第41話

 父の目を見るのが怖かったのはなぜだろうか。

 外では円満な家庭があるかのように振舞っていた父が、家に入ると自分を空気のように扱いだす。

 そのこと自体はつらくなかった。

 つらいことは他にいくらでもあったのだ。

 狂ったように怒鳴る母や、兄と自分を比べる周囲の視線に比べれば、父の無干渉は自分を傷つけることがないのだから。

 ただ、すっかり慣れてしまった悲しみがそこにあるだけだった。

 だからつらくはなかった。

 しかし、今でも時折思うことがある。

 父は無干渉によって自分を守ったのではないかと。



 雄士は激痛の中で目を覚ました。

 痛いのか、熱いのか。

 区別のつかない熱に、雄士はうめき声をあげる。

「雄士!よかった、目を覚ましたのね!」

 涙で枯れた声が聞こえる。

「理華......?」

 雄士は理華の涙を見て、ようやく現状を思い出した。

 ――負けたのか

 熱でぼやける頭で、雄士は理華の言葉を聞く。

 J・アルドが襲撃を受けたこと、ラッセルが死んだこと、J・アルドの機関部は大きく損傷しており、グレイヴの追撃を逃げ切ることは難しいだろうということ。

 負けること、傷つくことに慣れてしまっている彼は、負けによって引き起こされる苦痛もどこか遠い世界の出来事のように受け止めていた。

 ただ、理華の壊れてしまいそうな涙は、酷く彼の胸を締め付ける。

 慣れない痛みに、雄士は思わず顔を歪めた。

「雄士?痛むの?」

 心の痛みは顔に出ていたようだった。

 不安げな理華に顔を覗き込まれて、雄士はようやく体の異変に意識を向ける。

「右半身が、変な感じだ。

 痛いんだけど、ぼんやりしてる」

 理華は口ごもり、目を伏せる。

「そんなに良くないのか」

 理華は観念したように、重い溜息を吐き出した。

 雄士の右半身はやけどでピンク色へと変色し、その目は熱で白く濁っている。

 グレイヴのセルバスターを自身のセルバスターでわずかに反らせていなければ即死だっただろう。

「右半身が重度のやけどらしいの。

 神経系も傷ついてるから、後遺症が残るかもって......」

「なんだ」

「なんだって......」

 雄士の態度に、理華は涙を零した。

「なんで泣くんだよ」

「雄士が泣かないからじゃない」

 もとより傷つくことの下手だった男は、自分の痛みにすら気が付けなくなってしまっていた。

「理華が泣くほうが、俺は辛いよ」

「じゃあ泣くわ。

 戦いが終わっても、あなたが戻ってこられるように」

 背中を丸めて泣く理華の背中を、雄士は困ったような顔で撫で続けた。



 眠気に抗っていた理華は、気絶するように眠ってしまった。

 雄士はぼんやりと宙を眺めている。

 自動ドアが開く音に、雄士は顔を傾けた。

「目が覚めたって、理華から聞いたものですから。

 よかった......」

 雄士は部屋を訪ねた人物を見て、ぎょっとした表情を浮かべる。

「アーシャ、大丈夫か?」

 部屋を訪れたアーシャは、幽鬼のような形相だった。

「あなたが言いますか」

 アーシャはわずかに頬を緩める。

「私のほうは、なんとか」

「ラッセルの事は……」

 励ましの声をかけようとして、雄士は口を開こうとした。

 しかし、言葉が出てこない。

 気にするなとでも言えばいいのだろうか?

 今話すべきことは、きっと彼のことだと雄士は思った。

「ラッセルはさ、アーシャが来てから楽しそうだったよ」

「え」

「やっぱり、俺達とじゃどこか保護者の立ち位置になる事が多かったから。

 ラッセルはアーシャが来て助けられてたんじゃないかな……」

「あの人素直じゃないですから、そんなこと言ってくれませんでしたよ」

「ははは。

 でも、今だから言うけど、アーシャが来てからラッセルは香水をつけるようになったんだ。絶対意識してたよあれ」

「ぷっ……。

 ほ、ホントですか!?

 くくく……あはは!全然似合いませんよ!

 どうせ整備のオイルの匂いで消えちゃうのに……」

 アーシャは笑ったまま涙を流す。

 そっと涙を拭いて、今度はしっかりと笑顔を浮かべた。

「ありがとう、雄士。

 少し気が楽になりました。

 ……ここに来たのは、小鳩のことを報告する為です」

「そんなには酷くないんだろ?」

 雄士の言葉にアーシャは驚いた。

「よくわかりましたね」

「理華が小鳩のことを言わなかったから」

 なるほど、と漏らして、アーシャは眉間にしわを寄せた。

「確かに酷くはありません。

 半身が吹き飛んではいますが、そもそも彼女は人間ではありませんから。

 人口セルイーターの技術で、現在は彼女の失われた部位を培養中です。

 ですが......」

「父さんの追撃には間に合わない」

「残念ながら。

 それに、あなたは重症ですし。

 なにかあれば、あなた達だけでも逃げてもらうつもりです」

 雄士は、理華の寝顔を眺めた。

 彼の胸に、ほのかな勇気が宿る。

「アーシャ、俺の人工セルイーター適合率はどれくらいかな」

 アーシャは息を吞んだ。

「あなたまさか」

「適合手術を受けたい。

 ほかの隊員よりは高いんだよね?」

 アーシャは難色を示す。

 ラッセルに続き、小鳩と雄士までもを失いたくないという気持ちが彼女にはあった。

「いけません!

 確かに、他の隊員に比べれば高いでしょう。しかし6割です!

 あなたと小鳩は人類最後の希望なんですよ!?」

 そして、言葉に詰まったようにアーシャは俯いた。

「そんな不確かなことに、あなた達を託せるものですか。

 ......賭けは、嫌いです」

 雄士は優しくアーシャに語り掛ける。

「わかってるだろ?

 俺たちだけじゃ、逃げ伸びてもジリ貧なんだ。

 スペースウォッチが居なければ、俺たちはとっくに死んでたよ」

 それは聞き分けのない子供に言い聞かせるようでもあった。

「勝つのなら、ここで誰が欠けてもダメだ。

 時間、ないんだろ」

 人工セルイーター技術は生まれたばかりの未成熟なものだ。

 この船に来てからも研究を続けていたアーシャだが、適合手術の失敗が死に繋がるという致命的な欠陥をいまだ解決できてはいない。

 そのことを雄士は知っている。

 それでも、彼はここから逃げるわけにはいかなかった。


 自分の代わりに泣いてくれた彼女を、雄士は失いたくなかったのだ。


 答えは決まった。あとは、戦うのみ。

「頼む」

「......はぁ」

 アーシャの顔色は悪いままである。

 しかし、その目には決意が揺らめいていた。

 賭けるような勝負の仕方は、今の彼女には到底許容できるものではない。

 ただ――見せかけの安全策に頼っては、ラッセルに笑われるような気がしたのだ。

「死んだらぶっ殺します」

「死んでるのに......?」

「はい。

 地獄にもあなたの安寧はありません。

 だから死なないでください。

 .....時間がありません、すぐに手術の準備を始めましょう」

 確かに、家族殺しには地獄が待っているだろう。

 雄士は苦笑した。

「待った、その前に理華を運んでくれ。

 起こすと厄介なことになるぞ」

「どちらにせよ、私は覚悟する必要があるんでしょうね」

「閻魔様よりこっちのほうがキツイかもな......」

 手術が発覚した時のことを考えて、雄士とアーシャは身震いする。

 理華をソファーに寝かせて、アーシャはそっと雄士のベッドを外に運び出した。

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