第3話

「ねえ、華。どうしてそんなに勉強してるの? 期末テストはまだまだ先だよ」


 放課後、周りのクラスメートのほとんどが帰った後、無心で問題を解いていると、隣から眞渋さんが話しかけてくる。


「……期末テストのためではなく、高校受験に絶対に受かるためです」


「まだ2年の夏なのに、真面目だね~」


「それぐらいしか私にできることはないですから」


 人一倍頑張ることでようやく人に追いつくことができる。それを信じて私はこれまでずっと頑張ってきた。


「根を詰めて頑張るのも大事だと思うけど今からそんな調子じゃいつか倒れちゃうよ」


「でもこうでもしないと、受かりっこないですから。……でも確かに集中も切れてしまったので少し休憩を取ろうと思います」


 疲れがたまっていたのだろう、少し文字が見えづらくなってしまっていたのでペンを置き目頭を揉む。


「そうだよ、それがいいよ」


 なぜか私が休憩することになって眞渋さんが嬉しそうにしている。本当に眞渋さんは不思議な人だ。昔から勉強ばっかりしてきたから私に話しかけてくる人なんていないのに。そうだ、いい機会だし今まで聞きたかったことを聞いてみよう。


「あの、一つ聞いてもいいですか?」


「うん? なに、なに?」


「どうして眞渋さんは私なんかに話しかけてくるんですか?」


 私は他の皆みたいに最近の話題についていけないし、放課後に一緒に遊んだり部活に励んだりすることもない。逆に、眞渋さんはいつも誰かと一緒にいて楽しそうに笑っているし、いろんな人から頼りにされているようで、人に頼みごとをされたり人に感謝されたりしている姿をよく見る。他の人なんてほとんど注目していない私でさえ分かるのだから相当なものだろう。それに身だしなみにも気を配っていて、すごくお洒落できれいだ。そんな眞渋さんがこんな私に話しかけてくることがずっと不思議だった。


「どうして? うーん、それは難しいなあ。まあきっかけは、もちろん1年のとき席が前後になったからだけど、こう何て言うかな。……なんかほっとけなかったんだよね。目を離しちゃいけないというか、こう庇護欲が刺激されるというか」


 身振りを交えて教えてくれる眞渋さんだったが、疑問は解けないままだ。庇護欲と言うのは幼く弱いものに対して感じるものではないのだろうか。


「同級生なのにですか?」


「そう。だって華はこんなに小さいし可愛いし、いつも一所懸命なんだもん。だから華はうちに甘やかされればいいのだ~」


 そんな意味の分からないことを言うと、眞渋さんは私を引き寄せ抱きしめてくる。急にそんなことをされて驚いたが、柔らかく温かな感触に包まれているとなんだか落ち着く気がする。それになぜだろうか私は眞渋さんにこうされたのが初めてではないようなそんな感じがする。今までされたことがないはずなのに、まるで何度も眞渋さんに抱きしめられていたようなそんな不思議な感じが。


「何をするんですか? 眞渋さん」


「別に~。ちょっと華を抱きしめたいと思っただけだよ。それにね苗字じゃなくて名前で、真依って呼んでほしいな。マイマイとかママとかでもいいよ。ほら眞渋だとマッシブみたいな感じでいやじゃん?」


「そうだったんですか。そうとは知らずすみませんでした」


 私は知らず知らずのうちに眞渋さんを不快にさせてしまったようだ。小さい頃からほとんど家族としか接したことがないから人とどう接すればいいのか分からなかった。


「ふふふ、そんな深刻に考えなくて大丈夫だよ。それにそんなにかしこまらなくたっていいんだよ。ほら、うちらは同級生なんだし」


 そう言いながら眞渋さんは私の頭をなでてくる。なぜかとても安心してしまう、そんな心地だった。だが、ずっとこのままでいるわけにもいかないだろう。


「あの、いつまでこうしてるんですか」


「このままずっとって言いたいところだけど、そうもいかないよね。——そうだな~、名前で呼んでくれたら離してあげるよ」


「じゃあ、真依さんでいいですか?」


 まさかそんなに自分の苗字が嫌いだったなんて本当に悪いことをしてしまった。


「はやっ、そんなにこうされるのいやだった? まあ、次からはそれでお願いね。ホントはさんもなくてもいいんだけど」


 眞渋さん、改め真依さんはそうして私を解放してくれた。名前を呼んだ時は考えていなかったが、答えたら離れてしまうのか。ならもう少し答えなければ良かった。だんだんと離れていくぬくもりを寂しく感じていると、なぜかもう一度抱きしめられる。


「ねえ、やっぱりもう少し抱きしめてていいかな?」


「……はい」


 人に抱きしめられたのはいつぶりだろうか。温かくて、落ち着く。ドクンドクンと聞こえる一定のリズムが私を眠りに誘ってくるような気がした。少し意識を手放そうとした時、真依さんに声を掛けられる。


「ねえ、華。今度は私から質問してもいいかな?」


「いいですけど、このままですか?」


「うん、このまま」


 会話をするなら離れたほうがいいと思ったが、まだこの時間が続くようでどこかほっとしている自分がいる。それでも顔を向き合えるように少しだけ体勢を変える。すると思いのほか、真依さんの顔が近くにあって少し驚いてしまう。しかし、真依さんは意に介した様子もなく聞いてくる。


「華はさ、どうしてそんなに頑張っているの?」


「……どういうことですか?」


 質問の意図が分からず、思わず聞き返してしまう。


「どうしてそんなに勉強しているのかってこと。それは何のためなの?」


「だからそれは高校に受かるためで——」


「それは誰のため?」


「それは、もちろん自分のためですよ。あの高校に受かることが自分のためになるのですから。」


「……そう。もしさ、辛いことがあったらさ、いつでもうちを頼っていいからね。」


 そう言う真依さんはどこか辛そうな表情をしていた。そして私の返事も待たず、また私をぎゅっと抱きしめてきた。ちょっと息苦しさを感じたもののその表情が頭から離れず、されるがままにしておく。

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