第13話 ロセットとパパ

「キミは……」


 ヴァッサーは、そんな声をあげたあと、わたしの足元に落ちた剣と、そこについた血を見ました。


 話しかけられたわたしは、天空教会の円卓審問官の正装に身を包んだ人間が近くにいるのを見て、一気に顔を青ざめさせます。


 それが敵の中でも一番出会ってはいけない種類の人間である事は、教育を受けていたので一目瞭然でした。


 わたしはよろよろと上体を起こすと、足元に転がった剣を拾おうとして、すぐに勝てるわけがないのだから逃げないといけない、と意識を切り替え、その場から離脱しようと後ろを振り向きましたが――


 ――突然、ふわりと、途方もなく暖かくて大きい何かに包み込まれました。


「もう戦わなくていいから。辛かったね」


 地面に落ちた吐しゃ物を見ただけで、わたしが殺人のショックに苦しんでいた事を見抜いたヴァッサーは、わたしが敵の戦闘員であると知りながら、わたしを抱きしめて、優しい言葉をかけてくれたのです。


「ほら、月を見てごらん」


 それからヴァッサーは、わたしのあごを優しくつまんで、そっと空の方にわたしの顔を向けました。


 視線の先には、ドキリとするほど美しい、鮮やかな満月が浮かんでいました。

 満月は、綺麗で、優しくて、温かくて、癒されて、まるで今わたしを包み込むこの大きな暖かさみたいだと、そんな事を思いました。


「今日も月が綺麗だ。キミみたいな小さな女の子に地面ばかり見つめているのは似合わない。せっかくなら綺麗な世界で生きていきたいと思わないか?」


 そういって、ヴァッサーはぎゅっと、わたしのお腹から胸にかけてを強めに後ろから抱きしめます。


 わたしは初めて与えられるその感触とやさしさ――〈グリザイユ〉では、誰にも抱きしめてもらえる事なんてありませんでした――に、ぼろぼろ涙が出てくるのが止まらなくなって、そのままわんわん泣き始めてしまいます。


「うぁ……うぁあ……うぁああああああああああああああああああ……!」


 わたしは後ろを振り向いて、見ず知らずの敵であるはずのヴァッサーにぎゅっと抱き着いて、ひたすら泣きわめきます。


「うあぁあ……! うぁああああ……! うあぁあああああああああああああああああ……!」


 泣いて、泣いて、泣き続けます。涙が枯れ果てるまで、ヴァッサーはそっとわたしの背中をさすってくれました。


 それからわたしは、落ち着いたところでヴァッサーに、


「うちの子にならないか……?」


 と言われました。


 わたしは、黙ってこくりと頷くと、差し出された大きな手を、ちょこんと小さな手で握り返したのでした。





 *****





 「めちゃめちゃいい話じゃないですか。幼い師匠、可愛いですね」


 師匠は、話すには恥ずかしい話なのか、月明かりに真っ赤に染まった頬が照らされていて、なんとも可愛らしい生き物になっていた。


「……うるさいです」


 途端、ベンチに置いた右手を緑色の炎で炙られて、「あっちゃちゃちゃちゃ……!」と叫びを上げる事になり、一体今のエピソードのどこからこんな外道少女が生まれたのかと、不思議でならない俺であったが、


「じゃあ、師匠はそのままそのヴァッサーって人に育てられたんですか?」


 と聞くと、少女の顔が悲しげに曇る。


「……最初はそうでした」


「最初は、っていうと……」


「わたしを拾った1年後、パパ……ヴァッサー・ストライトは何者かに殺されました」


「え……」


「わたしが冒険者になったのは、このパパを殺したくそ野郎がどこのどいつなのかを突き止めて、絶対にこの手で最悪の死を与えるためです。事件の経緯から、犯人は教会の誰かな可能性が高いんです。それも、パパを殺せる人間はそもそも多くはないから、おそらくは同じ当時の円卓審問官の誰かがやったんです」


 想像を絶する深い闇がありそうな話である。

 運命的な出会いをした育ての親を殺された師匠の無念を想い、俺は思わず表情を歪めてしまう。


「今でも、満月を見るたびに思うんです。なんでパパは満月みたいに優しい人だったのに……あんなにも無惨な死体にならないといけなかったのかって……うぅ……うぁあ……うぁああああああああああああああああああ!!!」


 師匠は、感情がこらえきれなくなってしまったようで、突然大声を上げて泣き始める。


 俺は、あんなにも厳しかった師匠が、こんなに急に豹変するなんて、と目を丸くして驚いてしまった。


「うぁあぁ! うぁああああ! うぁああああああああああああああああああああ……!」


 その激しい泣き方に、俺は、思わず本能的に少しでもその苦しみを癒してあげたくなってしまい、師匠を抱きしめるようにして、自分の胸に泣きつかせる事にする。


 師匠は、ぎゅっと俺の背中に手を回すと、涙と鼻水まみれの顔を俺の服にこすりつけながら、


「うぁあ……! うぁあああああ……! うぁああああああああああああああ……!」


 と大声で泣き続ける。


 俺は、先ほどの話を思い出し、少しでも楽になればと、師匠の背中を優しくさすり続けるのだった。





 結局師匠が落ち着くまでにはずいぶん長い時間を要した。


「……ごめんなさい」


 我に返った師匠は、烈火のごとく顔を赤くして、縮こまってしまったかのように身体を小さくして俺の腕の中で謝っている。


「カッコいい話をするつもりが、カッコ悪いところを見せてしまいました」


 俺はそんな師匠を見つめて、もう一回背中をさすさすとしてあげてから、こう言った。


「師匠は何も恥ずべき事はしていません。大切な人を亡くした事で、いまだにそんなにも泣ける師匠はすごいです。師匠は無感情そうに見えますけど、本当はとっても情の深い人なんだなって、そう思いました」


 すると師匠は、ぼうっと俺の顔を見つめだす。


「どうしたんですか?」


 そう問うと、師匠は照れ照れとしながらこう言った。


「実は、無感情に見えるけど情が深いって、パパにも育てられてる時に言われたの思い出しまして……」


 気づけば師匠は興奮した表情で、じっくりと俺を観察するように見つめている。


「言われてみれば、髪の色も似てるし……顔はそんなに恰好よくないけど……この振る舞いは合格点ですし……うーん……うーん……」


 師匠は一人思い悩むように、うーんうーんとうなってから、こんな事を言い出す。


「わたし、悩みがあって、満月を見るだけでパパの事を思い出して精神が不安定になっちゃう事なんですけど……」


 そこで師匠は自信満々な表情で驚くべき発言を続けた。


「サルヴァがわたしのパパ代わりになってくれたら、それが解決するかもなって、閃いたんですよ。わたしって天才だと思いませんか?」


 どやっとしながらとんでもない事を言う師匠に、


「いやいやいや……師匠、もっと自分を大切にした方がいいですよ」


 と言うと、なぜか師匠はさらに顔を赤くして、感動したように喜んで前のめりになる。


「それもパパに言われました! すごい! やっぱりわたしのパパになれるのはサルヴァしかいません……!」


 ええ……


 俺はだいぶ引き気味になっていたが、さっきまでわんわん泣いていた師匠を見ていたので、あまり無碍に扱う事もできず、にこりと微笑みながらもどうするか必死に考えていた。


「さ、サルヴァ……わたしの事、ロセって呼んでみてくれませんか……?」


「ロ、ロセ……?」


「きゃぁ……! それで頭撫でてください……!」


「は、はい……なでなで」


 修業中の習慣から、師匠に命令されると一切それに逆らうという発想が起こらないのは幸か不幸か……


 気づけば、ロセット・ジェリを抱きながら頭をなでなでするという、現代日本のデウスファン、ロセットファンが見たら憤死しそうな光景が出来上がっていた。


「いい……! いいです……! パパぁ……! パパぁあ……・!」


 急展開に頭がついていっていないが、どうやら俺はこれからロセットのパパにならないといけないらしい。


 ……いやいや、どうしてこうなった。


 頭が壊れそうになりながら、俺は甘えてくるロセットの頭を撫で続けるのだった……

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