第18話

 オペレーション・トロイは一人の青年と引き換えに、人類に初めての勝利をもたらした。

 セルイーター・グレイヴとセルイーター・レジーナから陣形を取りつつ後退と砲撃を繰り返した連合軍艦隊は、痺れを切らした2体が突っ込んできた所で凹方に広がり、半包囲を成功させた。

 セルイーター2体が次元砲の集中砲火を受け、ダメージに足を止めた所で、ザークの一大拠点とかしていたナイロビ基地突如が吹き飛ぶ。

 セルイーターを全て引き剥がし、手薄になった基地を待機していた次元砲未搭載艦隊が急襲したのだ。

 防衛目標を失ったセルイーター達の撤退に、連合軍兵士は歓喜の涙を流したという。


 連合軍勝利の一報を受けたJ・アルドの館内が盛り上がりを見せるとこはなかった。

 彼らが陽動に徹していたため実感が薄いという部分もあるが、沈黙の原因はやはり一人の青年にあった。

「雄士は大丈夫なの?」

 医務室にやってきた理華は、窓ガラス越しに雄士を見つめる。

 ベッドに横たわる雄士は、虚ろな目で宙を見つめていながらも、隣に眠る小鳩の手を離そうとはしなかった。

「体の方は問題ない。

 ただ、問題なのは心の方だ。

 小鳩くんの話は聞いているね」

「……えぇ、雄輝が雄士を憎んでいた、だなんて。

 私ですら信じられないもの。

 雄士にとって、どれだけショックだったのか想像もつかないわ」

 聡弥の言葉に、理華は苦渋の表情を浮かべた。

 家族どころか親戚にも疎まれていた雄士にとって、唯一変わらずに接してくれた雄輝の本音は、雄士の心を叩き壊すのに十分だった。

「ただでさえ、地球の命運を背負って家族と殺し合うという異常事態だ。

 既にギリギリまでストレスを貯めていた所に、今回のダメージがトドメとなってしまったんだろうな」

「治してあげられないの?」

「そうしたいのは山々だが……下手にカウンセラーのマネをして、悪化させては元も子もない。

 歯痒いが、彼の助けにはなれないだろう」

 医務室を暗い沈黙が支配した。


 小鳩が目を開けると、そこには見覚えのない天井が広がっている。

 回らない頭を掻き回し、自身が戦闘後に気絶した事を思い出した小鳩は、右手に違和感を覚えた。

「雄士、どうした?」

 雄士は小鳩の手を強く握っていた。

 その目は虚ろで、手は信じられないほど体温を失っている。

 一目で尋常ではないとわかった。

「小鳩が、どこかに行っちゃうんじゃないと、思って」

「大丈夫だ、妾はここにいるぞ……」

 反射的に雄士を抱きしめた小鳩は動揺を隠せなかった。

 彼の衣服は汗でびっしょりと濡れており、呼吸は不自然なほど浅い。

 小鳩は、抱き合う事で雄士に険しい顔が見られない現状にほっとした。

「雄士、お前は疲れているんだ。

 まずはゆっくり寝よう」

「……」

 雄士をゆっくりベッドに寝かせると、小鳩は情報端末で理華に電話を掛ける。

『小鳩?目が覚めたのね!』

「妾の事はいい、今すぐ来てくれ。

 雄士の様子がおかしいんだ」

 片方の手は雄士に握らせたまま、小鳩は理華に状況を説明しようとした。

『小鳩、雄士はすぐには治せないわ』

 小鳩の台詞を、状況を理解したらしい理華が遮る。

「なに?どういうことだ」

『雄輝……雄士のお兄さんの事、雄士は昔から大好きだったから。

 傍から見ているだけでも、本当に、本当に仲のいい兄弟だったのよ。

 その全てを、雄士は今日失ったの。自分の今までを』

「心が、砕けてしまったのか」

 長く握りしめているのに、雄士の手は暖かさを取り戻さない。

『しばらくは、雄士の傍にいてあげて。

 今一番雄士に必要なのは小鳩だわ』

 消え入りそうな声で、理華は通信を切った。

 小鳩は雄士のベッドにもぐりこみ、その冷えた体を温めようと抱き着く。

「ごめん」

「夏だから涼しいぐらいがちょうどよい、気にするな」

 体温が雄士に移りきるまで、小鳩は雄士から離れようとしなかった。


 小鳩の献身的な看病により、雄士の体調は少しずつ改善していった。

 しかし、一人になる恐怖をどうしても拭うことができないらしく、雄士の傷が塞がっていないことは明らかである。

 雄士を立ち直らせるきっかけを小鳩は探していた。

「……昨日、そろそろ大丈夫だろうと思ってトイレを済ませたら、入口に雄士が待っていたのは心臓が止まるかと思ったぞ」

「大変だねぇ、旦那の相手も」

「妾を勝手に妻にするな。

 とにかく、雄士を少しでも癒してやりたい。

 妾に知恵を与えてほしいのだ」

 食堂で小鳩の相談に乗っているのは、砲撃班のニーナ・ペトロヴィッチである。

 緩いカーブのかかった髪を指で巻きつけながら、ニーナはサラリと言った。

「小鳩っち、男を癒す手段なんて一つだよ一つ。

 雄士の事、嫌いじゃないんでしょ。

 なら抱いてやりなって」

「うん?雄士の震えが止まるから、抱擁は頻繁に行っているぞ」

「そっちじゃなくて……耳貸して」

 小鳩の要領を得ない表情が、ニーナの囁きによって真っ赤に染まった。

「おっ、お主何を言うとるんじゃあ!

 女の子がそんな事を口にするでない!」

「いや、方法としては王道でしょ」

「 邪道そのものだろうが!」

 怒る小鳩に、ニーナは薄い笑みを浮かべた。

「うちの彼氏、私と同じ研究者だったけどさ、研究が上手くいかなくてクビになっちゃってね……。

 その時の実体験からアドバイスしてんの。

 どうしょうもない時は、一旦溺れきって見るのもアリだと思うけどね」

「に、ニーナは大人なのだな……。

 妾の故郷では、自由恋愛と言うよりは素質の組み合わせでより良い子孫を生み出す事が目的となっているから、こういう話は不得手なのだ」

 まだ顔を赤くしている小鳩は、ニーナの発言を思い出して眉を上げた。

「そういえば、ニーナの彼氏の話は初めて聞いたな。

 この船に乗って居るのだろう?」

 ニーナは髪を弄くる指を止めた。

「死んだ。

 モヤシのくせに、最後はクラクションでザーク獣を引き付けてね……」

 絶句する小鳩に、ニーナは優しく微笑みかけた。

「カッコイイっしょ、私の彼氏。

 小鳩も、生きてるうちにできる事は全部やっときな。

 それが、残された方を支えるんだから」

 小鳩の肩を叩き、ニーナは席を立った。

 小鳩はしばらく考え込んでいたが、決意に満ちた表情で食堂を後にする。

 外では太陽が沈み始めていた。


 夜になっても、雄士は寝ようとしない。

 目を閉じると、兄の姿を思い出してしまうのだという。

 それでも、小鳩が傍にいるとわずかながらも睡眠をとってくれる。

 いつものように雄士の布団にもぐり込もうとした小鳩は、その手を止めた。

 体を震わせている雄士の背中に、普段よりも暖かい人肌が触れる。

「雄士、お主を戦いに巻き込んだのは、妾だ。

 だから、妾に遠慮する必要はない」

 小鳩の素早い鼓動が雄士に伝わった。

 気だるげに身を返した雄士は、目を見開く。

 そこには、下着だけを纏った小鳩が横たわっていた。

「よいぞ、妾でその傷を癒してくれ」

 壊れかけた雄士は、本能のまま小鳩に飛び掛かる。

 荒い息のまま腕を押さえつけ、ベッドに縫い付けた。

 月だけが二人を見下ろしている。

「はぁっ……はぁっ……」

 月光がベッドの上の小鳩を照らす。

 素肌の上を光が滴った。

「小鳩っ……!」

 その体を貪ろうと身を屈めた雄士は、小鳩の慈愛の表情に僅かな違和感を見つけた。

 体が震えている。

 自身の体が震えていたから気が付かなかったのだ。小鳩はずっと震えていた。

 雄士は小鳩を抱きしめた。

 小鳩は驚きに目を見張る。

「ごめんっ……ごめんなっ……!

 こんな、こんなこと……。

 ごめんなぁ……っ」

 雄士の嗚咽が部屋に響く。

「馬鹿者、良いと言ったのに」

 肩を震わせて泣く雄士に、小鳩は諦めたように力を抜いた。

 やがて、雄士が寝息を立て始める。

「こんな時まで人の事ばかり考えおって」

 雄士が睡眠をまともに取ったのは、この日が初めてだった。

 小鳩のは、雄士に一人ではないことを証明したのかもしれない。

 雄士の重みで全く眠れないことにうんざりした表情を浮かべながらも、小鳩はどこか満足そうに目を閉じた。

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