第8話 お覚悟召されよ
天文省東部出張所所員ゼキが現れた。彼だけではない。東部軍司令官ウトカンも同行していた。
ケマルとウトカンは互いに両腕を広げて歩み寄る。
「久しぶりだ、ウトカン」
「ケマル、イスティンでの研修以来だ」
ウトカンは胸回りも胴回りも大きい男だった。髪や口ひげにところどころ白髪が混じっている。年齢はケマルと同じく、あと三年で五十だ。二人は同じ年にカイエ帝国の官僚として採用された。
ゼキは目つきの鋭い、六十がらみの男である。ケマルの真っ白な髪とひげに驚く。
「ケマル、どうした、あんなにきれいな黒い髪だったのに。今はひげさえ真っ白ではないか」
ケマルが苦笑する。
「ゼキどの、お元気そうで何よりです」
「おかげさまで咳一つ出ない」
ケマルは星の配置図をゼキの前で広げた。
ゼキは受け取り、まじまじと見る。
「確かに『大波乱』の配置だ」
その一言を聞いた歩兵たち、ハルドゥン、セリム、ネディムとカディーヤ、ムサとハリル、ヤクブとヌールが配置図を持つゼキの周りに集まった。小柄なゼキはあっという間に埋もれる。
ウトカンが人垣の外側からゼキにただす。
「セリム皇子が『大波乱』を引き起こすと出ていますか」
「出ていない」
即答したゼキの声が、彼を取り巻く人々の体を揺り動かす。
再びウトカンはゼキに確認する。
「その配置図は、まことに都イスティンの天文省にて作成されたものですか」
「間違いなく天文省にて作成され、署名も皇帝ジャムス陛下の直筆だ」
カイエ帝国皇帝も星読みの訓練を受ける。そして天文省の星読みを担当する役人と共に天体の配置図を解読する。配置図の作成には皇帝も参加し、最後に署名する。だから星読みの役人は皆、皇帝の筆跡を目にして、記憶している。
念には念を入れてウトカンがゼキに問う。
「その配置図が偽造でないと断言できる証拠はありますか」
ゼキが人垣からようやく抜け出した。大事に胸に張りつけるようにして持っていた配置図をウトカンに開いて見せる。
「この番号を見なされ。この印は天文省にしかない。そして配置図は一枚だけ作成する決まりだ。つまりこれが今ここにあるという理由はただ一つしかない」
ウトカンが大きな目をゼキに据える。
「ケマルが持ち出した」
「その通りだ」
言い切ったケマルの前にセリムが出る。
「いつ持ち出したんだ」
「皇帝があなたに自害せよと命ずることを決定した直後です。私も天文省の星読みの一人としてその場におりました。もっとも呼ばれていなかったので、柱の陰に身を隠していましたがね」
「俺もおまえに聞きたいことがある」
「どうぞ」
「俺が帝国に安寧をもたらすことができるという配置も出ているのか」
今度はゼキとケマルが声を揃えた。
「出ている」
おおっ……と、口々に声が上がる。
セリムの顔が蒼白になった。
ゼキがセリムを見上げ、配置図を差し出す。
「殿下。お覚悟召されよ。これこのように、真ん中に輝く星が一つだけあります。これこそが、殿下が帝国に安寧をもたらすことを示す星なのです」
血の気が引いて白くなった頬のまま、力強い目と声でセリムは問う。
「何をすればいい」
答えたのはケマルだった。
「それは殿下と我々が、これから起こる事態に対処しながら考えるしかございません。どうせよとは星は示さないのです。あくまでも事をなすのは我々、人なのですから」
ゼキがもう一度声を強めた。
「殿下。お覚悟召されよ」
セリムは目を閉じた。
藍色の夜空にはたくさんの星がまたたく。
ネディムが進み出た。セリムの足元にひざまずき、頭を垂れる。
カディーヤも、ランカの民たちもネディムにならって地面にひれ伏した。
ムサ、ハリル、ヤクブ、ヌール、歩兵たちも膝と手のひらそして額を地面につける。
それを見てハルドゥンも、ウトカンも、ゼキも膝をついて頭を下げる。
ケマルだけが、セリムを見つめて立っていた。
セリムは、この十七歳の追われる皇子は、まぶたを開けた。その顔にはもう迷いはない。
「皆の者、聞け。私は都イスティンに戻る。そして兄ジャムスにただす。そうすることによってこの国に再び『大波乱』が起こらぬようにする。そのためにそなたらの知恵を借りたい。頼む。よい方法を教えてくれ」
聞き終わるとケマルもひれ伏した。伏せたまぶたから、涙が一筋伝う。
「恐れながら申し上げます」
ウトカンが言った。セリムが促す。
「許す。申し述べよ、ウトカン」
「南部軍の管轄地を通られますよう進言いたします。中央軍の管轄地を通ることが近道でありますが、高地が多く通行には多くの時を要します。その上山々にはそれぞれ所有者がおり、我々帝国軍の兵士が入り込むのを拒否しております。中央軍司令官のエセンは所有者に法を遵守するように徹底できておりませぬ。ですから中央では山賊や盗人が多く、危険であります。しかし南部軍司令官バルタオウルは違います。統治も行き届き、防衛上もそれがしと連携しております。ゆえに南部をお通りくださいませ」
「わかった」
セリムは簡潔に応じ、そしてウトカンに笑いかけた。
「ありがとう」
ウトカンが大きな目と口をさらに大きく開く。
「申し上げます」
今度はハルドゥンだった。
「申せ」
「南部にはそれがしの親友がおります。その者も殿下の助けになると存じます」
セリムがまた笑顔になる。
「よかった。礼を言う、ハルドゥン」
ハルドゥンの柔和な眉目がほころんだ。
セリムはもう一度星空を見上げた。そして自分の前にひれ伏す人々に目を向ける。
「みんな。私と一緒に来てくれ」
「はい、殿下!」
その声は大きくはなかったが温かく、力がこもっていた。
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