第13話 回想・5

【流視点】


 私たちの前に置かれた料理、それは豚の生姜焼き定食とオムライスだった。

 息子はオムライスを前に……いや、天辺に刺さっている旗をキラキラした瞳で見ている。

 一方で私と妻は目の前に置かれた豚の生姜焼きを見る。

 湯気を立てる炊きたてご飯、野菜たっぷりの味噌汁、そして美味しそうな……いや、実際に美味しいだろう生姜焼き。

 何処か懐かしさを感じる生姜焼き……けれど、これだけ食材が使われているとなると値段はだいぶかかっているだろう。

 妻もそれが分かっているのか心配そうな表情を私に向ける。だが、そんな私たちへと息子が声をかけてきた。


「パ、パパ、ママ! 食べていい? 食べて、いい……っ?」


 何も知らない息子は目の前のオムライスを食べたいといった表情をしながら、手にはスプーンを持っていた。

 そんな息子の様子に妻も気づいたようで、頷く。


「そう、だな……。作ってくれた彼女と食材に感謝して食べようか」

「うんっ! いただきまーーすっ!!」

「……いただきます」

「いただきます」


 私の許可を貰ってようやく息子は食べれると嬉しそうにスプーンをオムライスに突きさして、薄焼き卵を切り開く。

 中のチキンライスの赤と卵の黄色がスプーンに盛られ、大きく開けた息子の口に入る。

 もぐもぐ、もぐもぐと頬が動き、少しすると眩しい笑顔で両手と両足をバタバタ動かしはじめた。

 これは息子が美味しいものを食べたときの反応で、すごく美味しいことを表現する美味しいダンスと本人は言っていた。


「……美味しいのね」

「みたいだな。……私たちも、食べよう」

「え、ええ」


 どれだけ美味しいのだろうか。そんな疑問を抱きながら生姜焼きの肉を箸で摘まむ。

 熱が加えられトロッとしたタレが絡んだ豚肉。タレが豚肉から零れるようにトロッと皿に垂れていく様子に、ごくりと唾を呑みこみ……ゆっくりと口に含む。

 すると甘辛い味わいが口の中に広がり、しばらくぶりにちゃんとした味がある食事を食べたということを脳が理解し、顎が動き口の中に含んだ豚肉を咀嚼する。

 瞬間――あの日の記憶が蘇る。


 ああ、そうだ……。


 私は妻のことが大好きで、結婚前からも彼女のために懸命に働いて……何時か纏まったお金が手に入ったら、彼女を誘って値段は張るけれど美味しい料理を食べようと誓っていたんだ。そして、良い雰囲気になったところで彼女にプロポーズをしようと思っていた。

 その夢は数年後に達成できて……緊張しながらも『心根』に入り、料理を注文した。

 美味しい料理を味わい……幸せな気分のままプロポーズをした結果、私を見ながら彼女は恥ずかしそうに微笑むと、私を受け入れてくれた。

 そこからは妻のためにと一生懸命に働き、子供が産まれ……妻だけでなく子供のためにより一層働いていた。

 咀嚼をする度に、プロポーズをしてからの数年間の記憶が蘇る。


 辛いこと、楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと……。色んなことがあった。


 それらを思い出しながら、甘辛くもピリッとした生姜の味を感じつつ……ご飯茶碗を持ち上げる。

 茶碗ごしに感じる熱を感じながら、ご飯を箸で取り……口に入れる。少し硬めに炊かれたご飯はモッチリとしており、口の中の生姜焼きの味わいを優しく包み込んでいくようであり……生姜焼きだけでは生み出せない味わいを創り上げた。


 ――美味い。美味しい…………!


 心の底からそう思いながら、気が付けばご飯茶碗を口元に近づけて勢いよくかっ込んでいた。さらに導かれるようにして、生姜焼きのタレがしっかりとかかった玉ねぎも食べる。

 熱された玉ねぎは、生とは違い独特な歯ごたえとともに……生姜焼きのタレの味と玉ねぎ本来の甘味が口の中で踊り、豚肉とは違った味わいを感じさせた。


 隣を見ると妻も息子も一心不乱に食べており、彼女が食べているキャベツに目が行き……私も続くように食べる。

 キャベツは千切りされているため、豚肉の熱により柔らかくなったのかしんなりとしており皿の底に広がったタレが絡んでおり……通常であればかけるべきマヨネーズや塩、ドレッシングといった調味料を必要としない。そんなキャベツの味を楽しみつつ、今度は何もかかっていない天辺の辺りを摘まんで食べる。

 するとシャリッとした繊維質の歯ごたえと口の中に広がる野菜から染み出た水分が口の中を埋め尽くしていたタレの味を洗い流し、リセットしてくれた。


「……うまいな」

「ええ、本当に……美味しい」


 私の呟きが聞こえたのか、妻が返事をする。そして彼女の声は何処か涙混じりに感じられた……。

 きっと、彼女もこの後のことに躊躇いが生まれてきたのだ。

 かくいう私も、こんなにも美味しい食事を久しぶりに取ったからか先ほどまで感じていた心の闇が薄れかけてしまっているのを感じた。

 けれど……例え今ここで躊躇って止めたとしても、私たちはまた飢えてしまう。そして、息子に悲しい思いをさせてしまうだろう……。

 だから美味しい記憶が残っているうちに、行うべきだ……。

 そんなことを考えていた私の服の袖を息子が引っ張っていた。


「どうしたんだい?」

「パパ、パパ! すっごくおいしい! 食べてみてよ!」

「……じゃあ、いただこうかな」


 満面の笑みで私を見る息子はスプーンにオムライスを乗せて差し出してきたので、好意を受けとりながら口に運ぶ。

 ……うん、美味しい。トロトロのオムレツを割ったものや、ドレスオムライスといった流行りの物とは違う昔ながらのオムライス。

 けれどライスに絡んだケチャップの甘味と鶏肉のモッチリとした食感と玉ねぎの甘味が食欲を引き立てる。


「ママも食べて!」

「ええ、ありがとう。……あ、美味しい」

「えへー」


 妻にもオムライスを差し出し、それを食べて感想を聞いた息子は満足そうに笑う。


 ……本当に、良いのだろうか? こんなにも可愛い息子を私はこの手でことが出来るのだろうか? こんなにも愛おしい妻が死ぬのを見ろと言うのか?


 そんなことを囁きはじめる自分が居た。

 死のうと思っていた。もう如何にもならないから、周りに迷惑が掛からないように妻と息子を連れて死のうとしていた。

 仕事がない、お金が減っていく、食べるものが無くなっていく……。

 逃れることが出来ないスパイラルに陥り、如何にも出来なかった。

 食べる物を買うためにお金を借りた。……返せる保障なんて無いのに。

 働こうと仕事を探すが見つからず、借金は段々と膨れ上がっていく。

 きっと近いうちに借金取りが来る可能性だってあるし、担保にしている自宅が取られるだろう。


 如何にか出来る。そう思って頑張るべきだろうと私の近況を聞いた者は言うかも知れない。けれどもう頑張った後なんだ。何にもならなかったのだ。

 妻は苦悩する私を見ていたため、理解してくれた。

 本当に妻には申し訳ない……いや、何も知らない息子にまで手をかける私はどうしようもない人間だろう。

 そんな風に心が、思考がぐちゃぐちゃになる私へと……息子は言った。


「パパ、ママ、また食べようね!」

「そう、だな……。そう……だよなぁ……」

「そう、ね……。そう、なのよね……」


 気が付くと私も妻も泣いており、息子を抱きしめていた。

 そんな私たちの様子に息子はキョトンとしているけれど、抱きしめられていることが嬉しいようで笑顔だ。

 ……ああ、神様が本当に居るなら、今のこの状況を何とかしてくれ。

 その為だったらなんだってする! だから……!

 ギュッと二人を抱きしめる腕に力を込めつつ願った私の耳に先ほどの食堂へと案内した少女の声が届いた。


「助けてやろか?」

「……え?」


 声がしたほうを見ると、ハカセと呼ばれていた少女が立っていた。

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