美男屑

@yocchikun

天の川の畔で

 久しぶりですね、アイヴァン様


『誰の事ですか?』惚けても無駄ですよ、貴方がアイヴァン・ソーンダーズ、そしてわたくしがレイチェル・ロックハートである事など貴方が一番よく知っているでしょうに。


 おや、驚いた顔ですね。貴方の聞きたいことはよぅく理解しておりますが、まずは私の話をさせていただいてもよろしいですか?

 その首肯は了承と受け取ります。


 さて、とは言っても何からお話すれば良いものやら…そうですね、まずはあの日の話からいたしましょうか。


 あの日、貴方がマリアという平民の少女を引き連れて、ご自身の誕生日パーティーで婚約を破棄したいと仰った日。

 共に連れていた少女はどこへ行かれましたか?



 怯えなくてもよろしいのですよ。少し意地悪をしてしまいましたね。


 彼女の事は私が把握しております、幼馴染の町人と縒りを戻して、今は二児の母として幸せに暮らしているそうです。


 嬉しそうですね。愛したはずの女が他の男と幸せになったという話ですのに。



 まぁそれもそうでしょうね、何せあの方と貴方の間に愛など無かったのですから。


『…どこまで知ってる』?当然ですわ、貴方の居場所も、関わった者も含めた動向も…あなたの真意も


 貴方はソーンダーズ公爵家の跡取り、たとえ爵位を継いでおらずとも王太子でないクリストファー第二王子殿下…元殿下であれば、『尊き御身をこのような急拵えの会に招くわけにはいきませぬ故、後日別の会を以って代わりにさせていただきたい』とでも誤魔化して招待をしない事は出来たでしょう。


 急拵えになった理由である彼の方の調査結果を王に提出でもすれば、の話ですが。



 おっと、訂正が足りませんでしたね。今のソーンダーズ公爵家の跡取りはエルドレッド・ソーンダーズでした。


 ええ、貴方の弟、『麒麟児』と謳われたあのエルドレッド殿です。


 貴方が常々『自分よりはるかに優秀だ』と仰っていた彼は、その通りに無事継承出来そうです。


 少し話が逸れましたね、あの後、エルドレッド殿及びその学友がた…貴方の数少ない友人殿に貴方の不穏な噂を聞かされていた彼らに浮気を糾弾され、貴方は会場から逃げ出しましたね。


 クリストファー元殿下も、その場に居なければ

 まさか己が周囲を排除して孤立させ、愛する者全てを残酷に奪い傷つけ、知力権力暴力全てを以ってして手の内に落とし込まんとした執着対象が公爵令息に攫われていたなどと気付く事が出来なかったでしょうから、逃げるのはさぞ簡単だったでしょう。


 まぁ、どの道捕まった幼馴染の少年を助ける過程で見つからざるを得なかった訳ですが。


 もしかしてお気づき出なかったのですか?牢の鍵を開いた跡、昔こっそり見せてくれた窓の鍵の開け方の癖と同じでしたよ。



 いけませんね、貴方の顔を見ていると次から次へと話したいことが溢れてくる。


 ともあれ、貴方は彼を助けた後、マリアさんと引き合わせ、お二人とその家族をクリストファー殿下の全ての罪業が白日の下に晒される日まで守り通しました。


 貴方は己を卑下しがちでしたが、そのような事を独力でやり通せる貴族など普通はおりませんよ?もう少し自分に自信を持ってください。


 その後貴方は二人から離れて王都を離れ、しばらく旅を続けてこの隣国まで訪れ

 今、雨の中で凍えて命を落としそう。という事で合っていますか?


 首を振りましたね。肯定と受け取ります。

 壮絶に腑に落ちないという顔ですね、貴方の表情はとても分かりやすい。昔と一緒です。



 さて、話終わっていないのはこれで二つ、私が何故ここに来たのかと、貴方がこんな所業に打って出た理由です。


 先程までの話と違い、ここからの話に確たる証拠はなく、私の想像に過ぎません。

 ですが、私はこれが真実であると確信しています。



 皆に幸せになって欲しかったのでしょう?アイヴァン様



 少女と共謀してあの場から連れ出したのは、クリストファー元殿下の手から遠ざけるため。


 貴方の机の上にこれからの領地統括に関わる資料を残していったのは、貴方の後釜に自身より優秀なエルドレッド殿をつつがなく据えるため。


 あの段階で突如として行動を起こしたのは、クリストファー元殿下の罪が『廃嫡』で済むようにするため。



 そして、エルドレッド殿の周りにだけ話をしたのは、彼に私を助けさせ───私と彼が、結ばれるようにするため。



 貴方の計画は完璧でした、ただ一つの誤算を除いて。


 貴方が先程聞きたがっていたことに答えましょう。『どうして私はソーンダーズと名乗っていないのか』


 当たり前でしょう、そんな易々と人の心が変わるものですか。

 私も、そして貴方も!


 貴方がそんな人である事など皆とっくに知っていましたよ!周りの人を本当に愛していて、誰かのためになる事が喜びで、誰かの笑顔が何より好きで!でもそんな自分の事を誰よりも愛せていない貴方の事なんて、皆とっくに分かってるんですよ!!


 そんな貴方の事が、皆大好きでした。


 彼はかねてから仲の良かった伯爵令嬢と結婚しました。貴方が私を裏切ったなんて誰も思っていませんでしたから。


 私も思っていません。だから貴方ともう一度会いたくて、こんなところまで来たんです。


 ここへ来る前に周辺の方に聞きましたが、誰か恐ろしい追手に狙われている子供を逃がすために全財産をはたいてこうなったそうですね。


 貴方はいつもそうです。

 私と婚約してすぐ、母の病が不安で泣いていた私を慰めるために風邪を引きながら美しい花を取りに行った時も、友人殿を脅している輩を排除するために三日三晩駆けまわって倒れた時も、私達の前から一人で姿を消したあの時も!!


 自分さえ傷つけばどうにかなると思って、


 わたし達がそれで悲しんでいる事も、少しくらい考えてよ!!!




 すみません、少し言葉が乱れました。


 貴方に会いに来た要件を伝えましょう、これにサインをしてください。貴方が昔使っていた万年筆はきちんと持ってきています。


『これは何だ?』ですか?目が霞んできたのなら私が伝えて差し上げます。


 婚姻届けですよ、私と、貴方の


 訳が分からない、と言いたげですね、婚約し続けている二人が婚姻を結ぶことに何か不都合が?


 生活の事なら心配要りません、私は実家の爵位を継ぎましたので。正確に名乗るならレイチェル・ロックハート女侯爵となりますね。


 だから貴方はこれにサインするだけでいい。それだけで寒さに震える事も、明日の食を得られずに苦しむ事ももう二度とありません。


 さぁ、早く




『書けない』

『君にはもっと相応しい人がいる』

『こんな所で塵屑ごみくずのように蹲っているだけの男は、君には相応しくない』




 …………………………………………………………………………分かりました。


 貴方に私は一つ嘘をつきました。私は貴方の知るレイチェル・ロックハートではありません。


 私の正体は、死を前にした貴方の見せた幻覚に棲む悪魔ですよ。


 貴方の聖者の如き魂を自身の幸福を求める欲で歪め、その魂を堕落させて快楽を得る邪なる者です。


 貴方がその契約書に記名すれば、貴方の身も魂も私の物になります。


 そもそも、こんな所に本物のレイチェル・ロックハートが現れると思いますか?


 えぇ、そんなはずはありません。現実の貴方は寒さに震えて命を落とし掛けており、悪魔に魂を攫われようとしているだけです。


 貴方が犠牲になるだけで終わりではありませんよ。契約の対価は貴方の愛するレイチェル・ロックハートの幸福です。


 彼女の命尽きるその時まで、私が全力でその幸福を守り通します。



 はい、名前を書く場所はそこです。筆先を押し当てて…



 契約成立ですね。


 それでは、おやすみなさい。あなた
















 目を覚ましましたか?


 おはようございます。


 私の『幸福』さん

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美男屑 @yocchikun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ