第51話


「部活に入らなくて良かったの? いいのよ、私のことは気にしなくても」


 中学校に上がってからもう2週間が経って新しい生活にもだいぶ慣れたころ、お姉ちゃんにそんなことを言われる。


「ううん、いいの。ピアノなら家でも弾けるし、入っていた時も結局ほとんど一人で弾いていただけだったから」


 それに、お姉ちゃんとの一緒にいられる時間を減らしたくないから。なんだか恥ずかしいからお姉ちゃんには言わないけど。


「そう。まあ、華がそれでいいならいいのだけれど」


「お姉ちゃんの方こそいろいろな部活に誘われているんでしょ? いいの?」


 お姉ちゃんが何の部活にも所属しないことはむしろ私にとっては嬉しいことだったが、単純に疑問に思ってそう聞く。どの部活に入っても活躍できるだろうに、いいのだろうか?


「ええ、そんなどうでもいいことに使う時間はないの」


「そう。——お姉ちゃんさ、小学校の頃はもっとみんなと話してたというか愛想良かったと思うんだけど、最近どうしたの?」


 部活のこともそうだけど、お姉ちゃんは昔はもっと社交的というかいつも周りに人が絶えなかったのに、最近じゃ孤高の姫なんていう噂が隣のクラスに聞こえるほどだ。


「そんな有象無象を相手していて華との時間が減ってしまったら本末転倒だもの」


 お姉ちゃんも同じようなことを思っていてなんだか安心してしまう。でもそれならどうして小学校の頃は違ったのだろうと思い『じゃあどうして小学校の頃はそうしてたの?』と聞くと、お姉ちゃんにしては歯切れが悪く小さな声で答える。


「それは、……華が心配するから」


「えっ? ごめん、聞こえなかったからもう一回言ってくれる?」


「何でもないわ。別に華が何とも思っていないならいいの。はあ、こんなことならもっと前からこうしておけば良かったわ」


 そう言うや否や私を引き寄せて抱きしめてくる。『何のこと?』と聞いてもはぐらかされるばかりで一向に答えてくれない。まあ、深刻なことじゃなさそうだからいいんだけど、なんだかおかしなお姉ちゃんだ。そんなことを思いながらもお姉ちゃんに体を預けてその温もりを享受する。ただひたすらに穏やかな時間が過ぎていった。


~~~


 5月に入ると、本格的に体育祭に向けての準備が始まった。今まではそんなイベントに現を抜かすなと言われ、あんまり参加できていなかったから新鮮だった。お姉ちゃんはリレーの選手に選ばれたみたいで、妹として誇らしく思う。


 応援や種目の練習に勤しんでいると、あっという間に体育祭本番を迎えた。折角夏を避けて5月に行っているのにも関わらず、炎天下に見舞われてしまい始まる前から倒れてしまいそうだった。暑さに耐えつつ出た種目では何とか足を引っ張らずに済んだと思う。お姉ちゃんとは組が分かれてしまったものの、昼食は一緒に食べ午前の部の感想を語り合う。午後にはお姉ちゃんも出る組対抗リレーがあり、優勝に貢献したお姉ちゃんの雄姿を見届けて体育祭が終わった。


 組ごとに解散することになったので一緒に帰ろうとお姉ちゃんを呼びにいく。お姉ちゃんの組もすでに解散していたのに、姿が見当たらないので少し探すと体育館の裏にお姉ちゃんの後姿を見つける。すぐに、お姉ちゃん、と声を掛けようとしたところ、『好きです。付き合ってください』と知らない男の子の声が聞こえた。その瞬間に金縛りにでもあったようにこわばって動けなくなってしまった。何とか重い足を持ち上げ、息を潜めてその場から離れる。ああ、あの時と同じだ。聞いてはいけないものを聞いてしまった。


 嫌な気持ちがぐるぐると巡っていて気持ちが悪く、早く帰って今の出来事を忘れ去りたい衝動に駆られる。そうして、先に帰ってしまおうと校門を出るその時にお姉ちゃんに声を掛けられる。


「華! どうして先に行ってしまうの?」


「……ごめん。見つけられなかったから先に帰っちゃったのかと」


 とっさに嘘をついてしまった。後ろめたさと気まずさで顔が合わせられない。


「私が、先に帰るわけないでしょ? 連絡してくれたら良かったのに」


「……ごめん」


「ほら、一緒に帰るわよ」


 帰り道、私はほとんどしゃべることなくお姉ちゃんの言うことに相槌だけを返していた。家につき、いつものように二人でお風呂に入ったり、料理をしているときも私は待っていた。夕飯のときにお姉ちゃんからそのことを話してくれることを期待していたのにとうとうお姉ちゃんが話してくれることはなかった。


 どうして、話してくれないの? 私には言えないの? もしかして……。いや、お姉ちゃんの人生なんだから私がとやかく言うことじゃない。そんなこと分かっているはずなのに、お姉ちゃんが誰かと付き合うのは嫌だった。


 こんな醜い気持ちが自分にあるなんて知らなかった、知りたくなかった。とにかくこんな気持ちには蓋をして明日からいつも通りにならないと。分かっていたことじゃないか、お姉ちゃんだって離れていくときは来るって。それが早まっただけだ。だから……。


 お姉ちゃんが抱きしめてくれていたのに、その日はなかなか寝付くことができなかった。




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