第14話 ロセットと絵本

 ロセットのパパなるものに任命された事で、日々の修行が楽になるかと少し期待していたが、残念ながら微塵もそんな事はなかった。


「わたしのパパになるんですから、当然わたしより強くないといけないですよね」


 とはロセットの弁である。


 その日も限界を超えた訓練で身も心もズタボロにされて、俺はよろよろとベッドまで辿り着き、ばたんと倒れ伏す。


「しんどかったぁ……」


 今日の訓練は肉体の強化を行う魔法の使い方に関するものだった。


 俺にはツインエレメントという強化魔法があるが、実はこういう強化魔法は、発動した後も意識を切り替える事で身体の特定の部位だけを強く強化したりするなど、調節を効かせる事ができるらしい。


 また、戦属性の基本魔法に〈オーラ〉という強化魔法があり、明日は教会でこれを覚えて、〈オーラ〉を用いた強化魔法の制御の訓練を行うとの事。

 戦闘中に細かく強化を制御する事で、より多彩な状況に対応できるようになるらしい。


 しばらくそんな事を思い出しながらベッドでひたすら死んだようにゴロゴロしていると、コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてくる。


「サルヴァ、入っていいですか」


 その声は先ほどまで地獄の特訓を行っていた師匠のもので、一気に意識が覚醒する。


「師匠ですか? 別にいいですが」


 俺がそういうと、師匠は扉を開けて入室してきて、ベッドの上で寝転んでいる俺を見つけると、その傍らのベッドの縁に座ってくる。


「えっとですね……なんというか……その……えっと……」


 躊躇いがちに何かを言おうとしている師匠の表情は、寝転がっているのでここからだと窺えない。


「どうしたんですか、師匠?」


「その……なんというか……これは非常に高度で戦略的な話なのですが……」


 師匠はなんだか混乱しているようで、いつもの明瞭で冷徹な会話は鳴りを潜めていた。


「わたしはずっとパパに、もっと絵本を読んで欲しかったと思っていたのです……」


 そのどこが高度で戦略的な話なのか問い詰めたい気分になったが、師匠が言いたい事はそれで全て察してしまった。


 この師匠、せっかく甘えられるパパ代わりを見つけたからには、徹底的に甘えつくすつもりらしい。


「じゃあ俺が師匠に絵本を読んであげればいいんですね」


 出来た弟子である俺は、師匠の無茶ぶりにも冷静に対応していく。


「で、その……読むときは、わたしの頭がサルヴァのふとももの上にあると有難いというか……」


 いやいやいや。それって膝枕ってやつじゃん。恋人同士とかでやるやつじゃん。


 俺は流石に焦り、


「し、師匠! そういうのはもっと仲の良い男女でやるやつでは……?」


 と聞き返すも――


「パパが絵本を読む時は膝枕なんです! 異論は認めません!」


 ええ……


「読んで欲しい絵本は持ってきました。これを朗読してください」


 そんな師匠の勢いに押し切られるようにして、俺はロセット・ジェリに膝枕しながら絵本を朗読するという謎のシチュエーションに身を投じる事となった。


 



「昔々あるところに、古き力を持った龍がいました」


 今、俺はベッドの横の壁にもたれかかり足を伸ばして座り、絵本を手に持って読んでいる。

 その太ももの上には、誰あろうロセット・ジェリが、にまにまとした笑みを浮かべながらその小さな顔を置いており、ロセットは俺の腰に手をまわして抱き着くような姿勢で、甘えに甘えまくっている。


「パパぁ……その龍はどんな龍なの?」


 師匠ロセット、改め我が娘ロセは、甘い声で甘えながら、絵本の続きをせがんでくる。


 いやいやいや、お前当然内容知ってるだろと思いながらも、俺はそんな様子はおくびにも出さず、優しい声で絵本の続きを読む。


「龍は強く、賢く、そして仲間に優しいところのあるとってもいい龍で、龍が暮らす山のふもとからやってきた人間たちと、毎晩のように宴会をしていました」


「すごーい! 楽しそうだね、パパ!」


 俺はちっとも楽しくないぞ、と思いながらも、懸命に師匠の父娘ごっこに合わせる。


「そうだね、ロセ」


「むふふー。パパにロセって呼ばれるの、好きー」


 この少女が6歳やそこらだった当時ならいざ知らず、今のロセットは17歳、10年以上の年月は少女を大人の身体に変え、それなりに発達した胸部が太ももに押し付けられて、色々な意味でドキドキが止まらない。


 万が一俺が発情した様子でも見せてしまおうものなら、父娘の関係を台無しにされたロセットが激怒する事は必至。


 俺は絵本の中に集中する事で、雑念を取り払う。


「ある日、騎士の娘の小さな女の子が、龍に相談を持ちかけます」


 これ以上ないほどにこにことしたロセットを不気味に感じながら、俺は無心で絵本を読み続ける。


「『ねぇ龍さん、どうしてパパはわたしに騎士にならないで、なんていうのかな? わたしもパパみたいに、弱い人を守って助けるすごい騎士になりたいよ』と女の子が聞きました。龍は、こう言いました。『騎士の仕事は一歩間違えば命を落とす。命を落とさないだけの強さを身につけるには、とっても辛い道のりを歩む必要がある。お前はわたしに襲われても弱き者を守れるか?』」


「わたしは騎士じゃなくて、パパのお嫁さんになりたいなー」


 聞こえてくる有り得ないワードを馬耳東風で受け流しながら、絵本の続きを読む。


「光り輝く勇者の才を持っていた女の子はこう答えました。『わたしは負けないよ! もし龍さんが弱い人を襲っちゃったら、龍さんもそんな事したくないと思うから、わたしが代わりに止めてあげる! だから龍さん、わたしを強くして?』少女の返答を面白く思った龍は、戯れに少女に稽古をつけだしました。少女は龍の弟子となり、龍の智慧と龍の食事、龍の武術を身につけ、みるみるうちに凄まじい力をつけていきます」


「すごーい! わたしもパパみたいに強くなりたいなー!」


 現実はこの膝の上の少女はいつでも一瞬で俺を殺せるくらい強いが、なるべく聞かなかった事にしつつ絵本を読み続ける。


「少女はやがて勇者となりますが、その頃龍は盟友の龍を王国の魔導師に殺された事で怒り狂い、王国に戦いを挑み、たくさんの兵士を殺していました。少女は勇者として、龍を討伐しなくてはいけなくなりました。少女は一人、慣れ親しんだ山道を登り、龍の元へと赴きます。『師匠! 約束通りわたしはあなたを止めに来ました! もう無謀な戦いはやめて、人と楽しく宴会をしていたあの頃に戻ってください!』と少女が叫ぶと、龍はこう言いました。『戻れるものか! わたしはあの龍が好きだった! 強く、賢く、優しい龍! 本当に大好きだったのだ! 二度と会えない友の弔いを邪魔するのならば、わたしはたとえお前でも許さない!』」


「わぁ! どうなっちゃうのかなぁ! ねぇ、パパ、どうなっちゃうのかなぁ!」


 楽しそうにきゃっきゃと叫ぶ師匠――当然絵本の内容を最後まで知っている――に苦笑いを浮かべながらも、俺は最後まで絵本を読む。


「怒りに狂った師匠を止めるには、師匠に教わった力を使うしかありませんでした。少女は龍と三日三晩戦い、その末に龍は倒れ伏します。いまにも力尽きようとしている龍に、少女はこういいました。『わたしがその友達の代わりになる! わたしはいまや、龍みたいに強くて、賢い! あとは最後にわたしの優しさを見せてあげる』少女は力尽きようとしている龍の首筋にキスをします。すると少女の魔法が発動し、龍の傷はみるみるうちに癒され、魔法は龍の怒りをも洗い流します。その心地よさに感動した龍は、少女に我が妻となってほしいと懇願します。少女は『ダメだよ。わたしと龍さんは、ずっと友達。わたしは友達として、あなたと毎晩宴会をする』といいました。少女の言い分を認めた龍は、少女を親友と認め、毎晩宴会をして暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


「わぁ素敵! おもしろかったー! わたしもパパと親友になって、毎晩お酒をのみたーい!」


 膝の上のロセットも大喜び。そろそろ太ももにかかった負荷で疲労がだいぶ溜まってきた事を除けば、めでたしめでたしといっていいだろう。


「ねぇ、パパ、次はこれ読んでー?」


 師匠が空属性魔法――ロセットはこんな希少属性魔法を当たり前のように使える――で取り出した新たなる絵本を前に、俺はどうやって逃げ出そうか、必死に脳を回転させるのだった。

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