第1話
いや待て、どういうことだ? 一旦落ち着いて考えよう。私はあの時橋から飛び降りて死んだはず。それがどうして生きていて、しかも昔の姿に戻っているのか。スマホで西暦を確認すると今は私が小学6年生のころのようだ。数分考えて答えを出す。——そうか、さっきまでのはきっと夢だ。受験に対する不安からありもしない悪夢を見てしまったのだろう。そうだ、そうに違いない。だってあんなに優しいお父さんがあんなことをするはずがない。あんなにみじめな最期を迎えるはずがない。いくら受験が不安だからってあんな夢を見るなんてどうかしている。
そう結論付けたところで下から「二人とも早く起きてきなさい」と声が聞こえる。聞きなれたお母さんの声だ。そういえば今は朝か、早く食べに降りていかなきゃ。
部屋を出て1階に降り、リビングに入る。お母さんが料理を作っていて、お父さんが座って朝刊を読んでいる、見慣れたいつもの光景だ。でもいつもならお姉ちゃんがいるはずなのにどうしたのだろう。
「あれ、お姉ちゃんはまだ?」
「それが優はまだ来ていないのよ。食べ終わったら起こしに行ってきてくれる?」
「分かった」
お姉ちゃんが私より起きるのが遅いなんて珍しいこともあるものだ。私が朝食を食べている間にもお姉ちゃんは起きてくることはなかった。朝食を食べ終え、まだ起きてこないお姉ちゃんを起こすために2階に上がる。
「お姉ちゃん、早く起きないと遅刻しちゃうよ。……入るね」
扉を開けると私の部屋と同じように簡素で整えられた部屋が目に入ってくる。間取りなんかもあまり変わらないはずだが私の部屋と違うように感じるのは部屋の主の違いだろう。お姉ちゃんの部屋からはなんていうか、そう、気品を感じる。そんなことを考えていたらお姉ちゃんが起きたようだ。
「ううん。……あれ、華! どうしてここに?」
「どうしてって、お姉ちゃんが全然起きてこないもんだから起こしに来たんだよ」
「そ、そう。ごめん」
寝起きのお姉ちゃんはいつもより身近に感じる。いつもはなんかきらきらして完璧な超人のようだからこんなお姉ちゃんが新鮮に思える。それにしても私より起きるのが遅くなるなんてかなり疲れているようだ。まあ連日勉強やらなんやらで疲れてしまうのも無理もないか。
「それじゃあ、私は準備してるから。早く行って朝食食べてあげないとお母さん悲しんじゃうよ」
「そうね、分かっているわ。すぐに行く」
お姉ちゃんを置いて自分の部屋に戻る。随分久しぶりに見る気がするランドセルに今日の分の教科書が入っているかを確認する。朝の支度を終え、リビングに戻るとちょうどお姉ちゃんが食器を片付けているところだった。
「ごちそうさま。ああ、華。ちょっと待っててもらえる? すぐに用意していくから」
「もちろん」
コップにお茶を注いで、お姉ちゃんが来るのを待つ。時間的にはまだまだ余裕があるから大丈夫だ。あの悪夢を見たからだろう、朝から疲れてしまった。やけにリアルだったせいか、まだ飛び降りた時の風の感触さえ覚えている。
「華、最近勉強の調子はどうだ?」
「は、はい。特に問題ないです。」
「そうか、引き続き励みなさい」
「はい」
急に声を掛けられたものだから驚いてしまった。普段はあんまりお父さんが話しかけてくることはないし、あんな悪夢の後だからか余計に緊張してしまった。でも別に言っていることに嘘はない。実際に過去問や予想問題の点数は右肩上がりだ。このままならきっと夢のようにはならないはずだ。
「ごめん。待たせたわね」
「ううん、気にしないで。それじゃあもう行く?」
「そうね。行きましょう。じゃあ、行ってきます」
「私も行ってきます」
「二人とも、いってらっしゃい。」
今日もいつも通りお姉ちゃんと登校をする。一緒に歩きながら他愛ない話をする。ああそうだ、私はこの時間が好きだった。勉強やら将来の不安を忘れることができる数少ない私の癒しの時間だ。お姉ちゃんと一緒なら大丈夫、こんな日々がこれからも続いていく、私はそう信じてやまなかった。
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時は流れ、私が変な悪夢を見たこともすっかり忘れたころ、中学受験が終わった。正直手応えはある。いろんなことを我慢した、それもこれも合格のためだ。きっとお姉ちゃんは受かるだろうから、私が受かっているかどうかだけが心配だ。
そして、ついに発表の日。お姉ちゃんと見に行った掲示板に、私の番号はなかった。
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