第9話
車は都内の公共職業安定所へと向かう、と博士は言った。
「え?」
みかは驚いた表情を見せた。
「みか君、きみは最近そこへと行ったよね?」
「はい……」
なんだか嫌な予感がした。
高速を降り、暫く進むとついこの間、電車を乗り継いでみかがやって来た場所がちらほらと見え始めた。
「そこできみは友だちが出来た、そうだね?」
「はい」
その声に助手席からりんが振り向いた。
「そうなのか? みか、すごいじゃないか」
人見知りのみかはなかなか相手との距離を詰められないのだ。博士は言った。
「友だちが出来るのは結構なことだ。若いんだから大いにやればいい。ただ問題はその友だちがアンドロイドだったってこと……これで話しの流れがわかったかい?」
みかは弱々しく首を左右に振った。
「この国の主要都市の幾つかには既に実験用アンドロイドが多数、配備されている。民間ではまだ思ったほどの普及率はないが、政府としてはその促進に必死だ。まるで何かに追い立てられているかのようにね……公共施設では多くのアンドロイドたちが試験運用されている」
博士は途中で話しを遮り「煙草、吸っていいかな?」と言った。だめーっ。
「しかし……ちぇ。みか君が出会ったアンドロイドは、まあ、簡単に言ってしまえばちょっとやばい奴だったんだよね。枠組みを越えていたんだよ、人間と機械との。りん君がさっき読んだ記事のそいつが作ったのさ。境界線を越えた人工知能。みか君とアクセスしたタイミングを見計らってハッキングし、乗り移らせたのだろう。それまではただの普通のアンドロイドだった筈さ、おそらくはね」
みかは博士の言葉に首を傾げた。
「あれ、でも確か……そこの管理者のおじさんが『彼女はとても愛嬌がある』とか言っていました」
「そのおじさんもアンドロイドさ」
博士はさらっと言った。
「そのおじさんだけじゃあない。みか君が訪れた際その場にいたほぼ全員が同時に乗っ取られたと思っていい」
「何故みかが?」
りんが尋ねる。
「もちろんわたしを誘い出すためだろうな。きみたちに危害が加えられる可能性があるとわかれば、わたしが黙っていないと思ったのだろう」
「一体……その男は何がしたいんですか?」
博士はハンドルを握ったまま黙り込んだ。
「人工知能を排斥したいだけならこのような茶番は必要無い。奴は自らが作り上げた最高傑作で、この社会をいかれたデコレーションケーキに仕立て上げればそれで良いだけだ。わたし……いや、きみたちの反応を窺っているのかもしれないな」
「愉快犯……みたいなものですかね?」
「ある意味ではね」
博士は溜息をついた。
「どうしてこんな世の中になっちゃったかねえ。おれは別にこんな世界を作るために躍起になって研究をしていたわけじゃない。でも気付けば自分も誰かに利用される駒でしかなかった。おれはただ機械と人間が共に手を取り合い、仲良くやっていける世界を作りたかっただけなんだ……」
「同感です」
みかも言った。りんは目を瞑り考えをまとめていた。
「その博士の同僚は『人間の社会に人工知能は不要だ』って主張してるわけですよね?」
「ゔーん」
博士は唸った。
「ある時まではあいつもおれと同じ考えだった筈さ」そして怖い顔で続けた「自分のことを人間だと勘違いしているアンドロイドはさほど珍しい存在ではない。どうしてそのような存在がいるかわかるかい?」
みかとりんは左右に首を振った。
「セックスの時に面白いからだそうだ。相手は自分が本物の人間だと思い込んでいるから、時には必死に泣き叫んで抵抗したりする。そういう反応が良い奴もいる」
小さな車内は静まり返った。
「わたしの同僚だったそいつはその辺りの開発にも携わっていた……きっと何処かで精神のタガが外れたんだろう。顧客には政府の要人や官僚たちも多数いたそうだ」
みかは俯く。
「こんな話し本来はきみたちにすべきじゃないのかもしれないが、きみたちのような若い世代にこそ知ってもらいたかったんだ。この世界は狂っているよ、確実にね。あいつはもしかしたらたった一人でその歪みを正そうとしているのかもしれないな。それか自分でも何を考えているのかよくわからないのか」
「仲が良かったんですか? その同僚さんとは」
「まーね」
言葉少なめに博士は言った。
「あいつも何かしらの被害者の一人でしかないと考えている。止められるのなら止めたい」
車は目的の場所へと辿り着いた。
都内に幾つか点在している公共職業安定所の一つだ。
みかは表に掲げてあった看板の文字を読んでみた。ここは特区として政府に認められ、人口知能の普及に関する様々な行為が例外的、超法規的に認められている、と記されていた。
「扉を開けて中に入るのが少し怖いな」
博士はそう言って、煙草を消し、中へと踏み込んで行った。みかとりんもそれに続いた。
何かを忘れている気がする、でもなんだっけ?
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