第8話

「やっぱり廻夜さんの演奏は良いわね。とても温かい気持ちになれるわ」


「ありがとうございます」


 念願かなって中学に受かった私は前々から入りたいと思っていた吹奏楽部に所属することができた。ただ大会とか合宿みたいな行事は時間がかかりすぎるとお父さんに言われ参加することはできないけれど。でも私がしたかったのはピアノだけだし、吹奏楽ではピアノはほとんど必要とされることはないので、たいていは放課後に一人のびのびとピアノを弾かせてもらえているのでむしろ良かった。今日は大会に出ていた子たちがオフなので顧問の先生と二人きりである。


「家庭の事情とはいえ大会に出られないのが本当に残念ね」


「お気遣いありがとうございます。でも別に良いんです。こうやってピアノを弾くのがとても楽しいので」


 私の母の家が、今は少し裕福な家程度ではあるものの名家らしく、教養として小さい頃からいろんなことを習わされた。ピアノはそのうちの一つで、私の唯一好きなものと言っても過言ではない。ピアノを弾いていると落ち着くし嫌なことを忘れられる、そんな気がする。


「そう。——実はね、みんな廻夜さんと大会に出てみたいってよく言っているの。それに廻屋さんともっと仲良くなりたいって言う子も多いの。それで、次回のコンクールではぜひピアノ伴奏のある曲を演奏しようと思っているの。その伴奏をできれば廻夜さんにしてほしいなと」


「私が、ですか」


「そう、廻夜さんのピアノはとっても上手だからぜひ他の人にも聞いてほしくて」


「そうですか。……分かりました。父に相談してみます」


「ありがとう。いい返事期待してるわね」


 そんな風に思っていてくれたなんて知らなかった。でも、そう言われてどこか喜んでいる自分がいる。ピアノを弾けているだけで楽しいからそれだけでいいかなと思っていたけれど本当は皆と一緒に目標に向かって頑張ってみたりしてみたかった。今は学校のテストとかでも十位後半ぐらいを維持できているからもしかしたらお父さんもコンクールに参加することを許してくれるかもしれない。そんな期待を抱きながら、家に戻る。


 今日はお父さんを待つためにリビングで勉強をする。途中で、お母さんが『お疲れ様』といいながら温かいココアを持ってきてくれた。そんな声かけやココアなんてこれまでの人生ではなかったことだから殊更うれしい。勉強に集中しながら待っているとガチャと玄関の扉が開く音がする。お父さんだ。


「なんだ、珍しいな。リビングで勉強しているなんて」


「は、はい。少し相談したいことがありまして」


 緊張しながら話を切り出すとお父さんは怪訝そうな顔をして返事をする。


「どうした?」


「次の吹奏楽のコンクールに出てみたいんです。もちろん勉強も頑張りますから」


 私がそう言うとお父さんは途端に渋い顔をして言う。


「華、部活はほどほどにしろと言っただろう。直近の校内模試の成績を覚えているか。15位だぞ。優は、公立中学とはいえずっとトップの成績を維持している。もちろん、そこには比べられないほどの差があるが、もう少し良い成績を取らないと将来苦労するのは、華お前自身だぞ」


「……はい。分かっています。でも——」


「そんなくだらんことに時間を割くぐらいなら勉強をしろ」


 そう言われ、お父さんは部屋に戻っていく。残された私は重い体を引きずるように階段を上る。もしかしたらと期待してしまっただけ落差がひどかった。私は私なりに頑張って、今の成績をなんとか維持している。入りはどうであれ、中学校で取り扱う内容が大幅に変わったりすることはないからどうにかついていくことができている。でも、これ以上どう頑張ればいいの? もう私には分からないよ。


 その日はなかなか寝付くことができず、部屋の窓から星の見えない外を眺めていた。相も変わらず外は暗闇とは程遠い明るさだ。お世辞にも都会とは言えないここでこうなら都会ではきっと昼のような眩しさなんだろう。昼も夜もいつまでも、その身が燃え尽きるその時まで頑張る人がいて、星はその熱と光に負けてしまうのだろう。


 後日、先生にはやっぱり無理だったということを伝えた。とても残念だと言ってくれたが、今までと同じようにピアノを弾くことは変わらなかった。


 ピアノを弾く、この時間だけは心が落ち着く。自分の中にある気持ちをまるでピアノが代弁してくれているみたいだ。大丈夫、望まなければいいんだ。今を大切にして頑張ろう。

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