第37話【モルテSide】

 まさかおじさんがこんな本を残していたなんて……。


 そこには、再びセリカがこの世界に戻って来てから起こったことが大まかに書かれていた。


 いつ出会い、どういう風に交流し、二人の心が近づいていくのか。


 異世界に行く前はこんな話をしていなかったので、きっと異世界に行ったあとで見た未来予知を書き残してくれたんだろう。


 魔物の森に捨てられ瀕死状態から救われた俺は、優しくしてくれる師匠やおじさんともうまく接することができなかった。


 そんな俺におじさんは「無理しなくていい。モルテくんは、そのままでいいんだよ」と言ってくれた。あの優しい眼差しを思い出すと胸が温かくなる。


 おじさんが亡くなってしまったなんて、今でもどこか信じられない。セリカはおじさんのことを思いだしているのか、「父さん……」とつぶやいたあとに静かに涙を流した。


 その涙を拭いたいけど、俺はハンカチすら持っていない。でも、泣いているセリカをそのままになんてしておけない。


 俺がためらいながら指でセリカの涙を拭うと、セリカは泣きながら笑ってくれた。


 こんな風に触れても少しも嫌がる様子はない。本当にセリカも俺に好意を持ってくれているんだなと少しずつ実感が湧いてくる。


 幸せ過ぎて目の前のことすべてが夢のようだった。こんな日が来るなんて、想像すらしたことがない。


 ふと、魔力の気配を感じて窓を見ると、バルコニーに真っ黒な鳥が止まっていた。


 俺が魔法で作ったあの鳥は、アルミリエ公爵の伝言を運んでくる。


 俺はセリカの涙が止まるのを見届けてから、ゆっくり休むように伝え部屋から出た。


 セリカの部屋から離れたバルコニーで右腕を上げると、黒い鳥がそこに降り立ち、アルミリエ公爵の伝言を届ける。


 ――我が息子よ。急ぎ王宮であったことを報告するんだ。


 王女の誕生日パーティーに竜が現れたのだから、今ごろ王都は大騒ぎになっているだろう。だが、そんなことはどうでもいい。


 俺が今まで大人しくアルミリエ公爵の指示に従っていたのは、すべてセリカのためだ。セリカがこの世界に戻って来たときに、俺が公爵家の跡取りのほうが何かと都合がいいと思ったから。ただそれだけ。


 俺は伝令用の黒い鳥に別の指示を与えた。


「今後、おまえはエーベルト侯爵家との伝令役になってくれ」


 ランドルフのことは気に入らないが、エーベルト侯爵家はセリカを守ろうとしてくれているし、セリカの親戚でもある。繋がっていて損はない。


 黒い鳥に新たな指示を与えると同時に、どうせだったらセリカが喜ぶような可愛い鳥がいいと思いついでに姿も変えておく。


 俺の命を受けた丸っこい小鳥は、山際が白くなり始めた空に羽ばたいていった。長かった夜が、今、明けようとしている。


 そのころになってようやくファルスが古城に戻って来た。本当に食事をしていたようで「食べ過ぎた」とお腹をさすっている。


 まさかファルスが竜だと思っていなかったが、味方ならこんなに心強いヤツはいない。なぜなら、竜であるファルスは何があっても絶対に片割れのセリカだけは裏切らない。


「ファルス、ちょうどよかった。少し出掛けるからセリカのことを頼んだ」

「ああ、いいけど……。セリカとは、どこまでいったんだよ? さすがにキスぐらいはもうした?」


 ファルスの予想外の言葉に、俺は思わず「うっ」と言ってしまう。


「は? まさかオレがこんなに気を使ってやったのに、関係そのままとかないよな⁉ 告白はしたのか?」

「……行ってくる」

「おい待て、逃げんな! 告白はしたんだろうな⁉」


 ファルスがしつこく転移装置がある部屋までついて来た。


 魔法陣に足を踏み入れた俺は、そこでようやくファルスを振り返る。


「……告白はした。セリカにも、好きと言ってもらえた……」


 起動した魔道陣が光で包まれていく。その光の向こうでファルスは満面の笑みを浮かべた。


「良かったなー!」


 まるで自分のことのように喜んでくれている。


「おまえは……竜のくせに、人間よりも人間らしいな」

「そういう魔王様は、人間のくせに魔王並みの強さだから、それよりかはオレのほうが普通じゃね?」

「そうか? ……そうかもな」


 おじさんが残してくれた本にも、俺は魔王だと書かれていた。そして、魔王のままでお姫様に愛されていた。


 だからもう、何も我慢する必要はない。


 転移装置を使い、俺は王都にあるアルミリエ公爵家の一室に移動した。早朝の邸宅内を一人歩いていく。


 いつもは静かであろうこの時間も、王都に現れた竜のせいで、人々は慌ただしい。


 使用人が俺の姿を見つけるやいなや、すぐにアルミリエ公爵の元に案内した。


「おお、来たか。我が息子よ」


 黒髪に白いものが多く混じるこの男が、俺の父を名乗っているアルミリエ公爵だ。


「いったい何がどうなっているんだ? 早く説明を――」

「黙れ」


 アルミリエ公爵の淀んだ目が見開く。


「状況が変わった。今後は俺に関わるな」


 ハッと鼻で笑った公爵は、馴れ馴れしく俺の腕をつかんだ。


庶子しょしの分際で、公爵家の跡取りになって勘違いしているようだな? おまえが領地を持ち、貴族としてアルミリエを名乗れるのは、誰のおかげだと思っているんだ⁉」


 俺がつかまれた腕を振り払うと、公爵がよろけて床に倒れた。


「私にこのような無礼を! 貴様、殺されたいのか⁉」


 話しても無駄だと判断した俺は呪文をつぶやいた。風の輪を作り、公爵の首をゆっくりと絞めていく。


「な、何を⁉」


 驚く公爵を俺は見下ろした。父であるはずなのに、なんの感情も湧かない。


「一度しか言わないからよく聞け。俺はアルミリエなんてどうでもいい。跡取りになったのは、俺の目的のために必要だったからだ」


 セリカの帰りを待つために魔物の森の古城が必要だった。セリカが戻って来てからは、セリカを守り隠すための土地が必要だった。だが、セリカの存在が王家に知られてしまった今、もう隠す必要はない。


 これからは、セリカが行きたいところに俺もついていくだけだ。


 風の輪に首を絞められたアルミリエ公爵は苦しそうにもがいている。


「た、助けっ」


 気を失う寸前で風の輪を消した。息ができるようになった公爵は激しく肩を上下させている。


「これで分かったか? おまえの命なんていつでも簡単に取れるんだ」


 俺を見上げる目に怯えが浮かんだ。


「わ、私を殺すのか? そうか! 子どものころにおまえを捨てた私をずっと憎んでいたのだな⁉」

「憎む? どうでもいいお前を、俺が?」


 震えながら聞かれたので、俺は笑ってしまった。


「死にたければ勝手に死ね。だが、一族郎党皆殺しにされたくなかったら、今後、俺にいっさい関わるな。分かったな?」


 公爵に背を向けると「この、魔王が!」と吐き捨てるように言われた。


 その言葉を聞いて俺はニヤリと口端を上げる。


「そうだ。俺は魔王だ。知らなかったのか?」


 侮蔑を含んだその言葉も、今の俺にとってはただの褒め言葉だ。


 なぜならこの世界の魔王は、最愛のお姫様に愛してもらえことが決まっているのだから。

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