第46話
「お父さん、お母さん。大事な話があるんだけど」
私がそう言っても、お父さんたちは特に騒ぎ立てることもなく、冷めた声音で聞き返してくる。
「何だ? どうせ大した話でもないだろう。くだらないことを言わずに勉強しなさい」
「ううん。とても大事な話なの。私だけじゃなくてお姉ちゃんも一緒に」
「はあ、なら手短に言うんだ。時間がもったいない」
面倒そうな態度を隠そうともせず、続きを促される。お母さんは、私たちとお父さんの間の話と思ったのかその場を離れようとしたので、引き留める。
「お母さんもこっちに来て。私たち家族の話だから」
そうして、皆がリビングの席に座った。いつも朝はこんな風に集まっているはずなのに、なぜだろう。初めて集まったみたいだ。朝は、お母さんがキッチンにいたりするときもあるし、お父さんは新聞を読んでいるからだろうか。
「それで話というのはなんだ? まだ少し先とはいえ、受験までもう1年ないんだぞ」
「お父さん、お母さん。私たちは養子になることにしたの」
どう切り出そうか、お姉ちゃんと何度も相談した。私たちのことをどう思っているのか聞いたり、相談する体で話し始めたりとかいろんなことを考えたけど、結局結論から言うのが一番だということに落ち着いた。どんな風にいっても取り合ってもらえる気がしなかったから、直球でいくことにした。どんな反応が返ってくるかと待っているとお父さんはまるで、本気にしておらず私たちを諭すように続ける。
「何を馬鹿なことを言っているんだ? そんなくだらんことを言う暇があるなら勉強しろ!」
「あら、華。それじゃ、言葉が足りないわよ。家を出るから、養子縁組を認めなさいって言わないと」
「なんだと! 今まで育ててきた恩を何だと思ってる⁉」
お姉ちゃんが挑発するみたいに言うから、一気にお父さんが怒ってしまった。まだ、怒鳴られたりすると身がすくんでしまうけど、ここで逃げたらまた変わらない。
「……育てたって、何? いつも結果しか見てなかったじゃん。何かを教わったり、何かをしてもらった記憶なんてないよ!」
ああ、ホントは最後まで冷静にって言われたのに、堪え切れず思わず大きな声を出してしまった。
「お前、親に向かってなんて口を! できないお前が悪いんじゃないか。俺はちゃんと勉強をできる環境を用意した。それなのに——」
「はい、そこまで。二人とも感情的になりすぎよ。華、冷静にと言ったでしょう? 建設的な話し合いをしましょう」
「そ、そうよ。養子って何? どういうことなの?」
私たちがさらにヒートアップしそうになっていたところに静かな、それでいて力強いお姉ちゃんの一声で場が静まりかえった。そこにお母さんがようやく口を開いた。
「私から説明するわ。さっきも言ったように私たちはもう家を出るの。ただ、そのまま出たのでは、契約などにいろいろ不都合があるから、養子縁組を認めて欲しいの。お願いできるかしら?」
「そんなふざけたことを言って、……認められるわけがないだろう? そもそも何が不満なんだ。こんなに恵まれているというのに?」
「ええ、そうよ。どうしてそんなことを? 何が悪かったの?」
やっぱりお母さんたちは何も分かっていない。私たちには記憶があるから当然と言えば当然かもしれない。……いややっぱりそんなことないか。受験に落ちたことはただのきっかけにすぎず、それまでも確実に私を蝕み、壊れていた。
「お父さんたちは私の努力を褒めてくれたことはあった? 結果が振るわなくても、また次がある、よく頑張ったって褒めてくれた? 誕生日を祝ってくれたことがあった? みんなでどこかに遊びにいったことは? それに何より、したいことをさせてくれた?」
「な、何を急に? 結果が出なければそれまでは何もしていないのと同じだ。当たり前だろう。それに必要なものはちゃんと与えていた。何も、何も不足はなかった」
「どうして分かってくれないの? ただ認めて欲しかっただけなのに。私を見て欲しかっただけなのに、どうして? お父さんたちは別に私じゃなくてもいいんでしょ?」
「もっと頑張って、身が擦り切れるまで頑張ってから言えることだ、そんなことは! だから……」
「やっぱり、言ったでしょう、華。分かり合えることなんてないのよ」
そう言うとお姉ちゃんは、席を立ってお父さんの耳元で何かささやいた。
「お前、どうしてそれを?」
「心配しなくても暴露したりしないわ。ただ、認めるだけでいいの。私たちが養子になるのを」
「ちょっと待って。華はともかく、優まで行くの?」
「当たり前でしょう。華がいないこの家に残る意味がないもの」
「……分かった」
ホントに何を言ったんだろうか。いざとなったら策があると言っていたけれどまさかそんなに効果がある事なんて。それにしてもやっぱり分かりあうことはできなかったか。
「ちょっとお父さん? なんで? そんなことしたらお母さんになんて言われるか」
「……もう決めたことだ。ここまで言ったんだ。もう俺の娘なんかじゃない」
前もそんなことを言われたことがあったな。ああ、まだ無理か。それなら私もお母さんに前から言いたかったことを言おう。
「お母さんはいつもそうだよね。周りの目ばっかり気にして、こっちの方は見なかった。これから私たちは自由になるから、お母さんもいい加減自由になったら?」
私がそう言うと、お母さんは意味のないうめき声をあげながら崩れていった。もう話すことはないと思い、その日は部屋に戻った。そして、お姉ちゃんと二人でベッドに入り、一緒に眠った。なかなか寝付けなかったけど、目を開けたら零れてしまうから必死で目を閉じていた。そんな私をお姉ちゃんは優しく抱きしめてくれていた。
そしてとうとうその日が来た。諸々の手続きを終え、お姉ちゃんと一緒に外に出ようとした最後のときにお父さんに話しかけられる。
「俺の家は貧しくて何もなくて、それを変えるために必死で勉強して、苦労して、今の結果を出してきた。だから何があっても勉強さえできれば、お前たちが幸せになれると思っていたんだ」
それは、どちらかと言えば独り言のようで、私たちに話しかけているものではなかった。でも、私は答えねばならないと感じた。
「……そう。もう少し前にそれを聞けていたら何か変わったかもしれない。でも、そうだね、ありがとう。私たちはきっといつかいい関係を築けるようになれると思う」
そうして、私は振り返ることなく家を出た。
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