第12話 ロセットの昔語り

 初めての戦闘訓練から、幾日かが経ったある日の夜。


 その日も地獄のような訓練を終えた俺は、そのまま倒れ伏すようにベッドで気絶していたが、すっかり辺りも暗くなったころに目覚め、喉の渇きを覚えて部屋を出た。


 キッチンで水差しからコップに水を入れ、ごくりと一息で流し込んだ俺は、少し散歩でもするかなと思ってそこから庭に出た。


 満月を迎えた月の光を浴びて輝く花々は、訓練ばかりしていると目を向ける余裕がなかったが、こうして見るととても美しく、生命力と躍動感を感じさせる。


 なんとなく惹かれて白い花の一つを摘み、手元で眺めながら庭の奥の方へと散歩を続ける。


 と、生け垣の影に隠れるようにして、一人の少女が立っているのが見えた。


 夜の色に染まった緑髪のツインテールに、絶世の美少女らしい小さな輪郭は、我が最悪の師匠、ロセット・ジェリのものだ。


 ロセットは、視線の先の満月を眺めて、手に持った酒杯をこくりと飲んだりしている。


 酒! と地球でも今世でも未成年であった俺は驚くが、この世界ではそういえば成人年齢は16歳なので、ロセットもおそらくは成人しているのだろう。


 そんなロセットは、満月にじっと視線を向けながら、いつものジト目でぼうっとしているようだったが――


 ――はらり、とその瞳から突然涙が零れ出す。


 涙はそのまま次々と出てきて、止まらなくなってしまう。


「え、ちょ……!」


 俺は驚いて思わず声を出してしまい、まずい、と口を押えたが、時すでに遅く、鋭い動きでロセットが俺の方を振り向く。


 ロセットは、涙の滲む瞳を、きっ、と俺に鋭く向けて、


「……殺します」


 と緑色の鮮やかな炎を俺に向けて発射。

 あわや殺人事件になるかと思われたが――


「ウォーター!」


 ここ最近の修行でこの程度の攻撃なら反射的に受け流せるようになっていた俺は、冷静に水属性魔法で炎を弱め、回避する。


「落ち着いて下さい師匠……! 師匠は別に何も恥ずべき事はしていません!」


 そのまま、生き残るために必死に叫んだ俺の言葉に、何かを感じたのか、師匠ロセットの手が止まる。


「……そうなのですか?」


 酒で酔っているせいか、いつもの冷徹さは弱まっているようで、不安げな表情で呟かれた返答に、俺は全力で叫び返す。


「はい! 師匠のような経験豊富な方であれば、昔の事を思い出して涙を浮かべるくらい、むしろ雰囲気があってカッコいいです! もっと師匠のカッコいい所が聞きたいので、ぜひその話を俺に話してください!」


「……そうですか」


 ロセットはそのままぷいっと横を向くようにして唇を尖らせると、こう言った。


「まあ、そこまでいうのなら、話してあげなくもないです。ありがたく感謝して、拝聴してください」


 その頬は月と星々の光しかない暗がりの中でも、少しだけ紅潮しているように見えたが――


「ありがとうございます! せっかくですし、あちらのベンチに座りましょう。お話聞かせてください」


 当然、そんな事は微塵も悟らせず、速やかに落ち着いたムードに移行する。


 これで今日のところは命をつなぐ事が出来ただろう。

 ふぅ、危ない所だった。自宅の庭でデッドエンドとか洒落にもならない。





 それから、俺はロセットとベンチで横に並んで座り、そこから満月を見ながらロセットが話し出すのを待っていた。


 ロセットは酒杯から一口ワインらしき液体を飲んだりする一幕を挟みつつ、無感情なジト目で月を見つめているが、その表情はやはり悲し気に見える何かを含んでいた。


 そうしているとロセットは、やがて意を決したように口を開きだす。


「……わたしが幼い頃、まだ5つか6つの時あたりから、話をはじめましょうか」


 ロセットの声は、何か重苦しい感情を内に抑え込んでいるかのような声で、俺は緊張感をもってその話を真剣に聴く。


「わたしが暮らしていた村が山奥にあったのですが、そこが当時猛威を振るっていた新興宗教〈グリザイユ〉の活動が熱心に行われている村でした」


「〈グリザイユ〉……というと、数年前に天空教会主導で冒険者も動員して滅ぼされたというあの……」


「そう。異端宗教です」


 異端。その天空教会からの扱いは厳しく、苛烈である。


 天空教会には、A級冒険者と比べても勝るとも劣らないとされる戦闘力を誇る〈異端審問官〉達が籍を置いており、その12人はまとめて〈円卓審問官〉と呼ばれている。


 彼ら彼女らは、世界中を又にかけて活動し、ひとたび異端を見つければ容赦のない異端審判にかけ、即刻火刑に処す事で有名である。


 また彼らは、〈バランスブレイカー〉と呼ばれる過度な力を持った古代遺物や生物などを、管理・廃棄する活動も行っている。


「わたしは、当時〈グリザイユ〉が人工でバランスブレイカーを生み出そうとして行われていた遺伝子魔法実験の結果できた、親のいない子でした」


 それは衝撃的な話だった。


 俺が遊んでいた5作目の序盤までの時点だと明かされていない設定であり、親のいない異端宗教の子、というフレーズに、辛い幼少期を推察せざるを得ない。


「わたしは、教団の教えにより、聖女候補としての教育を受けていました。食べるものも遊ぶものも制限され、5歳になるまでに教団の膨大な聖書をすべて暗記していましたし、さらに教団の暗部からさまざまな戦闘術も学んでいました」


 思った以上に想像を絶する子供時代を歩んでいたようである。現代日本で暮らしていた俺、長嶺暁にはとても想像がつかない悲惨さだ。


「6歳の時、とある村を新たに拠点化するプロジェクトに参加し、その村の天空教会の神父をこの手で殺害しました。その時のぬるりとした血の感触と肉の断面がとても気持ちが悪くて、そのあとわたしは満月の見える丘でげーげーと一人吐いていました」


 それはそうだろう。


 人を殺すなんて、大人でも平気でトラウマになる体験である。


 それをわずか6歳の子供が体験するなんて、その心の傷はどれだけひどいものになるのだろうか。


「しかしその時、天空教会の円卓審問官がたまたま近くの村にいたらしく、その青年が急行した結果、我々の勢力はたった一人に壊滅的な被害を出されました」


「……その青年は、そのあとロセット師匠を……?」


「……その青年の名は、ヴァッサー・ストライト。今の聖女、リーチェ・ストライトの実の兄にして、当時の円卓審問官の第三席でした。彼はその村のそばの丘で、一人吐いているわたしを見つけます。わたしは6歳でしたが、その傍にわたしの〈グリザイユ〉の紋入りの剣が血まみれで落ちていた事から、教団の戦闘員だと判断できたはずでした」


 ヴァッサー・ストライト。


 この名前はデウス作中に登場した覚えはない。


 おそらく、聖女リーチェ・ストライトや緑炎のロセットの裏設定にまつわる人物なのだろう。


 だが、円卓審問官の第三席を張るほどの人物であれば、作中に一切登場しないのは奇妙だ。


 俺はいったいどういう事なのだろうと、話の続きを待つのだった。

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