第45話
小鳩は自身の細胞を培養していたガラス管から出ると、ゆっくり地面に生えたての足をつける。
吹き飛んでいた彼女の半身はすっかり修復されていた。
こうなればどこへでも行ける。
まずは逃げよう。結論は分かっているのだから。
「小鳩ォ!居るか!?」
「ぎやぁあああああっ!?」
入口へ横スライドしながら登場した雄士に小鳩はひっくり返った。
「小鳩?何してんだ」
ひっくり返っている小鳩に雄士は首をかしげる。
「お前のせいだ!」
「えぇ~......」
雄士は首を傾げながら、扉を占めた。
逃げ場を失った小鳩は後ろへ下がる。
「体、治ったんだな」
「あぁ......」
「よかったよ。結構早いんだな」
「ザークの設備ならもっと早く治る。
我々の強みの一つは運用コストではないかという学説があるほどだ」
「へぇ~、確かに普通の飲み食いでここまの継戦能力があるんだもんな。
って違う!
......その、話があるんだ」
「別に、今日でなくても良いではないか」
「引き伸ばしてどうなる?多分拗れるよ、俺達」
「ふっ、違いない」
小鳩は思わず苦笑してしまった。
「 聞こう、終わらせてくれ」
嫌な言い方だと雄士は思った。しかし、一つの恋を終わらせようとしていることは事実である。
その痛みは自分が受け止めなければならない事なのだ。
「小鳩の恋人にはなれない」
小鳩が歯が音を立てた。食いしばっているのだろうか。
「妾ではダメか?」
「一人が苦手で、でも怖がりだから上手く生きていけない子がいるんだ。
……ずっと俺を待っててくれた」
小鳩の表情が険しくなる。
「今だって、俺が戦いから帰ってくるのを待ってる。
その子の所に帰らないといけない」
「1度他の男のものになってもか!」
小鳩が吠える。
「あやつは待ち切れなかったではないかっ!妾ならお前にそんな想いはさせぬ!」
小鳩の目から一筋の涙が溢れた。
友人への醜い嫉妬である事を自覚しながらも、小鳩には気持ちを抑えられない。
雄士は困ったような笑みを浮かべた。
「だけど戻って来てくれた」
雄士の表情に覗く苦悩を見て、小鳩はかえって愕然とする。
人を愛するということは、その人のままならない所も受け入れなければならない。
様々な背景があったにせよ、理華は一度他の男の手を取った。
そして、理屈ではなく、感情としても雄士はその過去を受け入れている。
「理華が好きなんだ」
小鳩は歯が欠けんばかりに食いしばった。
言いたいことは沢山ある。
口汚い言葉が何度も口を突きかけた。しかし、彼女は踏みとどまる。
やはり、小鳩は雄士を愛していた。
「お前は酷い男だ。
振るのならどうして妾にやさしくしたのだ!
利用し、される関係ならばこんな思いはせずにすんだのだぞ!」
「そんなの無理だ」
「バカっ、馬鹿者ぉ......!」
力の入っていない拳で、小鳩は雄士を何度も殴る。
雄士の手は小鳩を抱きしめようとして、止まった。すでにその資格は失われている。
小鳩が泣き病むまで、雄士は黙って小鳩を受け止めていた。
小鳩はしばらく雄士をたたき続けていたが、やがて雄士の服に顔を埋める様にして泣きじゃくっていた。それも、時間とともに穏やかになる。
ようやく、小鳩は顔を離した。
「今日、部屋を出ることにする」
鼻を大きく啜って、小鳩は離れた。
過ぎ去ったものは戻ってはこない。小鳩との関係も同じだった。
部屋を出る小鳩の背中を追いそうになる手を、雄士は途中で止める。
その手が力なくぶら下がる。
それが彼らの選択だった。
昼下がりの食堂は閑散としており、人気がない。
小鳩はちびちびと紅茶を舐めると、カップを置く。
「振られちゃいましたか」
アーシャの言葉に、小鳩は遠くを見るような面持ちで頷いた。
雄士の元を去った後、何故か近くのベンチに座っていたアーシャに小鳩は声をかけられたのである。
根気強く待つアーシャに、小鳩はようやく話し始めた。
「実を言うと、覚悟はしていたのだ」
小鳩は全力疾走でもした後の様に、ソファーに身を投げ出した。
「あやつは狂乱の精神にあっても、理華の前でだけは普段の自分を見せようとした。
ただ、それが恋心に変わらなければ妾を選んでくれるのではないかと……そんな都合の良い夢を見ていた」
少女の時代が終わったかのように覚めた瞳で小鳩は唇を歪めた。
「結果、痛い目を見た」
「たぶん恋ってそういうものですよ。
全力でぶつかって、やきもきして、砕けたことが小っ恥ずかしいのが恋です。
でも、それは大切なものでしょう?」
青臭いから青い春と呼ぶのだろう。
繋がりが無くては生きていけない生物である人間は、その無鉄砲な衝動に抗うことも出来ず何度でもぶつかる。
しかし、ぶつかる事で人は己を形作る。
そういう風にできているのだ。
「 語るではないか」
「私も大衝突しましたからね。先輩として励ましてるんです」
小鳩は片頬をつり上げた。
「くくく……。
妾がこんな生娘のような事で右往左往する日が来るとな」
小鳩は目をぬぐった。
彼女の晴れやかな表情は、やはりまだ痛みを伴う。
ただ、満足感を伴うその圧迫感に、小鳩は悪くないと思った。
次の恋があるのなら、今度はもっと大けがをしてやろう。
それで初めてこの恋は終わるのだと小鳩は思った。
「こうなってしまったからには、雄士と理華の行く末を見届けようではないか」
アーシャは小鳩の言葉ににやりとした。その視線は彼女の背後に向けられている。
「噂をすれば雄士じゃないですか。
自分の気持が固まったらすぐに行動する所は彼の美点ですね」
雄士は早速理華に話しかけた。
しかし、その顔はすぐに紅潮し、俯く。
「 ……早くも様子がおかしいぞ」
「そもそも理華の事が好きだと自覚したのがついさっきですし。
大方意識しだしたらどう接していいのかわからないんでしょう」
「中学生か」
ギクシャクしている会話に耐えられなくなったのか、雄士が周りを見渡し始めた。
「あ、こっちに気が付いたみたいですよ。
凄い表情ですね」
「顔でジェスチャーしているつもりなのか?もちろん助けないが」
完全に見世物扱いである。
雄士は言葉が伝わっていないと思ったのか、太ももをたたき始める。
「む、焦っているのか」
「いや、あれは......?
モールス信号です!SOSって言ってますよ!」
「その頭の回転を会話に回せんのかあいつは?」
呆れかえっている二人に、涙目になった雄士がついに駆け寄った。
「おぉ!二人でお茶しばいてるのか!
俺も混ぜてくれよ!」
「おい、数分前に振った相手に助けを求めるな!」
「そんな事言わずにさ!恥ずかしくって何話していいかわかんないんだよ!」
「ええい!顔を寄せるな!」
「だって理華に聞こえるだろ!」
「ダメそうですねこれは」
愉快そうに騒ぎを眺めているアーシャに、走り寄ってきた理華が首を傾げる。
「……雄士、どうしちゃったの?」
「気にしないでください。
痴話喧嘩というやつですよ」
「理華よ聞いてくれ!こいつはお前の事がなぁ!」
「何を言い出すんだお前は!」
もみくちゃになる小鳩と雄士と、取っ組み合いをしている二人に困惑しきりの理華。
アーシャは身を折り、耐えられないという様に笑っている。
きっとこれから先も小鳩はこの瞬間を思い出すだろう。
そのたび、この痛みと暖かさが彼女がここにいたことを教えてくれるのだ。
小鳩はそんな予感を覚えつつも、今はただ雄士にヘッドロックをかけた。
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