第11話
結局落ちてしまった私はまた今までのようにお父さんに怒鳴られた。とても悲しかったけれど今まで程ではなかった。一度諦めがついてしまえば、案外そんなものだった。
そうして公立の中学に進学した私は放課後ピアノを弾いている。本当は、勉強以外の部活とか遊びとかはお父さんに禁止されていけど。部活に所属すると通信簿なんかでばれてしまうから先生にお願いして、吹奏楽部の練習のない水曜と日曜だけピアノを弾かせてもらっている。お父さんたちには図書室や図書館で勉強していると嘘をついた。嘘をついたのだって、言いつけを破ったのだって初めてのことだったが、あまり気持ちの良いことではないな、なんて思う。そんなこんなで一人、音楽室でピアノを弾いているとガチャとドアの開く音がする。先生だろうかと思いつつドアの方に目を向けるとそこにいたのは予想とは違う人物だった。
「ああ、ホントに華が弾いていたのか」
「真依さんでしたか。なんでこんなところに?」
普段ここに来る人なんか先生以外に居ないから少し驚いてしまう。それに水曜は基本どの部活もお休みだから生徒には残る予定はないはずなのに。
「いや、毎週水曜日に華がピアノを弾いているって噂になっていたから、もしそれが本当だったら少し話したいなって思ってさ」
「それでここに?」
「そ。最近あんまり話せてなかったし。ああでも、邪魔したならごめん。またいつか話そう」
「いや、大丈夫です。私もお話したいなって思っていたので」
私と話したいだなんて何とも奇特な人だ。そう思ったけど、求められたからには応えたかった。それに、ずいぶん前の人生で仲良くなったこともあり、ほとんど人と話すことのない私が話す数少ない人なので私も話したかった。ピアノに置いていた手を下ろし、体を真依さんの方に向ける。
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
そう言って、真依さんは近くから椅子を持ってきてピアノのそばに座る。私も体の向きを真依さんの方に向ける。
「何を話したいのですか?」
「話題があるんじゃなくて、華と話したかったんだよね。ほら、いつもすぐに帰っちゃうじゃん? 帰って何してるの?」
「……勉強ですかね。それぐらいしかすることがないので」
確かに放課後は水曜日以外は家に帰ってしまう。長年と言うべきかは分からないけど今までの習慣を変えることは難しく、結局今も惰性で勉強するようになってしまった。お姉ちゃんと話すことをしなくなってからはますます時間がたくさんできてしまい、私はもう何がしたいのかも何をするべきかも分からず、その持て余した時間を埋めるように勉強している。それでも前よりは何かに追われるような感覚もなくのびのびと勉強できている。
「薄々分かってはいたけれど偉いね。まあだからこそ学年1位なんだろうけど」
何度も中学生を繰り返したおかげでだいたいのことは覚えられているから、学校のテストくらいならいい成績を取ることができている。でも私は、全然偉くない。お父さんたちに秘密で放課後にピアノを弾いているような不良なのだ。
「全然偉くなんかないですよ。今だってホントは家に帰って勉強しないといけないのに言いつけを破ってこんなことしてる悪い子ですから」
「そうかな? まあでもそれで良いんじゃない? 華の人生は華のものなんだからさ」
あっけらかんとそう言う真依さんに驚いてしまう。私は期待に応えられない悪い子で、だからお父さんたちからは見放されてしまうのだと。期待に応えることすらできないのに、言いつけを破ってもいいなんて考えたこともなかった。本当は破らずにいられればどれほど……。
「でも、私は期待に応えたくて、だけど——」
そこで、言葉が詰まってしまう。どうして今さら涙なんて。この人生を始めてから私もおかしくなってしまった気がする。私は真依さんに見られないように慌てて体の向きを変え顔を隠そうとするも、それより早く真依さんが『大丈夫だから、こっちにおいで』と言って私を抱きしめる。真依さんのお腹に顔をうずめるような姿勢になり背中を撫でられる。なんだか前も似たような状況があった気がする。心地よい温かさに思わず抵抗せずに身を委ねてしまう。
しばらく時間が経って落ち着くと途端に恥ずかしくなってしまう。突然泣き出してしまい、それを同級生に慰められるなんて。
「あの真依さん、もう大丈夫ですから」
「ねえ、華。自分で自分を責めちゃだめだよ。自分だけは自分の味方でいてあげないと。もちろん、うちも華の味方だけどね」
「……ありがとうございます」
「華はさ、勉強が好き?」
「……あの、この状態のままですか?」
と聞くと、よいしょとかわいらしい掛け声ともに私はひっくり返され、真依さんの太ももに頭を乗せ寝転がるような体勢になった。体を起こそうと思ったらやんわりと肩をおさえられ、にっこりと笑顔で頭を撫でられたのでそのままの状態に甘んじる。
「勉強は特に好きではないです」
「じゃあさ、ピアノは好き?」
「はい。好きだと思います」
質問の意図は分からなかったが正直に答える。質問されながら髪を梳かされるのがくすぐったい。
「じゃあ、どうして好きなのか、どうして好きになったのか分かる?」
そう言われると難しい。どうして私はピアノを好きになったのだろう、それを言語化するのは容易ではない。ピアノを弾いていると、何もかもを普段のことを忘れられて、ピアノだけに集中できるから? いやきっと最初はそうじゃなかった。最初は、そうだ。
「認められたから……そう、多分認められたからだと思います」
私がピアノを本当に好きになったのはあの時からだった。
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