4. どこにもない国

4-1

 秀たちが仙女の国に来てから、何日か経っていた。良はあれ以来、人間の世界へ行っていない。行きづらいのだ。秀に会いたいと思う。会って、自分から改めて事情を説明し、怖い思いをさせて申し訳なかったと謝りたいと思う。


 けれども、秀や蘭花に会うのは気が重い。


 鳥族の国にも行っていない。王の申し出を受けるかどうか――翠玉たち姉は、この話をさっぱり持ち出さない。ただいつもと同じような日々が再開されただけだ。


 ある日、良は鳥族の国に向けて飛び立った。自分が鳥族の国で暮らすのか、仙女の国で暮らすのか、答えは出ていない。けれどもふと、自分たちの親族が暮らす家を見たくなったのだ。


 仙女たちには告げず、良は一人こっそりと出かけた。




――――




 田舎の小さな村に、良の両親は住んでいた。良はその村の上空を飛んだ。


 夕暮れに近い時刻だった。小さな家がいくつかある集落が見えてくる。そのうちの一つに両親が住んでいた。今は別の人間が住んでいる。両親は――二人とも亡くなっているからだ。


 その家の近くに、やや大きな家があった。父の実家だ。今は、父の兄の家族と、祖父母といとこたち、曾祖母が住んでいる。


 実家のそばの木の枝に、良は止まった。周囲には田畑が広がり、野良仕事をしている人々が見えた。ふと、姉たちが作り出す世界のことを思った。


 姉たちは幻を作り出すことができる。幻の、田舎の世界を作り、そこで秀と蘭花の姉弟を歓待したのだ。けれども姉たちの世界には足りないものがある。人間だ。


 自分たち以外の人間。翠玉は、私たちは私たちだけで生きてきたと言っていた。基本的に仙女は、あまり自分たち以外のものに興味はないのだろう。


 じゃあ、俺は特別なのかな、と良は思った。「特別」という言葉が自尊心をくすぐり、少し気持ちが良くなった。けれどもすぐに、憂鬱な感情が押し寄せてきた。


 姉たちは自分を手元に置いておきたがっているのだ。自分は――俺はどうしたいのだろう。姉たちのそばにずっといたい? それともうっとうしく思ってる?


 鳥族の国で暮らす? 王が言うように、そこで教育を受けて、職を得て、家族を作って――。考えていると、父の実家から人が出てきた。良ははっと、緊張した。


 身を固くして、家の中から出てきた人々を見る。子どもたちだった。父の兄の子どもたち――いとこたちだ。


 この場所と家族のことは、過去に良をさらうために仙女の国に押し入った兵士たちから聞いたのだ。そして、翠玉と一緒にここに来たこともある。でも訪れたのは一度だけ。ちらりと家とそこに住む人々を見て、声もかけずに帰ってしまった。


 声をかけたところで――先方には迷惑なことだろうし。


 父親は卵が生まれる前に亡くなってしまった。母親は卵を川に流した後、ほどなく亡くなってしまった。二人とも普通の、平穏に生きる夫婦だったのだろう。なのに、妙な運命を引き当ててしまった。 


 良は家から出てきた子どもたちを見下ろした。彼らは笑いさざめている。男の子もいれば、女の子もいる。一番年長が良よりもいくらか年上だろうか。小さな子もいる。歩きはじめたばかりの子が、よちよちとついて歩いている。前には見なかった子どもだなあと良は思った。自分が来ない間に生まれたのだろう。


 一人が歌を歌いだし、周りの子どもたちもそれに合わせた。良がいる木の前を通りすぎていく。歌が、少し日が斜めになった村に広がっていく。


 知らない歌だ、と良は思った。俺の知らない歌。鳥族の子どもたちは知ってるのかもしれない。でも俺は知らない――。


 俺は鳥族だけど、ここで暮らしたことはないから。この世界のことは――ほとんど何も知らないんだ。




――――




 子どもたちが行ってしまうと、良は木から飛び立った。家へ近づいていく。人気がないようだった。子どもたちはさっき出ていってしまったし、大人たちは仕事に行っているのだろうか。


 家の周りを飛び、わずかに開いている窓を見つけた。そこから中に入る。中は薄暗く、静かだった。


 質素な農家の家だった。家具は少しばかり、けれどもきちんと片付けられていた。良は別の部屋へと向かった。台所に食堂、居間、通り抜けていくうちに小さな部屋に入った。そこで、良はぎょっとした。


 人がいたのだ。


 窓辺の椅子に、人が座っている。ずいぶんと歳をとった人だった。女性だ。ひいおばあさんだ、と良は思った。前に見たことがある。でもあれからさらに弱々しくなっている。


 良は瞬時に、人間の姿になっていた。どうしてそうしたのか、理由はわからない。橙色の尾羽を見られるのが嫌だったのかもしれない。これがつまり、良の運命を決めて、ここにいられなくさせて、狙われるようになった原因だからだ。人間の姿になったところで帯は橙色だけど、おばあさんはきっと気にしないだろうと良は思った。


 曾祖母が、ゆっくりと視線を動かした。良の姿をとらえる。突然知らぬ子どもが入ってきたというのに、あまり驚いていないようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る