第5話
運転手は博士だった。
メルトライン理論を確立した博士だ。それが何故こんな中古の軽を運転しているのか?
車は平坦な道を進んでいるのに風がいやいやなのーとがたがた揺れた。
「みかちゃん、久しぶりだねー」しかも呑気だった。
「はい、博士もお元気そうですね」
「仕事やめちゃったからねー」
あははっ、と笑った。
「え? 博士って今、無職なんですか?」
「うん、そーだよ」
「実はわたしもなんですよ、奇遇ですね」
「ほんとう? じゃあ無職仲間だ、愉快だよなー」
ハンドルを切った。後部座席に座っていたみかとりんは団子みたいにまとめて端へと寄せられた。
「博士ちゃんと前見て運転して下さいよっ」りんが怒鳴る。
「ごめんごめーん、この車、人工知能が搭載されてなくってさー」
全く聞こえない。車は右へ左へと曲がり、その度にみかが絶叫したからだ。
「あ、この先カーブが暫く続くから気をつけてね」遅いんだよとまたりんが怒った。
「大丈夫、ぬけたよーん。あとは真っすぐな道が続くから」
足を置く場所へとうずくまっていたみかはようやく身体を持ち上げた。バックミラーに映っている博士を見た。サングラスにアロハシャツ、しかも日焼けしている。
「博士は旅行に行っていたんですか?」
「まあ旅行っちゃー、旅行だよねえ。自分の家とは全く違う場所に長く泊まっていたから」
癌になっちゃってさー、と言ってまた「あはは」と笑った。みかとりんは黙り込んだ。
「んな、お通夜みたいな顔しないでよ」
人はいつかみんな死ぬ、と言い急に真面目な口調になり呟いた。
「死なないのはあいつらぐらいのものさ」
りんが言った。
「みか、全然、状況がわかってなくって、博士の方から説明してあげてもらえませんか?」
またお気楽な口調へと戻り博士は言った。
「ええー。説明は嫌だなあ。もう説明は現役時代に散々やらされたからなあ。なんで役人ってのはあんなに説明が好きなんだろうな。もしかしたら自分が生まれてきた時も母親に言ったのかもしれないな。『どうしてわたしは生まれて来たんですか説明して下さい』って」
そして「ぎゃはははっ」と大声で笑った。みかも笑った。りんだけがむっとしている。
基本的に博士は子供っぽいのだ。
みかはヘヴィーメタルガールとして現役で活躍していた頃よく仕事の合間にこの博士とふざけて遊んでいた。それもかくれんぼとか鬼ごっことか、広大な施設の中で子供みたいな遊びをよくした。他のヘヴィーメタルガールや博士の同僚は「もういい加減にして下さいよ」と溜息をついて二人によく声を掛けたものだ。
みかに合わせてわざと馬鹿のふりをしていたわけではない。本当に心の底から楽しんでいるのがわかるからみかはこの博士が大好きだった。そして同時に不思議だな、と思った。
博士は誰にも替えの効かない役割をこなせたからこそ、自身の立場を確立していた。そこが根本的にみかとは違うところだ。
みかは後部座席から身を乗り出し尋ねた。
「ねえ博士、わたしたち今、何処に向かっているんですか?」
「……そうだねえ」
博士は言った。
「何処だろうねえ、それは人によって違うとは思うよねえ」
一体どういう意味だろう? みかの頭にはてなが浮かぶ。
博士は更に続けた。
「わたしはもう博士ではない。かつての輝かしい実績は保管されそれを取り出し披露することも出来るが、それはわたしの望むところではない……この意味わかる?」
バックミラーに映るみかとりんは左右に首を振った。
「過去に興味無いってことさ」
博士の発明は多岐に渡っていた。機械と人間の融合を主目的としたメルトラインだけではなかった。人工知能領域に於いても第一人者だった。それらの全ては根っこで繋がっていると博士は言った。
だが追放された。
博士の発明は画期的で一躍、時の人に持ち上げられたが、その功績が有益を越え、ある種の権力にとって害を成す可能性があると判断された時、博士は汚名を着せられ業界から姿を消した。
「運が良かったよねえ、わたしの同僚は殺されたりしたからねえ」あはは、とまた笑った。
よくある話しだった。
発明者と、それを利用したいと思う側の倫理は対立している。
博士は自身の生み出した発明がこのままの速度で展開し、そして受け手である人々の意識がまるで変化しない場合、つまり機械だけが進化を遂げ、人間はより楽な道を進むことによってもたらされる未来を危惧した。
何度も意見を提出した。だが担当者から返って来た答えは「それが何か問題ですか?」だけだった。対面しているそいつが実際に何かしらの権力を握っているわけではなく、ただより強大な支配者の木偶なのだということはわかっていた。
博士は言った。
「あなたではお話しになりませんね、もっと別の方と話しをさせて頂けませんか?」
理論を確立し用済みとなった博士は身に覚えの無い罪を着せられ失脚した。どうやら真夜中の繁華街で人体模型と性交しようとして逮捕されたらしい。あははあっ。
「……残念です」
りんは言った。博士はハンドルを握り左右に首を振った。
「そんなのどうだっていーよ。わたしが欲しかったのは流動的な行為そのものであって、その報酬ではない」
りんと博士は二人で意見を交わした。難しい話しになるとみかは仲間はずれだ。
「ねえ博士、わたしにもわかるお話しをして下さいよっ」博士に対しては強気なみか。
「ああごめんごめん、じゃあさあ、最近わたしがやっている遊びについて教えてあげるよ。それは無免許運転って言ってね、誰にも教わらずに自分一人でやり方を模索し結果を出すよう務める行為なんだけど……」
りんとみかは青ざめた。
「え博士、免許、持ってないんですか?」
りんが言った。
「だねー。構造に関しては幾つか特許も取得しているけど、自分で操作するのは小学生の頃、以来かなあ」
懐かしいなあ、と言って両手でがっしりハンドルを握り締め「あはっ、あはははは」と笑った。
この人よく今まで生きて来れたよな、とりんは思った。
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