第2話
春原みかはその日、てくてく街を歩いていた。
天気は良かった。
街路樹に小鳥が留まっていて、ちゅんちゅんと鳴いていた。なんて名前かなー? すずめ。
みかは鳥が好きだった。
でも名前には興味無かった。それはあらゆることに共通していた。星の名前とかも全然、知らなかった。
みかはよく天然だとみんなから言われる。それはヘヴィーメタルガールの頃からそうだった。天然は養殖より価値が高いからきっと良いことなのだろうとみかは思った。
季節はもう初夏だった。
その日は奇跡的に湿った風も吹かず、からからとしていて、絶好のお出かけ日和だった。
街は車がたくさん走っていた。正確には走らされていた。人間が命令をしているのだ。信号で急停車しその後、急発進する車がみかの視界に入った。
(もっと優しく運転してあげてね)
そう思う。
機械だって、機械だって、うーんなんだろう?
みかは久しぶりに外出をした。
最近はずっと夜更かしばかりをして、好きなオンラインゲームをやったり、アニメを観たりしているのだ。たまにこの間みたいにりんちゃんに声を掛けられ、アルバイトをするのだった。りんちゃんぐらいのものだ、未だにみかに声を掛けてくれるのは。他のみんなは今頃、何をしているのだろう?
みかの実家のお母さんはみかに「早く帰って来なさい」と言う。
みかは思う。もう少しこのまま曖昧な感じで生きさせてほしい、と。でももうそんな甘いこと言っている場合ではないのかな? りんちゃんにもいつも怒られてしまう、もっとしっかりしろって。
みんな急に大人びてしまう。何処でそのやり方を教わったのだろう? そしてどうしてみかだけがその場所へと呼ばれないのだろう?
そのようなことを思いながらみかはてくてくと歩いていた。
街行く人々は皆、忙しそうに見えた。
みんなこれからやることがあって、それをする途中で、そしてそれはすごく重要なことだから信号が黄色になってもそのまま突っ込んだりするのだった。
すごいなあ、とみかは思った。
道端に咲いているちょこんとした花がきれいだった。でもこの街でそんなことをわざわざ思う人間はいない。きっとみかの方が変なのだ。生きるのは大変だよ。
こんなにたくさんの人たちにやることがあって、やることが無いのはみかだけみたいだった。
昔、みかがまだ現役のヘヴィーメタルガールとして活躍していた頃、みんなが色々と彼女のことを心配し、決定してくれた。
みかはみんなに甘えていた。甘えられた。
みかが(なんでこんなことするのかな?)と思って手順を省いたりすると、即ブザーが鳴って機械が緊急停止した。ちゃんと意味があるのだ。
「まーた、みかが止めたのか?」
もはや恒例行事のようになりつつあったみかのポカ。
「よし、みかがポカしたから今日も快晴だな」
冬野りんも、他のみんなも、偉い人たちも、にこにこと笑ってそんなみかを支えてくれた。でももうそんな季節は終わりを告げてしまった。全部、人工知能に仕事を取られてしまったからだ。
過ぎ去ってみれば呆気ないものだ。わたしたちが築き上げたものって一体なんだったんだろう?
「みか姉さあ、いい加減、結婚したら?」
実家の妹によくそう言われる。
彼女はとっくに結婚をして、既に幼い子供を作成しふにゃふにゃとしていてかわいい。その子と一緒になって遊んでいると「どっちがどっちだかわからないわねー」と母親に皮肉を言われる。みかは積み木を一生懸命、積む。大切なのは基礎だ。
「お姉ちゃんね、こういうお仕事をしていたんだよ?」
幼い子供にそう説明すると、にっこり笑って角の擦り減った絵本をてくてくと持って来てみかに見せてくれた。
「そうこれ! ヘヴィーメタルガール!」
絵本に描かれていた娘はみかの知っている誰でもなかった。きっと権利関係で架空の者なのだろう。それでもみかはまるで自分のことのように嬉しくそれを見た。
「この子ね、ヘヴィーメタルガール好きなのよー」
妹が言った。でも楽しいのはそこまでだった。
「お姉ちゃん最近はもう全然、仕事、無いんでしょ?」
「……うん」
そうなのだ。
ヘヴィーメタルガールとしての仕事は無かった。
正確にはあったが、それは重宝されるような特殊な技能を有している者だけに限られていた。みかの仕事は全部、置き換えられてしまった。
みかは積み木を乗せる。こと。何故か全部、崩れ落ちる。母親は言った。
「あんたもねえ、顔だけは良いんだから、それだけは昔から良いんだからとっとといい男、捕まえちゃわないと」
そこまで露骨に言うか? 妹も援護射撃する。
「誰かいい人いないの?」
「ゔーん」
みかは真面目に悩み込む。いい男。画面の向こうにはいっぱいいるのだが……。だがそのようなことをこの現実主義者の二人に言うと猛烈な溜息を浴びせかけられることがわかっていたので、やめた。
みかだって学習する。それまで会話に参加せずテレビを観ているふりをしていたお父さんがぼそっと呟いた。
「別に……みかの好きにやらせたらいいんじゃないかな……」
直ちに殲滅させられた。実家でのお父さんに発言権は無い。あなたがそんな甘いからみかがこんなになっちゃったんでしょと母親に怒られていた。
「ねえ、もういっかい積み木やろっか?」
「うんっ」
妹はそれを見て溜息をつく。
うおっと。強烈なクラクションを鳴らされみかは街並みへと意識を戻した。いつの間にか歩道から逸脱し危うく轢き殺されるところだった。
「あぶないあぶないっ」
すぐ現実から逃避し、ぽやぽやしてしまうのはみかの悪い癖だ。それからはちゃんと前を向いて歩くことに集中した。
何度か道順を間違え、行って戻ったりを繰り返して、途中ジョギングをしている人に訊いたりして、ようやく目的の場所へと辿り着いた。
「ここかあ」
みかはそう言って建物を見上げた。
「入口は何処なのかな?」
うろうろとした。みかと同じようここ目当てでやって来た人たちが次々とその中へと吸い込まれて行ったからすぐわかった。
建物の中は陰鬱な空気で満ちていた。
まるでそこにいるみんなが病気みたいだった。照明が暗いのかな? と思うと別にそうではないのだ。みかはとりあえず着席した。他の人たちは俯き自分の靴をじいっと見つめていた。みかも真似したが首が痛くなったのですぐやめた。そしてそれからはお行儀良く座って自分の番号札が呼ばれるまで待っていた。
公共職業安定所。
通称、ハロワ。
そこへ行って来い、とりんに命令されたのだ。りんはヘヴィーメタルガールの先輩だった。命令は絶対だ。
「はろわ」
みかは言った。なんか楽しそうな響きでわくわくした。でも実際やって来てみたら全然、楽しくなさそうでがっかりした。その時、みかのスマホが振動した。ぶるる、ぶるるっ。りんちゃんからのメッセージだった。
『ちゃんと朝一番でハロワ行ったか?』
『来たよ』
『よーしよし、ちゃんと登録しろよ』
『どうやって?』
『みか。お前なんでもわたしが教えてくれると思ってないか?』
『思ってる』
『あのなあ、これはお前の社会参加の練習でもあるんだから自分一人でやらなくちゃ駄目だぞ』
『あごめん呼ばれたから行くね』
『お前ってそういうやつだよ(未読)』
みかは立ち上がり受付窓口へと向かった。初めて来ましたと伝えた。お仕事はありますか?
「ヘヴィーメタルガールさん? ……ですか?」
「はい」
「えと、すいません。わたし詳しくなくって。具体的にはどのようなことを今までやられていたのでしょう?」
みかの出した履歴書を見ながら受付の女性は言った。履歴書は客観性に乏しく、わたしはどう思った、とかいうことが記されていて、つまり、まあ、読んでもよくわからなかった。
「りんちゃんがここへ行けって……あ、りんちゃんって言うのはわたしの先輩だった女の子です」
「なるほど」
受付の女性は言った。
「それで、えと……他にもたくさんのヘヴィーメタルガールたちがいたんですけど、最近は人工知能に仕事をとられちゃって無いんです」
女性はこくんと頷いた。
「わたしもニュースで観ました。経費削減のため今は何処も人手を削っているみたいですね」
「そうなんです」
その受付の女の人は「わたしも人工知能なんですよ」と言って長い髪を持ち上げた。耳の下に小さなプラグを挿す穴がちらりと見えた。みかはびっくりした。どう見ても人間にしか見えなかったから。
「ひゃあ……」驚愕の声が漏れた。くすくすと女の人は笑った。
「ここに来る方は皆、驚かれます。中には怒る方もいらっしゃいますね『お前たち機械がおれたち人間から仕事を奪ったんだ!』って」
そう言い今度は反対側を見せてくれた。頭が少しだけへこんでいた。対面し座っていた男がいきなりスパナで殴り掛かって来たのだと言った。
「ひどいっ」
みかは言った。
「でもわたしたち人口知能があなたたち人間の仕事を奪っているのは事実です」
「でも、別にあなたが悪いわけじゃない」
女の人はプログラムされた動作でゆっくりと微笑んで言った。
「あなたは優しいのですね」
「別にそんなことないと思うけど……」
女性は左右に首を振った。
「いえ。ここに来る方は皆、心に余裕を無くしています。誰かに分け与える優しさなどとうに失っている人が多いのです」
みかは困惑した。本当に人口知能なのか?
受付の彼女は自らの業務へと戻り、言った。
「みかさんは何か資格とかお持ちですか?」
「へ? ああ」
また良からぬ妄想の世界へと旅立つところだった。
「資格……実はあんまり無いです」
取得する機会はあった。けれど他のみんなが持っていたので、わざわざみかが取る必要も無かった。実技試験は簡単だった。普段から扱い慣れている機械だったし、寧ろ教本にも載っていないような裏技を披露することだって出来た。でも学科が壊滅的だった。
「こんなことなら無理してでも取っておくべきだった」今更、言っても遅いんだけど。
「あ、でもみかさんはユンボの操縦が出来るんですね?」
みかは頷いた。
「うん、大体ユンボはどっちもいけます。二大メーカーで作っているんだよ」
「すごいですっ」
お姉さんは言った。多分、わたしに気を遣ってくれているのだと思う。だってプログラムさえインストールすれば、もう誰にだって遠隔で操作、出来るようになったのだから。
お姉さんはわたしと話しをしながら、自身の手元の端末を操作し情報を収集していた。
「この……メルトライン理論、というのは一体なんでしょう?」
「なんて書いてあります?」
いやわたしに訊いているのだが。
「近年、発見された人と機械の境界線を融解し、機械をパーツ化して人間が纏ってそれを扱うことが可能となる、と書いてありますね」
ああそのことか。
「まあ、ちょっとだけ大袈裟に書かれてますね」
「え? 実際には纏わないんですか?」
「んー」みかは困った。なんて説明すべきだろう?
「まあ角度によってはそう見えないこともないみたいな、気候条件が一致すれば発生するようなしないような」
「わたしてっきり機械と女の子が合体してアニメ的な活躍をするやつかと想像したのですが」
「それじゃあラノベじゃん」
みかは言った。
「では人間と機械が融合するというのは?」
みかは首を左右に振った。世の中にはデータの中には保存されない『大人の事情』ってやつもあるのさ、とお姉さんに伝えた。お姉さんは尊敬の眼差しでみかを見た。気分が良かった。いつもみかは馬鹿にされる側だったから。
その後も二人のお喋りは続いた。
肝心のみかの仕事は見つからなかったけれど「またくるね」と伝えた。なんだかお姉さんと仲良くなれそうな気がした。
「ねえ、あなたの名前はなんて言うの?」
「名前? 識別番号のことですか? わたしは34726380‐Rです」
長い。
みかは自分のケータイ番号すら覚えられないのだ。
「34……じゃあさ、ミッシーってのはどうかな?」
「ミッシー」
お姉さんは俯き、黙った。ぶるぶる震えていた。顔を上げるとみかの手をぎゅうっと握り締め言った。
「すごくいいですねそれ!」
ばいばいしてお別れした。
今日は良い日だった。新しい友だちも出来た。わたしの仕事は見つからなかったけど、それはきっとなんとかなるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます