第2話 その力とは何なのだ

 林を抜けた。

 ケマルが険しい顔で振り返る。

「追跡されております」

 セリムも林に目を向ける。

「何も見えないし、何も聞こえないが」

「御免」

 ケマルが右の手のひらをセリムの目の前にかざした。セリムの視界が一瞬大きくゆがみ、すぐにもとに戻る。ケマルがうながす。

「地面と林を、今一度ご覧くださいませ」

 見ると、水色の光が林からセリムとケマルの足元に伸びている。

「何なんだ、これは」

 後ずさるセリムにケマルが教えた。

「大地の底に流れる水と、人の体内にある水とを結びつける技です。これによって相手を追跡します。より高度な技になると、複数の人同士を水でつなぐこともできます。すると、その人が見ている光景を、つながれた人々も見ることができます。その人が聞く音を、つながれた人々も聞くことができるのです」

「使いようによっては、恐ろしい技だな」

「あえて、追跡されたままでいましょうか」

「なんだと?」

 大きな声を上げたセリムに、ケマルは落ち着いて告げた。

「奴らをこちらの味方にするのです」

 セリムの頬から血の気が失せつつある。

「ケマル。おまえ、本気か?」

 ケマルはそんなセリムの目をじっと見て、言い切った。

「敵をも取り込む。これが真の君主です」

『地の母』の神殿にセリムとケマルは入る。

「誰もいないようだな」

 セリムがつぶやくと、ケマルが答えた。

「近頃このような、神官不在の神殿が増えておると聞いております」

「確かに草むしりもしていないし、クモの巣も張っている」

「それでもここはまだましな方ですね。花が生けてありますし、礼拝所は掃き清められております。ひどい所では石造りの柱が倒壊しているとの報告も受けたことがございます」

 アルドナ半島にはカイエたちが移り住む前から半島に住む人々に信仰されている『地の母』がいる。彼女を表す石像や絵画はないが、神殿は石で築かれている。神殿の大きさもさまざまだ。道端にひっそりと建てられた、子供の背丈よりも小さな神殿もあれば、現在セリムとケマルが身を潜めている、一般の住宅よりも大きな造りの神殿もある。

 神官になるには『地の母』をまつる神官に弟子入りする必要がある。基本的に望めば老若男女問わず誰でも神官になれる。しかし百年間も続いた安寧のために、半島に住む人々は『地の母』のありがたみを忘れた。そのため神官のなり手は年々減っている。神官不在の神殿が増えたことには、このような理由もあった。

 ケマルは胴体に結わえつけた包みをはずして床に置いた。中から干し肉を二枚と、革袋を一つ取り出す。

「どうぞ、殿下」

「すまない」

「先に水をどうぞ」

「おまえ、先に飲め」

「では、失礼します」

 二口飲み、ケマルはセリムに革袋を渡す。セリムも二口飲み、飲み口をひもで結んだ。

 干し肉を噛みながらケマルはセリムに尋ねる。

「殿下。『大波乱』は覚えていらっしゃいますか」

「忘れたことはない」

 百年前、この国で起こった、国内外を巻き込んだ大戦争をそのように歴史家たちは書き残している。

「第一皇子と第二皇子の、皇帝の位をめぐる争い。結局二人とも命を落とした。新たな皇帝が見つかるまでのひと月の間、『地の母』の大神官が皇帝代理を務めた」

「覚えていてくださったのですね」

 ケマルが喜びを噛みしめる。

 セリムが、都イスティンを出てから初めて笑う。

「忘れるなと、何度も語って聞かせてくれたじゃないか」

「痛み入ります、殿下。何も起こらないことこそが重要なのです」

「今、起こっているじゃないか。ジャムスは俺を殺したい。『地の母』をまつるべき神官は減っている。宮殿にいる時に聞いたが、ヘラス王国も軍艦の建造をさかんにおこなっているとか」

「だからこそカイエ帝国に安寧を戻さねばなりません。それがおできになるのは、セリム殿下、あなただけなのです」

 セリムは両手の指を固く組み、目を落とした。

「ジャムスがいる。俺はあいつに言ったのに。皇帝の位などくれてやると。俺にできることならどんな役職でもやると。それなのに俺を殺そうとしている」

「陛下はお気づきになっているのです。殿下だけがこの国に安寧を戻すことがかなうと。逆に言えば、陛下にはその力がない。いや、始祖カイエ以後殿下まで、その力を持てる皇帝が出なかった」

「何を根拠にそんなことを言うのだ。だいいち、その力とは、何なのだ」

 ケマルが答えようとしたその時、気配がした。

 セリムが干し肉を口に入れ、噛み砕く。

 ムサとハリル、ヤクブとヌールが、月光を背に、神殿の柱を額縁のようにして、立っていた。

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