第38話

 航空戦艦J・アルドの改修作業は大掛かりなものだった。

 数多の戦闘をくぐり抜けてきた整備員たちも、今回ばかりはコンピュータの弾き出した譜面と睨み合いを続けている。

 早朝から続いた作業は、日が傾くまで続いた。


「全く、武装まで総入れ替えじゃねぇか。

 設備が自動化されてなかったら何日かかる事やら」

「この基地が無事で助かったぜ」

「それにしても1日で終わるとはな。

 さすが欧州一の最新設備と謳われるだけはある」

 整備班が引き上げる中、一人の隊員がそばを通りかかった小鳩と雄士を見かけた。

「あれ?」

「 どうした」

「 いや、雄士のやつ……ちょっと前に理華と一緒にこの前通ったろ」

「あ、そういや……」

 二人の隊員は顔を見合わせる。

「ど、ドッペルゲンガーってやつか!?」

「見間違えだろ、非科学的な事言うんじゃねぇ!」

「で、でもよぉ!」

「 俺は何も見てねぇ!」

「待てよ!おいてくなって!」

 二人は逃げる様に格納庫を後にする。


 

 理華は人目につかない所で足を止めた。

 後ろをついてくる男は、目深に被った帽子を外す。


「……どういうつもりなの、雄輝」


 理華は笑みを浮かべる雄輝を睨み付けた。

 遠目から見れば雄士とよく似ている雄輝は、あっさりと基地の中に侵入すると、インターホンで理華を呼び出したのだ。

 奇襲をかけるつもりなら、ここで連絡はしてこないだろう。

 理華は時間稼ぎのためにも、命を危険にさらして雄輝の誘いを受けたのである。


「そんなに警戒することはないよ、理華。

 君が妙な真似をしなければ僕は何もしない。

 僕はただ、話をしに来たんだ」

「……聞くわ」

 理華の背中を、冷たい汗が伝った。

 雄輝は目を細める。


 雄輝は、理華に手を差し伸べた。


「僕と一緒に来ないか。

 君を死なせたくない」


 この瞬間も、その気になれば雄輝は理華を即座に殺害できる。

 手を取ろうとする本能を理性でねじ伏せて、理華は何とか首を振った。

「嫌よ。

 滅んだ世界でザークに囲まれて暮らすなんて考えたくもない。

 それとも、私もザーク人の依代にされるのかしら」

 理華の言葉に、雄輝は目を伏せた。

 その悲しみの表情には一変の偽りもなく、理華は戸惑う。


「……なによ」

「僕はザーク人であると同時に如月雄輝でもある。

 理華、僕は君を変わらず愛しているんだ。

 そんなふうに、僕を見ないでくれ」


 都合の良い話だ。

 しかし、理華はこの男を哀れにも思った。

 自身の主張の歪みにすら気がつけないほど、雄輝はザークと本来の自分に折り合いがついていない。

 かつての恋人に哀れをかけたくなったのか、理華は瞳から憎しみを取り除いた。


「……雄輝、あなたは全てを自分の制御下に置きたいだけよ。

 雄士の事も、私のことも」


 雄輝はびくりと身を震わせた。


「別れた日から、ずっとあなたの事を考えていたわ。

 だから、今は少しだけあなたの考えていたことがわかる気がする。

 なぜ、あなたが私たちを兄妹として結びつけたのか。なぜ、私と別れたのか」


 雄輝は迷子の子供の様に視線を彷徨わせている。

 雄輝は、自身が理華に惹かれた理由を見せつけられていた。

 彼女の知性を雄輝は好いたのだ。


「私に雄士の事を諦めさせようとしたんでしょう?

 別れることで、私にはあなた達兄弟しか居ないことを突きつけた。

 雄士が傷ついて、姿を消したことすらあなたは利用したんだわ」


 雄輝からの返答はない。

 その狼狽は、何よりも雄弁に答えを示していた。


「兄妹だと言い出した事だって、雄士の恋心を否定するためでしょう。

 雄士は今だって恋に一歩踏み出す事を躊躇しているわ。

 ……違うかしら」


 二人の間に、乾いた風が吹いた。


「ごめん」


「っ!」


 理華は雄輝の頬を張り倒した。


「否定してくれるんじゃないかって、思ってた」

「君に嘘はつきたくない」


 空虚な言葉に、理華は力なく首を振った。

 嘘をつかずに人を操る事は、嘘を付くよりも潔白であるだろうか。

 そこには、絶望的な価値観の差があるように思えた。


「あなたの事を、嫌いになんてなりたくなかった」


 理華の目から一筋の光が流れ落ちた。

 雄輝は弁明する事も出来ず、叱られた子どものようにうなだれている。


「……一つだけ、教えてくれないかな」

「なに?」

「雄士のどこを好きになったんだい」


 理華の表情に、わずかな朱が指した。


「色々あるけど。

 私の話を、いつだって聞いてくれる所」

「そんな事で……」


 理華は寂しそうに笑った。

 雄輝は、自身の過ちに気がつく。

 これでは彼女の言うとおりだった。

 

「あなたが私を待っていてくれたなら。

 私、あなたを愛せたのかな」


 雄輝は暫くの沈黙の後、深く息を吐いた。

 顔を上げた時には、その表情からは全ての感情が失われていた。


「残念だ」


 最後にそう言い残すと、雄輝は理華に背中を向ける。


「急いで帰ると良い。

 父さんが兵を引き連れてこちらへ攻めてくる頃だ」


 驚愕の表情を浮かべた理華だったが、即座に基地へ向かって走り出す。

 お互いに振り返ることはない。


「これで、心置きなく戦えるさ」


 自身にそう言い聞かせるように、雄輝は呟く。


 一人の男の恋が終わった。

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