第19話

 ザークと人類の戦いは、オペレーション・トロイの成功によって一先ずの落ち着きを見せていた。

 ザーク獣の生産拠点としても最大のものであったナイロビ基地を奪還したことにより、アフリカ方面のみならず地球全体のザーク獣の活動率が低下を見せている。

 また、人類側にもザーク獣との戦闘ノウハウを蓄積してきた成果が表れ始めていた。

 人類の通常戦力ではザーク獣に対応できていなかった2か月前と異なり、連合軍は次元砲未搭載の通常艦隊での対ザーク獣戦法を確立、航空戦艦による引きつけと包囲に合わせた高速の小型艦艇による3次元攻撃を用いてキルレシオを5:5に改善することに成功していた。

「西部戦線も異常なし、っと」

 ラッセルは復活した連合軍広報誌の電子ページを消す。

 ここまで人類が追い詰められている以上、戦果を盛る必要もないのか、広報誌には詳細な戦果と被害が記載されていた。

 把握できているだけでも地球総人口の半数が死亡、軍の残像兵力は残り4割。

 ザークとのチュートリアルにしては重すぎる初期攻勢を、人類は何とかクリアした様だった。

 スペースウォッチは現在インドネシア基地に身を寄せている。

 季節は9月だというのに太陽は陰りを見せず、温暖湿潤な気候が体力を削る。

 ラッセルは額に張り付いた前髪を掻き上げた。

「ラッセル、今日の整備は終わりか?」

 声の方角に視線を向けると、雄士の手を引いた小鳩が軽装で散歩をしていた。

「よぉ、ふたりとも。

 エンジンの整備は午前で終わったよ。

 今日は暑くて参るね」

「全くだ、湿度のせいか気温以上に暑く感じて敵わん」

「どうせなら、この調子で今年の冬は暖かくなってくれると嬉しいな。

 暖房は満足に使えねぇだろうし」

 曖昧な笑みを浮かべている雄士に、ラッセルは思わず目を逸らしそうになった。

 視線の定まらない雄士に、ラッセルはどうにかいつも通り話しかける。

「雄士、いいバーボンが手に入ったんだ。

 地元の奴らとの賭けに勝っちまってよ。

 今夜、お前も一緒にどうだ?」

「悪い、最近食欲なくて……。

 気持ちだけ貰っておく」

「そうか?残念だな」

 疲れたからと断りを入れ、雄士は離れた段差に腰掛けた。

 ラッセルは小鳩に顔を寄せる。

「ずっとあんな感じなのか」

「これでもだいぶマシになった方だ。

 最初の方なんか今にも死んでしまいそうで恐ろしかったのだぞ」

「 飯、ちゃんと食えてんのかよ」

「 駄目だ。

 本人は一食分食べようとするが、吐いてしまう。

 雄士は自分が何でもないように振る舞おうとしているらしいが、今はおかゆとスープで我慢してもらっている」

「そうか……」

 ラッセルは腕を組んで唸った。

 この非常事態に医者はどうしようも無く不足しており、それは精神科医においても同様である。

「妾が目に入る範囲にいないと不安になるらしいのだ」

 小鳩がぽつりと言葉を漏らした。

「この前、夜中に買い物から戻って来たら顔が真っ青になっていた。

 体も異常なぐらい冷えていて……。

 たった数分なのだぞ」

 ラッセルは黙って小鳩の話を聞いていた。

「妾は雄士の兄を許さない」

 小鳩の顔は険しかった。

「弟を憎む兄、か。

 兄弟なら大小なりとも諍いがある方が普通だとは思うが、殺意まで行く例はそうないよな……。

 俺の知ってる範囲だと、痴情のもつれか金銭問題で殺人になりかけたってのは聞いたことあるけどよ」

 ラッセルの言葉に、小鳩は喰い付いた。

「ラッセル、それだ!」

「金銭問題か?

 雄士の兄貴は若くして優秀な研究者だったはずだぜ」

「違う、その前だ。

 雄士と兄の間には一人共通の友人がいるではないか」

 小鳩は椅子から跳ねるように立つと、雄二の手を取って歩き出す。

「お、おい、まさか」

「やはり困ったときはラッセルに相談するのが一番だな、礼を言うぞ!」

「おい!待てって小鳩!」

 ラッセルが呼び止めようとした頃には、既に二人は基地内に入ってしまっていた。

「参ったな、やらかしちまったか……?」

 ラッセルはため息をつくと、理華に「雄士の兄についでに小鳩が聞きに来るかもしれんが、気を悪くしないでやってくれ」とだけメッセージを送付する。

 空には次第に暗雲が広がり始めていた。


 航空戦艦J・ アルドの艦内にある理華の部屋を目指す小鳩に、雄士は手を引かれて歩いていた。

 分裂気味な思考をまとめ、うまく動かない体を無理やり引きずっていた雄士の意識に、ふと「理華の部屋に近づいている」という認識が戻って来る。

「あ……」

 気がつけば、雄士は小鳩から手を離していた。

 驚きに足を止めて振り返った小鳩の目が、次第に細められていく。

「理華には、見せたくないのだな」

「いや、その……」

 突然戻ってきた現実感に戸惑う雄士に、救いの声が訪れた。

「二人共、待ってたのよ。

 部屋に入って!」

 にこやかに手を振る理華が、部屋から顔を出している。

 ためらいながら部屋に入っていく雄士。

 小鳩は相手を失った手を暫く見つめて、二人の後を追った。


「私と雄輝の関係?」

 小鳩の言葉に、理華は考え込んだ。

「どういえばいいんだろう……。

 幼馴染で、親友で、私にとっては頼りになるお兄ちゃんって感じだった。

 最近は論文のアドバイスもくれたりして。

 大切な人だった」

 小鳩は静かに理華の話を聞いている。

「昔ね、私が木に上って降りられなくなったことがあったの。

 雄士が『僕が助けに行く!』なんていって、自分も気に上ったはいいけど二人で降りられなくなっちゃって。

 ふふふ……、それで、不安になっている私を雄士が元気づけてる間に、雄輝が大人の人を呼びに行ってくれたの。

 私達の関係はそんな感じ、雄輝は、私にとっても優しいお兄ちゃんだった」

「本当に、それだけか?」

「……どういう事?」

 訝し気に首を傾げた理華に、小鳩は目を伏せた。

「雄輝は、母と理華も自分の事は見てくれなかった、といった。

 ただ兄妹同然の関係というだけで、この言葉が出てくるだろうか」

「それを知って、どうなるの?」

「妾の願いは雄士の心を少しでも癒してやることだけだ。

 雄輝が逆恨みしていると雄士に認識させることが出来れば、雄士の心も多少は晴れるだろう。

 なぜ恨まれているのか分からない現状では、雄士は何に向き合えばよいのか分からないではないか」

 ためらう理華に、今まで黙って話を聞いていた雄士が口を開く。

「俺も知りたい。

 知りたいんだ、兄さんがなぜあんなことを言い出したのか、なぜ俺を恨んでいるのか。

 母さんが俺に目をかけて、そして諦めた事はよく知ってる。

 だけど、俺はこの数年間の理華を全く知らないから」

 雄士の視線に、理華は観念したように項垂れた。

「……2年前、雄輝に告白されたのよ」

 雄士が息を飲む。

 小鳩はその手を、理華から見えない位置でそっと握った。

「その頃の私は、ずっと変わらないと思っていた関係が崩れてしまったことに動揺していた。

 雄輝と雄士が居て、たまにお父さんと家族の時間を過ごして、私はそれ以上のものを望んだことなんてないの。

 でも、雄士が急に距離を置き始めて……、雄輝に告白された時、私は雄輝まで失いたくないって思った。だから、告白を受けた」

 理華は自嘲気味に笑った。

「全てが嘘だったわけじゃないと思う。

 雄輝との恋人関係にドキドキしたこともある。

 でも、やっぱり私にとっては3人で居ることの方が大切だった。

 だからかな、自分と一緒に居る時に雄士の話を出すのはやめて欲しいって雄輝が言い出したのは」

 理華は髪をかき上げる。

「私が、どうしてそんなこと言うの?って聞いたら。

 雄輝は、君は僕の事が好きじゃないから分からないんだよ、って寂しそうに笑って……なんとなく、顔を合わせにくくなって。

 一年ぐらいで、友達に戻ろうかって雄輝に言われた」

 よくある別れ話なのだろう。

 しかし、誰も悪くないと言い切るほど、この部屋の三人は傍観者に徹することは出来なかった。

「やはり逆恨みではないか。

……しかし、人間の感情というものは、激しいのだな。

 話を聞いただけでも胸が締め付けられる」

「何も考えてなかった私が悪いのよ。

 雄士が悪いなんてことは、絶対にないんだから」

 雄士は小鳩の手を握り返していたことに気が付き、慌てて手を引いた。

 ムッとした表情を浮かべる小鳩に、理華は首を傾げる。

「どうかした?」

「い、いや、何でもないぞ!

 ……話してくれてありがとう、雄士の助けになったと思う」

「そう、だな。

 兄さんにも俺の知らない部分が沢山あったことは、すぐには受け入れられないけど」

 時間も丁度よいという事で、この集まりはお開きになった。

 雄士と小鳩が帰るまでにこやかな表情を浮かべていた理華の顔は、2人がフロアから姿を消した瞬間にくしゃりと歪む。

「ねぇ雄輝、私どうすればよかったのよ……?」

 理華は声を押し殺して、静かに涙を流した。

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