相イスハクは復唱してしまった。

「セリム皇子が、皇室の血を引いていないと」

 ジャムスは、二十歳年上の宰相の青い目を見てうなずいた。

 二人は今、セリムとヤクブが打ち合った、無人の神殿にいる。ここは、この神殿が建つ村だ。この村には都イスティンから馬を限界まで駆けさせれば一日で到着できる。アルドナ半島の常として空気は乾燥しているが、木々は緑の葉を豊かに茂らせている。

 ジャムスもイスハクも、官僚のいでたちだ。知らない人が見れば二人とも、無人の『地の母』をまつる神殿を視察に来た地方の官吏だと思うだろう。

 本来であれば皇帝と宰相が都を空けることはない。しかしセリムの首がいまだもたらされない現在、ジャムスはセリムの足取りを自らの目で確かめるべく、あえてこの村に身分を隠して訪れたのである。

 宰相イスハクは、今年で二十五歳になる皇帝よりも額ひとつ分背が低い。首も短い。しかし骨格はしっかりしており動きも俊敏である。彼は皇帝を見上げて尋ねた。

「私の他には、お話しになりましたか」

「皇后と、ルステムにだけは話した」

 ルステムとは天文省の長官である。黄金色の短髪とひげをもつ優男だ。イスハクとは業務上の会話を感情をひとつまみも入れずに交わす間柄に過ぎない。

 ジャムスの整った横顔は険しい。

「父からじかに聞いたのだ。誰にも言うでないとおっしゃった。私はセリムとは良好な関係を築いていた。だから少なからぬ衝撃を受けた」

「では、誰のお子なのでございますか」

「レイハーネから生まれたのは事実だ」

「父親は?」

「父上はご存じであったらしい。しかしそれをお聞きする前に急変なされた」

 イスハクは思い切って聞いてみた。

「陛下。恐れながら質問をお許しいただけますでしょうか」

「何だ、いきなり改まって。そなたとは私が八つの頃からのつき合いではないか」

「ありがたきお言葉、痛み入りまする。ケマルが持ち出しました星の配置図には、セリム皇子を殺害せよとの配置はなかったと聞き及んでおりますが、真実でございましょうか」

「真実だ」

 イスハクは何重にも布を巻きつけた頭部を下に向けた。ジャムスの頭部にも何重にも布が巻きついている。もしこれが皇帝のいでたちであったならば、重たい宝石までつく。

「それでは、皇子に自害をお命じになる根拠はいずこにございましたのか。何ゆえ私がこの件についてお伺いいたすのかと申しますと、仮にセリム皇子の首が届きました場合、私情にて皇族を殺害したとの汚名が陛下に残ることを危惧いたすからに他なりませぬ」

「――歩かないか、イスハク」

「……はっ」

 ジャムスは一歩一歩、石を敷き詰めた床を踏みしめながら進んだ。

 太陽は明るく、白い光を地上に振りまいている。

 薄い唇を重たそうに開き、ジャムスはつぶやくように語りだした。

「星の配置は刻一刻と変化する」

「存じております、陛下」

「ケマルが持ち出した配置図は、その一瞬を切り取ったものに過ぎない。幸い配置図を作成する時に私たちが書いた覚え書きが残っていたから、持ち出されたとしても復元はできる」

「周到でございますな」

「いつものことだ」

「ではその後、ご命令の根拠となりうる配置が表れたのでございますか」

「そのように見とることのできる配置であれば表れた」

「星は何を語ったのでございますか」

 足を止め、ジャムスはイスハクを振り返った。

「セリム。滅ぼす。滅びる」

 イスハクは青い目を、皇帝を飲み込むほどに見開いた。

 ジャムスの額も頬も青い。

「これが根拠だ。私は皇帝である。この国の秩序を維持することが私の責務だ。ゆえに秩序を破壊する恐れのあるものはどんなに小さくとも排除する。それゆえ私はセリムに自害を命じた。しかしあやつは逃げた」

 イスハクがごくりとつばを飲む。

 ジャムスは整った眉目を苦しそうに寄せた。

「そしてケマルが持ち出したものは、配置図だけではなかったのだ」

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